第3部 タイムリミット

1.山久と龍吾・6月3日

 県警本部を出た山久は車で自宅に向かっていた。龍吾と一度会い、昨日集めることができた情報を交換するために自宅で待ち合わせていたからだった。

 山久が自宅の前に到着すると、龍吾はすでに玄関のドアの前に立ち、タバコをふかしていた。

 山久の帰宅に気付くと、龍吾は「お、来たな」と言いながら、口にしていたタバコを携帯灰皿の中でもみ消した。

 山久がドアの鍵を開けると、龍吾は先に、室内に身体を滑り込ませた。山久もそれに続く。

 部屋の中に入ると、龍吾は例のようにソファに腰掛けた。山久は「コーヒーでも飲むか」と龍吾に問いかけ、「ああ」との返事を受けるとコーヒーメーカーのスイッチを入れた。山久がリビングに戻ると、龍吾は目の前の虚空の一点を見つめ、何かを考えているようだった。

「で、どうだった。そっちは」

 龍吾は山久に視線を移した。

「こっちの目立った収穫は一つだけだ」と龍吾は前置きした上で言葉を続けた。

「お前、JR計画って、何か心当たりはあるか?」

「JRって、あの列車のJRか?」

 龍吾は腕を組んで「うーん」と唸る。

「それが分からん。実はな―」

 龍吾はJR計画という言葉が浮上した経緯について、掻い摘んで説明した。

 しばらく耳を傾けていた山久が口を開く。

「JR計画と言ったら、俺には北陸新幹線の延伸計画しか浮かばんな」

「ただ、なんで県警の上層部が、こんな事件の真っ最中にJRの事を気に掛けているのかが分からん。今回の事件とJRが何か関係しているのか?それとも、今回の事件とは全く関係のない別の事件でJRが関与しているのか」

 山久は顎に右の手のひらを撫でるように当て、数秒後に断言した。

「その計画はどんな計画かは今のところはっきりとは分からんが、おそらく計画そのものと事件は関係してると思う」

 龍吾が当然浮上するであろう疑問を問いかける。

「なぜそう言いきれる?」

 山久は先ほど久米に言われた言葉を思い返していた。

 トイレで久米が聞いたという「あと五日の辛抱だから」という台詞。久米が聞いたのは今日、六月三日であり、その五日後が指すのは六月八日だ。

 一方、龍吾が同期の警察官に聞いたという「七日後までにはなんとかなりそうです」との八幡課長と佃部長の会話。それは六月一日であり、これもまた七日後は六月八日を示す。

 この混乱下の状況で、何の繋がりも無い誘拐事件と謎の計画が、同じ日に動くという偶然が重なることなど、あるだろうか。

 山久の記者の勘は「NO」と結論づけていた。本当に偶然という線も捨てきれない。JR計画が別の事件に関する事柄ということも捨てきれない。それでも山久はどうしても自分の考えを疑うことが出来なかった。

「この二つには必ず繋がる部分があるはずだ」

 山久はそう言い切った。

「そうか。お前がそこまではっきり断言するのも珍しいことだ。ただ、俺もおいそれとお前の勘だけを頼ることはできん。何か明確な証拠が出てきて初めて、お前の仮説が立証される」

「ただ、このまま何の手がかりも、目星も無く動き回るよりは、この程度の見立てを参考にして動く方が何かと楽じゃないか?」

「まあいい、今回はお前に任せる」

 龍吾も納得したところで、山久は話を次の議題に進める。

「そして俺の勘が正しいと仮定すると、一つリミットが生まれるわけだ。それが六月八日だ。もし誘拐事件とその計画が関係あろうと無かろうと、どっちにしてもその日には両方の事象で何らかの動きがあるということになる」

