白石 久瑠美⇔粕谷 愛①

ポコン、と間抜けな音を立て、画面上部の通知バーに丸いマークが浮上した。


「なになに?何の音?」

「なんでもないですよ」


覗き込もうとする勢いで腰を浮かした彼から、昔、川釣りに連れて行ってもらった時に竿につけたエサの匂いがした。


「何か香水つけてます?」と、私はスマートフォンの画面をスリープにし、鞄にしまいながら尋ねた。


「あっ、そうなんだよね」彼はパツパツに張った革ジャンの袖を見つめた。その後、長ったらしいブランドがついた香水の名前を教えてくれたが、結局、頭に入ってこなかった。


「あっ、ねぇ、ひょっとして彼氏からLINE?」彼は子どものような(つもりらしいけれど)悪戯っぽい笑みを浮かべた。「返事しなくてもいいの?」

「何言ってるんですか」

私は大げさに笑い、アイスティーに手を伸ばした。


「それよりも、その帽子かわいいですよね。(つーか店にいる時ぐらい帽子取れよ)」

「あっ、これ?サンローランで5万はしたかも。すごい昔のヤツだけどね」

「私、鞄でもそんな値段出したことないです。(あっ、がイチイチうざい、値段は聞いてませんけど)」

「かわいいって、愛ちゃんおもしろいね。あっ、女性ってみんなカッコいいでも素敵でも『かわいい』って言っちゃうの?」

「そんなことないですよ。(いちいちめんどくせぇな、語彙力ない風に言うんじゃねぇよ。てかカッコよくも素敵でもかわいくもねぇよ)あっ、福本さんって休日は何をされてるんですか?(やべっ、口癖うつった…)」


福本(さん)は、なぜかしたり顔で頬杖をした。少し背を曲げ、こちらに身体が近づいたせいで、顔のデカさがさらに際立つ。コイツ、自分のカッコいい角度はおろか自分

の容姿をちゃんと理解してないな。


鞄の中でまたスマートフォンがポコンと音を立てた。


「俺さ、今日のワークショップ初参加じゃないんだよね。本業はフリーでデザイナーやってるけど、せっかくだし新しい刺激?みたいなのが欲しいからカメラ勉強してんだけどね。本当は休日っていう日はないけれど、時間ができたら散歩がてら写真を撮ってる」


「そうだったんですか!忙しいのに、すごい勉強家ですよね。(前置き長すぎる。『俺さ~だけどね』は絶対赤入れたら真っ先に消されるくらい要らない。てかそのビジュアルで写真撮ってたら職質されんだろ)」


そろそろ受け身から離れようか。このやりとりを文字化しても、たぶん面白くはない。そう考えた瞬間、タイミングよくポコンと鞄から響いた。


「愛ちゃん、さっきから音すごいね。本当に彼氏からじゃないの?」

「すみません。ちゃんとマナーモードにしたつもりだったんですけど…」


私は残りのアイスティーを空にしてから切り出す。


「別れ話がうまくいかなかったみたいで…ここ一週間、彼氏から『やり直そう』ってLINEが頻繁に来るんです」


「あっ…そうだったんだ」

「本当はこんな話、迷惑だったかもしれないですけれど」

「迷惑だなんて、そんなことないよ!それより心配だよ。大丈夫じゃないよね?」




ざーんねん。



本当は私が投稿したブログ記事のコメント通知音だよバーカ。




ネット起業した友人の手伝いつもりで、ブログに新規登録をしたのがきっかけだった。


『愛が記念すべき新規ユーザーだよう!せっかくだしこのままアクセスランキング1位目指しちゃおうよ!』


という言葉を信じて、だったら何かテーマを決めて書いてみようってことで、『白石久瑠美しらいしくるみ』の名で、愚痴つもりで職場のイタイ男の話を投稿してみると、瞬く間に人気に火が付いた。


最初は『もっと書いてー!』というコメントが殺到したが、やはり職場だけではネタが尽きそうだったので、社会人向けのワークショップや読書会、ひいては街コンにも参加して、そこで出会った男とのやりとりを書いているのだ。


人は、涙を誘うストーリーよりも、人間のイタイ部分が覗くような実話の方が蜜の味に感じる。ちょっと前では“いっぱい泣いたらストレス解消!”がトレンドだったけれど、汚い部分を嘲るほうが、むしろストレス解消になるかもしれない。歪んだ需要と供給だが、この世の中、キレイなストーリーでは飯は食えないのだ。


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