掛 累⇔筧 薫子①
失敗した。
職場の飲み会で、「3時間飲み放題(※日本酒付)で、3000円以下のコース」を電話で予約して、当日、蓋を開けてみると、まさかのコース料理が4品だけであった上に、お通しだったと思っていた小さな小鉢もコースに入っていたなんて。
急いで店員さんを呼んで、「話が違うんですけど」とは言えなくて、電話ではこういうお話で伺っていたのですが、と周りに気づかれないように濁しながら、いかにもお店側にミスがあった風に装いながらやりとりをし、結局できたことは、デザートのアイスを付けてもらえることだった。私は隣のテーブルに食べさしの料理を持っていく。
「ごめんなさい。お料理、足りないですよね」
「そんなことないですよ。飲めればいいんです、飲めれば」
お詫びを申し上げる代わりに、炊き込みご飯の入った釜を差し出すと、庇うように、高島さんが受け取ってくれた。
最初、テーブルからは物足りなさそうな雰囲気が出ていたが、高島さんが微笑むと少しだけ和やかになった気がした。
「あ、良かったら」と釜を持ったまま腰をずらして席を空けてくれたので、私は身を縮こませながら、隣に座る。お酒の席だというのに、彼から石鹸の香りがする、ような気がする。
「わぁ、珍しい組み合わせ。筧さんと高島さん」と、冷やかしなのか、本当に珍しく思っているのか、高島さんの隣に座っていた中島さんが声を弾ませる。この人は良くも悪くも人の話が大好きで、なんでも質問してくる。中には「そういうのはちょっと…」みたいな質問も飛んでくるが、まぁ、中島さんだから、と許されてしまう。仕事では10年目の、頼りになる大先輩だが、それ以外の場面だと、どうも苦手意識を抱いてしまう。
高島さんは、先ほどまで中島さんにあれこれ質問されて、困り果てたところに、別の理由で困り果てた私がやって来て、厄介事を分散させようとしたのでは…?と思わず不純な動機を想像してしまった。そんな私のこじらせをよそに、高島さんは嬉々としてご飯をよそっている。
「筧さんまだご飯食べれます?」
「すみません、もう向こうのテーブルでアイスを食べてしまいまして」
「あっちのテーブル、あまり召し上がらないの?」中島さんが横から入ってくる。
「そうですねぇ…」
「キレイに分かれたものねぇ」
中島さんの言う通り、個室に通された瞬間、決まった席に座るように、お酒と煙草を静かに嗜みたいグループと、お酒とご飯でワイワイ盛り上がりたいグループに分かれてしまった。
「筧さんは煙草辞めないの?」
「そうですねぇ。今年中に禁煙できればいいんですけど…」私は向こうのテーブルの上に置かれた灰皿とケースを名残惜しく見つめた。
「最初、全然見えませんでした。すごく意外ですね」高島さんはご飯を頬張らせている。「いつから吸われてるんですか?」
「大学2年の頃かな…その前はまさか吸うなんて思いもしなかったですけど」
「きっかけは何だったの?」すかさず中島さんが聞いてきた。
絶対くるとは思っていたが、この質問は私の苦手分野。念のため、心の中で用意しておいた回答を唱えておく。
「すごくバカな理由なんですけど…友だちが吸ってるのを見て、興味本位で買ってみたら、20本も入ってるやつを買ってしまって。すごく高かったし捨てるのもったいないから全部吸ったら、もうすっかり喫煙者になってしまいました」
「ええ~そうなの?」と手を叩いて中島さんが笑った。他の人にも話してみると「馬鹿だね」とか「あるあるだね」とか何かしらの反応が帰ってくる。
本当は、付き合っていた人が少し潔癖なところがあって、それが嫌で別れようとしたが、別れ話がうまくいかず、ストーカーのように付き纏われていたから、友だちに相談して、ヘビースモーカーになると離れていくのでは?と、ただそれだけのために吸い始めたのだ。
たった一人の相手と縁を切るために払ったコストは計り知れないが、それ以降の変な「引き寄せ」を断ち切るには良い方法だと自分を褒めたくなる。
顔もスタイルも能力も平均値の私は、昔から、家庭のある男性や、夢を追いかけている系の若者(芸人とかバンドマンとか俳優とか)、性格に難がある人など、普通ではない人から惹かれる特殊能力を持っている。
ふと壁に目をやると、かけた上着のポケットが震えたように見えた。