 龍吾は少し細目な瞳をさらに細めながら反論した。

「その動きが問題だ。その六月八日に何かが起きるとしても、今のところは概要がさっぱり分からない」

「それを俺たちで調べるんじゃないか。こっちは中堅の新聞記者と刑事だぞ。これで何も分からなかったら、それこそ俺たちはこれから先、胸を張って仕事を出来ないだろう」

 龍吾は賛同する。

「確かにな。お互いのプライドに掛けてもある程度の形は掴まないといけない」

 龍吾の口調は静かだったが、そのまなじりには強い意志が見てとれた。

「もし、両方に共通点があるとすれば方法は二つある。どちらか一つを一気に辿り、事をはっきりさせる。そうすれば、もう一つの方も自然と分かるはずだ。もしくは、二つ同時に辿っていくか」

「そう考えると、JR計画の方はまったくの手がかり無しの状態だ。現段階で唯一知っていると思われる刑事部長と捜査一課長も、うちの沢崎課長が当たってもビクともしない。となれば、誘拐事件から追っていく方が良いかもしれない」

 山久はこくりと頷いた。

「そうだな。代議士も誘拐されているかもしれない状況だ。手を付けられる場所はこちらの方が広いだろう」

 その言葉を聞き、龍吾は目を見開いた。

「は?どういうことだ?代議士が誘拐されているなんて情報はどこから出てきた?」

 「そういえば言ってなかったな」と山久は煙草に火を付けながら説明を始めた。

ただ、現段階ではあくまで誘拐の「疑い」なだけで、今回の誘拐犯とを直接結びつける理由は富田に掛かってきた電話だけだ。

 警察からの発表もまだ無い。ただ、現在代議士が行方不明になっていることは確かであり、富田への電話では人数まで具体的に知らせてきている。

 その点を考慮すれば、今回の犯人が代議士の失踪に関わっていることは大いに考えられる。

 山久の説明を聞いた龍吾は「そうか」と反応した。

「そうなると、やはり誘拐事件の方から調べていくか。ただ、一つ気になることがある。もう一つの共通点があるんだ」

「もう一つ?」

「ああ、これは桜の爆弾事件と荻野修哉の誘拐事件の接点だがな。それが大和地区だ。桜の地元で子どもが誘拐されているんだぞ。もしかしたら大和地区とJR計画とやらにも何か接点があるかもしれない」

 山久が何かに気付いたような、そして驚きが混ざったような表情で口を開いた。

「そうか。北陸新幹線の延伸計画では、新幹線の建設予定ルートがすでに公表されている。確か、そう、新幹線は大和地区の真上を通るはずだった。もしかしたら、これは計画と大和地区が大きく関係してくるかもしれない。JR計画はやはり北陸新幹線の計画なのか?」

「それはまだ、分からん。とりあえず代議士の行方を追いつつ、計画についても調べていく必要があるな」

「これからどうする?これまで通りバラバラに動いて情報だけ共有するか?」

 龍吾は首を横に振った。

「今回は政治も絡んでくる話だからな。俺は余り得意じゃないし、お前が横にいてくれると助かるんだが。もちろん、お前が誰かに刺されそうにでもなったら俺が助けてやるよ」

「は!本当かよ。どうも信じられん」と山久は笑みを浮かべると、続けた。

「ただ、二人で一緒に仕事をする機会なんて、もう二度と無いだろうしな。しばらく組んでやるよ。必要に応じて二人で動こう」

 

 山久宅を後にした二人は、車で大和地区へ向かった。車中で、山久は県警の久米へと電話を掛けた。

「どぅだ?何か動きはあったか?」

「いえ、それが会見は相変わらず定期的に開いていますが、新たな情報は全くありません。ただ、各社の我慢は限界にきています。これだけ情報がなければ、協定自体に疑問を持っても当然ですが、クラブとして対応を話し合う可能性もあります」

「対応とは協定破棄ということか?」

「ええ。少なくとも数社はそういう考えを示しています」

「そうか。ただ、荻野修哉に結びつく手がかりがない以上、下手に破棄も出来ないだろう。それで破棄して殺されたらどうする?それこそ俺たちの望む結末ではない」

「はい、私もそう思います。だから、破棄については慎重に考えるよう促すつもりです」

 山久は続けて宗田に連絡を取る。

「すまない。今日は忙しいか?」

 宗田の爽やかな声が耳に入ってくる。

「いえ、富田部長から大体の内容は聞きました。それで、俺もフリーで動かしてもらえることになったんで。もちろん俺がやるのは代議士の方ですよね?」

 山久は笑顔を浮かべた。

「ああ、お前が居てくれるとやっぱり心強いよ。代議士の行方を追ってほしい。できれば今から東京に行って直接追っかけてくれるとありがたいんだが。どうだ?できそうか?」

「もちろんです」

 受話器の向こうで胸をドンと叩いている宗田の姿が浮かぶ。

「よし、頼んだぞ」

 その電話を切るなり、山久の電話は次の相手に発信をしていた。

「西園寺か」

「ああ。今立て込んでるから、短めに頼む」

 西園寺は小さな声で応答した。何か別の取材中なのかもしれない。

「そうか。今、うちの若い奴に代議士の行方を探らせている。ただ、お前の所に連絡が来ているかどうかは分からんが、荻野修哉誘拐の犯人から代議士も誘拐したとの連絡が入った。今はそれのウラが取れていないからなんとも言えんが、その可能性は高いと思う」

「なるほど。現状は分かった。それじゃ、また後でゆっくりかけ直すから、その時にこちら側の情報も伝える」

 山久は携帯電話を折りたたんで胸ポケットに収めると、「ふうっ」と息を一つ、吐き出した。

「終わったか?」

「ああ、一応な。お前は日福テレビの西園寺は知ってるか?」

 ハンドルを握っている龍吾は記憶を掘り起こすようにしばらく黙り込んだ後、「いや、知らない」と答えた。

「俺と同じ年に日福に入った奴なんだが、そいつが代議士誘拐に関するさらに重要な情報を持っていると言っている。もし、それが分かれば同じ社だとか、他社だとか言っていられなくなるくらいの事なんだそうだ」

「ほう。それは何なんだ」

「今は言えないと言ってる。代議士の行方をこちらが調べることへの交換条件として出してきたんだ」

 龍吾は「へえ」っと感心した様子で声を上げた。

「たぶんな、その情報は相当なもんだぞ」

 山久は眉間に皺を寄せて龍吾の方を向いた。

「何故、そう思う」

 龍吾は「ははっ」と一つ笑い声を上げた。

「当たり前だろ。もし、お前が西園寺とやらと同じような立場で、そんな情報があったとしたら他社に教えることはまず無いんだろう。だが、今回は教えようとしている。それは、自分の手には負えないほどの巨大すぎる情報だからか、全く中身がないかどちらかだ。ただ、お前がそんな約束をしてしまうくらいだから、そいつは信頼できる奴なんだろう。トータルで考えれば、その情報は十中八九、超重要な爆弾情報の可能性が高い」

「なるほどな。確かにそうだ。まあ、その情報はまた後で聞くことが出来そうだから。今はとりあえずこっちの情報を集めよう」


 龍吾の車は大和地区内のコインパーキングに停車した。先日、山久が停車した場所と全く同じ所だった。

「さて、どうするかな?」

 龍吾の呟きに山久が反射的に答える。

「まずは、昼飯だろ?」

 龍吾は吹き出してしまった。

「まじかよ。お前、普段はちゃんと仕事してんのか?」

「当たり前だろ。腹が減ってはなんとやら。今食わなきゃ、次はしばらく食えないかもしれないし」

 龍吾は「はいはい」と言いながらすでに歩き出していた山久の後を付いていった。

 しばらくして二人は、山久が昨日訪れたラーメン屋の前に立っていた。龍吾は数ある飲食店の中で、なぜそこに立ち寄ったのかが不思議そうだったが、そこの主人が「あ、この前のお兄さん!いらっしゃい」といった段階で、全てを理解したようだった。