厄介事ではあるが、相談することのほどでもないし、時間が薄まってくれる、と収束をつけてしまう。こんな楽観的な部分が、「引き寄せ」を助長させているのかも…。
それよりも今は、と高島さんに意識を集中させる。すっかり私の話題が離れ、案の定中島さんがあれこれ聞いている。
「ウチの子、もうすぐ中学なんだけど、最近の男の子って、なんていうの?ほら、草食男子っていうの?ベッドの下にエッチな本とか全然ないのよ。好きな人も、彼女もいないみたいだし…高島さんもそういう子だった?」
ちょっと…さすがにそれはセクハラではありませんかね…という雰囲気がテーブルに蔓延したが、高島さんは嫌な顔一つもしない。
「どうですかね…僕、中学の時はひきこもりで。ずっと部屋でパソコンいじってました」
ええーっという声が上がる。私も、心の中で同じような反応を示す。
「えっ、そうだったの」
「今はよく分からないけれど、僕らの時代では自分でHPを作成したり、SNSではなくてメールとかチャットで交流してましたね」
ね、筧さん、と不意に私の方を向いたので、私は反射的に首を縦に振る。
「そうですね」
「そうなの?すごいわね。HP作成するなんて…むしろうちの子にもさせたほうが将来のためかしら?」と、中島さんは冗談なのか本当に言ってるのかよく分からない反応を示した。
「そんなすごくないです。作成するサイトみたいなのがあって、簡単にコードを打ち込めば形だけでもできるんです」
「懐かしいですね。クラスでもやっている子がいました」私はすかさず言葉を付けたす。
「主に小説を連載することが多かったかな。僕は専ら読み手でしたけど」
私も連載してました。そこそこアクセス数もあって、ランキングサイトによく名前が載っていまして…まで言うとさすがに引かれますね…とまでは言わない。絶対に盛り上がるだろうし、すごいね筧さん!って言われるかもしれないけれど、心のどこかで「暗いヤツ」って思うんじゃないかな、たぶん。
「高校とか大学の受験はどうしたの?」と、中島さんは、息子さんネタを後ろ盾に、またまた突っ込んだ質問をする。
「そうですね…親からはせめて成績だけでもって言われてたので、渋々テストだけ受けに行ってました。受験もそれでなんとか先生に許してもらえて。運よく環境に恵まれていたけれど、やっぱり、ファンだったネット作家の方の存在が大きいですね」
「へぇーどんな方?」
「僕と似た境遇の女の子が主人公だったんですけど、とにかく文章がすごいんです。物語はホラー系で主人公は最後死んじゃうんですけど、他の小説と比べると、すごく文章が大人びていて一画を成しているというか、今もうまく言えないんですけど、とにかくすごいんです」
「どうしてその人のおかげなの?」中島さんは首を傾げる。「あなたもひょっとして小説家になりたかったの?」
おお、それは気になるな。と、私は全力で気になる素振りを見せた。といっても、脳から表情筋への伝達がワンテンポ遅い私は、あまり興味を示していないように見られているかもしれないが。
「僕その人とメールで会話したことがあって。最初は作品の感想を送ったりしていたんですけど、そのうち個人的な相談もするようになったんです。まぁ、それが背中を押してくれたのかなって」
「高島さんはホラー大丈夫な方なんですね」
「今はもう好きではないですけれど。なんでですかね…中学の時は全然イケたんですよね。なんか、あるあるなのかなって。今思えば不思議ですね」
ふーん、と中島さんはもう興味がなさそうだった。それを合図に、終電組がそろりと手を挙げ、二次会組はもう参加者をひっそりと集め始めている。
あるあるといえば、あるあるかもしれない。若者って、獣みたいに自己表現に枯渇していて、それにアンバランスして、外見が頼りなくておぼつかない、奇妙な存在だ。大人に囲まれているから、仕方なく弾んだ笑顔を携えているけれど、外面に放出できないようなエネルギーを内側に秘めている。ふと、私みたいなぼけっとしたみたいな人が気を緩んでいても、彼らは急に、黒くて赤い感情を求めて、その顔つきはどこか諦念じみている。
嬉々として語る高島さんを眺めながら、ふと、そんなことを考えていた。
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