「また来ました」

 主人は笑顔で二人を迎える。

「いやあ、嬉しいなあ。何にします?」

 山久は龍吾の了解を得ずに勝手に注文する。

「それじゃあ、ラーメンセットを二つで」

「あいよ!」

 時間がまだ十一時半を過ぎたばかりということもあってか、周囲に他の客は居なかった。山久はこの前と同様、注文を捌くために手を動かしている主人に話しかける。

「そうそう。この前言ってた桜さんの父親、確かこの辺りの出身って言ってましたよね?この辺に実家でもあるんですか?」

 主人は手際よく麺をほぐしながら、山久の質問に回答した。

「いや、実家はもう無いよ。自分は違うところに家を建てて、実家の方は取り壊したんだ。こっちの家に住んでたのはもう十年くらい前になるかな」

 山久は立て続けに疑問を投げかける。

「そう言えば、桜さんって新幹線の誘致にも力を入れていたみたいですね」

 実際、そんな情報は山久の手元にはないが、新幹線が通る予定地だったところだ。誘致しないわけがない。ただ、主人の言葉は山久の意とは反するものだった。

「え?いやいや。逆だよ、桜さんは新幹線建設には反対してた」

「そうなんですか?すいません、何も知らなくて。ただ新幹線はここを通るルートだったでしょ。ここに土地を持っている人たちは国に巨大な額で買い取ってもらえるんだし」

 主人は穏やかに微笑みながら麺の茹で上がり加減を確かめている。そして、山久の発言を訂正した。

「それは、違うよ。俺たちは金が欲しくてここに居る訳じゃない。おそらく桜さんもその思いを汲んでくれたんだ。昔、ここは穏やかな田園に囲まれた所だった。ただ、周囲に商店もなければ、俺たちが儲けられるような土地でもなかった。俺のラーメン屋だって閑古鳥が鳴きまくってたんだから」

 ラーメン屋の店主は手元に意識を集中させながらも、懐かしそうな表情を浮かべる。

「でもさ、桜さんがいろんな所を走り回って、今のこの町を少しずつ作り上げていってくれた。桜さんは自分の出身であるこの町が穏やかに発展し、住民たちが少しでも豊かで、不自由がない生活を送ってくれることを心から願ってくれていたんだと思う。だから、俺たちもこの土地に愛着があるんだ」

 山久が隣の龍吾にふと目をやると、龍吾はじっと店主のラーメン作りを観覧している。話をきちんと聞いているのかどうかは山久にも読み取れなかった。店主はなおも話を続ける。

「確かに今は住宅地も出来て人口も増えている。周囲には大きなレジャー施設も出来て治安面での不安も叫ばれている。でもね、ここは俺たちの町なんだ。俺たちは人生をここで過ごしてきた。今、ここを移ってくれと言われても逆に戸惑うよ。俺たちは、自分が死ぬまでこの町を見守り続けたいし、見ていく権利があると思ってる。だから、新幹線が来たら、騒音とかの問題の前に、この町の、住民たちの積み上げてきたものが一気に崩れ去る予感がしてさ。今では凍結してくれて良かったと思ってるよ」

 「はい、お待ち!」と、主人はそれまでの口調とは全く違う威勢の良い声で、二人の前にラーメンセットを差し出した。

 龍吾は「これ、うまいな。こんな店があるなんて知らなかったぜ」と言いながら無心で麺をすすっている。

 山久はその姿を横目に一口ずつじっくりと味わうと、すでに行う作業が無くなった主人に、さらに問いかけた。

「桜さんはここから別の場所に移り住まわれてからも、こちらには良く来ていたんですか?」

「ああ、あの人はマメな人でね。小さな地区の新年会だけじゃなくて、代議士になってからも土日の度に福井に帰ってきて、ここの地区の会合にも顔を出してた。たとえ選挙前であろうと、なかろうと桜さんの行動は変わらなかった。常に俺たちの話に耳を傾けてくれる機会を設けてくれた。そして、どんな小さな事でも真剣に聞いてくれた」

「へえ。そこまでするなんて、なかなか今の代議士の中でもいないですよ」

「そうだろう?選挙前だけ帰ってきて、その時だけペコペコして会合に顔を出して、当選したら東京に行きっぱなし。俺たちの事なんか何にも考えずに、自分の地位とか名誉を守るために必死になってる奴らの方が遥かに多い。それを考えたら、桜さんはペコペコしないんだ。『自分たちで出来ることはやってほしい。ただ、私がしなければ出来ないことは、どんなに小さいことでも全力で当たる』と言ってくれていた。だからだろうね、いろんな人が桜さんに付いていこうと思えたのは」

 山久は県政担当になってから、桜に接触する機会も少なからずあった。ただ、桜の人柄についてはそれほど掴めていたわけではなかった。衆院選では桜ではなく、落選したベテラン議員の方に張り付いていたのもその理由の一つだったが、もしも、そこで桜の担当をしていればもう少し、桜の事について知っておくことが出来たかも知れない。

 山久がぼーっと考えていると、龍吾が肩を叩いた。

「おい、お前遅いよ。俺はもう終わってんだぞ。もう少し焦れよ」

 山久が「あ、すまん」と言いながら慌てて箸を進めると龍吾は山久に変わって主人に語りかけた。

「あ、ちょっと教えてほしいんですけど、最近、この辺で不審者が出没しているって話を聞いたんですが。結構、頻繁に出てるんですか?」

 主人は首を捻りながら考えている。

「いやあ、俺はあんまり聞いたこと無いなあ。昼間はいつも店の中だしなあ。そんな話もたまに聞くけど最近はあんまり聞いてない。お兄さん、何かの関係者?」

 龍吾が慌てて否定する。

「いや、ちょっと通りすがりの人が話しているのを聞いただけで。俺の子どもも小学生なのでちょっと人ごとじゃない気がしたんですよ」

 龍吾に子どもはいない。さらには結婚すらしていない。「こいつ、よくそんな嘘を平気な顔で言えるよな」と、山久は心で呟きながらスープを啜った。主人はそんな龍吾の言葉を真剣に受け止めている。この主人は本当に素直でいい人のようだと、山久は噛み締めていた。

「そうか、そうか。さっきも言ったように治安の悪化は今、この地区の課題になりつつある。ただ、町の人たちが登下校中や遊んでいる子供たちをしっかりと見守っている。そういう、なんというか自然と決まった決まり事みたいなものがあるんだよ」

 龍吾は主人の目を真っ直ぐに見つめながら、話を真剣に聞いている。

 山久がラーメンの丼をカウンターのテーブルに置くと、龍吾は「おお、終わったか」と言い、「お勘定して」と続けた。

 料金を払って店を出ようとすると、主人がカウンター越しに「また、いつでもおいで!」と見送ってくれた。店外は、店を入った時と変わらず晴天だった。雲は、一つもない。「さて、次はどうしようか」と話して山久が見つめた龍吾の表情はその天候とは反対に曇っていた。

「どうしたんだよ」

 山久が不安げに問いかけても龍吾は口を開かない。

「おい、何だよ。気持ち悪いな。何かしゃべれよ」

 龍吾は何かを思いついたような顔で前を向いたが、「いや、何でもない」と言って、歩き出した。山久は「おい、どこに行くつもりだ」と言ったが、龍吾は黙々と歩を進めるだけだった。「ああ、そういえば、こいつは一回考え始めると無言になるんだっけ」と山久は一人で納得し、目的地不明のまま、龍吾の後を追った。

 

 しばらくしてから辿り着いたのは荻野修哉が通っていた小学校だった。

「確か、お前は昨日、ここから荻野の自宅まで何度か往復したんだよな?」

 龍吾の疑問に、山久は「ああ」とだけ答えて、再び龍吾の反応を観察する。

「なるほど。お前が誘拐犯ならどこで誘拐する?」

 山久は即答する。

「たぶん、人目が着かないところで。ただ、それは俺も考えた。荻野の自宅周辺は下校時間帯には、人通りがほとんど無かったのは昨日確認している。おそらく下校時を尾行していたか、あの場所で待ちかまえていたか、どちらかじゃないか?別に不自然なところはないだろう?」

「でもな、さっきのラーメン屋のおっちゃんが言ってただろう。登下校中や遊びに出ている時には町の人が見守るようにしているって。今回の誘拐犯人は相当に綿密な計画を練っている。その犯人がそのことを知らないってことは考えづらいんだよ」

 山久の表情を伺いながら龍吾は自身の考えを述べ始めた。

「俺が犯人でこの辺のことをしっかりと調べたのであれば、おそらく下校中は狙わない。確かに下校時の場合、歩くルートはほぼ毎日変わることはないかもしれないが、俺だったら、帰宅後に遊びに行き、その帰り道となる夕暮れ時を狙う。周辺の商店も閉まり始める時間帯だ。周囲の目も少なくなる。何より、荻野修哉が孤立する時間が多くなるのは、遊びに出た時の方が可能性は圧倒的に高い。遊びに行く場所にもよるが、下校時は途中まで友人と途中まで一緒だ。二者択一だとしたら下校時はリスクが大きくなるから選ばない」

 山久は反対意見を述べる。

「それは考え過ぎじゃないか。実際に荻野は下校時に自宅近くの人気のないところでさらわれたと考えるのが自然なんだ。犯人の手口も鮮やかだし、恐らく、犯人は下調べの上でそこが一番だと考えたんだろう」

 龍吾はどうも納得のいかない表情で呟いた。

「まあ、事実を曲げることはできないからな。ただ、犯人が下校中に狙った理由が別にありそうな気がしてな。お前が聞いた範囲では、誘拐当時に不審者を見たという人はいなかったんだろう」

 山久は首を縦に振る。龍吾は「ふうん」と反応する。

「そうであれば、この誘拐事件はなんだか出来すぎている気がしてきた。今の段階では誘拐されるのが荻野修哉でなければならなかった理由は分からない。ただ、誘拐された現場は誰も見ていないし、ましてや不審者すら目撃されていない。もし普段人通りが無い場所なら、逆に誰かがいるだけで目立つはずだ。それは車だってそう。近所同士の繋がり意識が強い福井県の静かな住宅街だろう。昔ほどではないにしても、住民たちが結束して子供たちを見守る土地柄だ。普段見かけない車があるだけでも、この辺の人たちは敏感だし、すぐに誰かに知らせるはずだと思う。そう考えれば、もっと誘拐しやすい子供がほかにいたんじゃないだろうか」

 龍吾の考えを聞いていた山久は、今度は首を横に振った。

「お前は考えすぎなんだよ。今は荻野修哉の行方を捜すことの方が大事だろう。何故そこまで誘拐の時間帯にこだわるんだ」

 龍吾は鼻で「ふん」と一つ笑うと、「そこに正解が隠れていることもある」とだけ言った。

 山久はそんな龍吾の言葉を胸に留めつつ、昨日と同じルートで再び荻野宅に向けて歩き出した。龍吾は周囲をキョロキョロと眺めながら同じ道を辿ってきている。

 山久が足を止めたのは昨日に入った花屋の前だった。

「どうしんたんだ?花でも買うのか?」

 冗談交じりで聞いた龍吾だったが、山久の反応は至って真面目だった。

「ああ、花屋に来て、肉を買う奴を見たことがあるか?」

 龍吾は肩をすぼめるようにして嘆いた後、渋々といった表情で、山久を追った。

 こちらの主人も、先ほどのラーメン屋の主人と同じように、笑顔で山久を迎えていた。

「いらっしゃい。おっ、昨日の兄ちゃんじゃないか!また来たのかい?花がよっぽど好きとかかい!」

「ええ、まあ」

 「こいつはなんて嘘が下手なんだ。この顔は決定的な証拠を突きつけた容疑者が、それでも構わず否認を続けている時の顔よりひどい」。龍吾は思わず吹き出しそうになった。山久もそれに感づいたのか、こちらを一瞥して睨んだ後、また笑顔に戻して、店主に向き合う。

「昨日買った花があまりにも良い香りだったんで、両親にも同じ花をプレゼントしようと」

 「こいつ、下手すぎる」と龍吾はいよいよ表情を崩しそうになったが、そうもいかない。龍吾は自我を保つために後ろに組んだ手で思い切り自分の尻をつねった。痛い。当たり前だが、痛い。力を入れすぎてしまった。そうこうしているうちに主人と山久の会話は進んでいる。

「あいよ。ちょっと待っててね」

 主人は小走りで目当ての花の所に駆けていく。龍吾はこっそりと山久に耳打ちをする。「お前、笑わせるなよ」

「あ?お前みたいに俺はひねくれてないんだよ。素直すぎて慣れてないんだ」

「役者には絶対なるんじゃねえぞ」

「お前には関係ない」

 二人が押し問答を続けていると主人が戻ってきた。「もうちょっと、待っててね」と言い、カウンター下から花を包む新聞紙を探して取り出してきていた。時間帯的にはまだ昼過ぎなので、下校する児童たちの姿は店先には見えない。

「あ、そういえばこの辺の人に聞いたんですが、この町の人たちは子供たちの見守り活動をしているらしいですね。本当に目から鱗が落ちますよ」

 山久の問いに店主は「はは、まあね」と相槌を打ちながら手を動かし、さらに付け加えた。

「私達は、子供たちにはかなり気をつかっているんだよ。この町は近年、急速に発展してきた所だけど、近所の人たちの繋がりは昔から変わっていない。だから、どこの家の子供であろうと、自分の家の子供と同じように心配だし、何も無いようにしたいのさ」

「それはやっぱり、当番制で誰かが子供たちに付き添ったりとかするんですか?」

「いやいや、私達は商売やってる人間だからね。でもね、私は手が空いた時とかなんかはマメに店先に立ったりするんだよ。いくら発展してきたと言ってもこれまでに大きな事件が起きたことは無いしね」

 店主は新聞紙で包み終わった花を袋に入れて山久に手渡した。「ありがとうございます」と言って山久は代金を店主を渡した。

「それにしても昨日からやけに不審者について話したがるね?お兄さん、もしかして不審者?」

 そう言ってはいるが、店主はそれほど山久を警戒している様子はない。それもそうだ、わざわざ不審者がこんなところで花を買うわけがない。

「やめてくださいよ。本当にただの通りすがりですから」

 店主の「それじゃ、また来てや」との声を背中に受けながら二人は店を出た。

「お前、その花どうするんだ?」

「いや、特に考えてない」

「それじゃ、次にどこ行くかは」

「それも考えてない」

「なんだよ。結局ラーメン食って、花買っただけじゃねえか」

 山久が時計を見た時には午後二時を回ったところだった。昨日に続いて荻野修哉の歩いたルートを辿っても良い。が、二日続けてとなると、さすがに怪しまれる可能性もある。

 「さて、どうするかねえ」と気持ち悪い笑顔を浮かべている龍吾を尻目に、山久が歩き出そうとした時だった。携帯が震えた。西園寺だった。

「遅くなってすまない」

 山久は「いや、大丈夫だ」と答え、先ほど聞けなかった西園寺が握っている情報とは何かを問いかけた。

「その話だが。いいか、心して聞いてくれ。お前、JR計画について何か聞いたことがあるか?」

 山久は脳に衝撃が走ったと同時に、「何でお前がそれを知っているんだ!」と思わず口走っていた。

「やはりな。お前ならそこに辿り着くと思ってたよ。いいか。これはもうテレビとか新聞とかの話じゃない規模の話だ。ただ、これを説明するには俺が計画に辿り着いた経緯も話さないと行けない。そうすると、電話で話すには時間が掛かるし、誰かに聞かれる可能性もある」

 山久は「なるほど。そういうことなら」と、自宅の住所を西園寺に教え、今から来るように促した。西園寺は「ああ、分かった」と言って電話を切った。

「ほらな」

 山久は得意げな表情で龍吾を見た。

「何が?」

 龍吾は真顔で質問する。

「次にするべき事がちゃんと見つかっただろう。俺はそういう星の下に生まれてんだよ」

 山久は腰に両手を当て、少し鼻の穴を広げていた。龍吾はその姿に呆れながら、すでに前を歩き出していた。

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