2.龍吾・6月2日


 山久の出勤時間に合わせてマンションを出た龍吾はその直後、ある人物と連絡を取り、その人物とは、会う約束を取り付けていた。昨日、県営球場で顔を合わせた藪中だった。

 待ち合わせは午前十一時にJR福井駅の東側出口、通称「駅裏」に近い喫茶店だった。

 龍吾は約束の時間の五分前にその店に入った。店内の一番奥の席にすでに座っていた藪中は、龍吾の姿を認めるとひらひらと手を振って居場所を主張した。

「待ったか?」

 昨日とは打って変わって、藪中の表情は穏やかだ、

「いや、全然待ってない。それで、話って何だ」

「ちょっと、ここでは言えないんだ。場所を変えないか」

「そうか。それじゃ、俺が注文したコーヒーがもうすぐ来るから、それを飲み干してから外で歩きながら話すことにしよう」

 龍吾も店員を呼び、藪中と同じようにコーヒーを頼んだ。

「最近どうだ?今は県警の警備課だろう。仕事は忙しいか」

「まあな。それなりだ。ただ、重要な事案が無ければ、それほど大変でもない」

「今日は良いのか?」

「何が?」

 逆に問いかけた藪中の表情はやはり、柔らかかった。

「何がって昨日あんな事があっただろう?大変じゃないのか?」

「俺たちは警備課だからな、捜査一課は大変だろうが、警備の役目が終わった今、俺たちが介入する余地は無いよ」

「それじゃ、昨日あそこにいたのは、やはり応援で?」

「ああ、ただ、警備の計画も仕切りも全部一課でやってたんだ。うちの課長は、普段は一課とはバチバチなんだが、昨日は驚くほどあっさり一課の要請を飲んだんだよ。不思議だよな」

 警備の計画までが一課に主導されていた。今回の事件については全てが一課に握られている。

 いくら大きな事件だと言ってもそこまでする必要があるのか。それとも、それだけの理由があるからこそ、一課が全てを掌握しているのか。

 龍吾がそれまで抱いていた疑問は一層、大きなものとなった。

 二人はほぼ同時にコーヒーを飲み終えると、店の外へ出た。「さて」と龍吾は呟くと、藪中を先導して歩き始めた。

「それで、話って何だ?」

 すぐさま龍吾の隣に並んだ藪中は、前を向きながら問いかけた。

「なあ、おかしくないか?」

 龍吾も前を向きながら、質問を被せた。

「何がだ?」

「一課だよ。俺たち所轄に応援を要請しない理由がどうしても分からん」

 二人は駅裏の交差点をさらに東に向かって、歩を進めた。

「いや、別に自然だろう。ここまで大きな事件であれば県警が主導したい気持ちがあるんだろう。人手に関しては、足りていると言っているんだから、きっと本当に足りているんだ」

「一課に何か不審な点は無かったか?」

 藪中は怪訝そうな表情で龍吾を見やった。

「はっ?不審な点ってどういうことだ?そんなものあるわけ無いだろう」

「俺はどうしても納得ができないんだよ。一課の動きが。俺たち所轄を頑なに拒否しているようにしか感じない」

「考えすぎだよ。俺たちの仕事は犯罪者を捕まえることだぞ。味方を拒否してどうする?」

「確かにそうだ。だが、今回の件に関してはうちの沢崎課長も疑問に思ってる。福井県では初めての報道協定が結ばれたこともある。県警がこれまで体験したことのない領域にいるのは間違いない。ただ、それだけの理由で本部がここまでするとはどうしても思えないんだ」

 藪中は首を捻りながら、しばらく思考を巡らしている様子だった。

「そういえば・・・」

 龍吾は藪中の方に初めて顔を向けた。

「何だ?何か気になることがあるのか?」

「事件には恐らく関係ないぞ」

「ああ、どんなことでも構わない。教えてくれ」

 藪中は渋い表情のまま、口を開いた。

「実はな、昨日、佃部長と八幡課長が廊下で話していたのを偶然聞いてしまってな。確か俺が球場から帰ってきてからすぐだったかな。俺は階段の死角にいたから、向こうは気付いてなかったんだが、そこで話題に上がってたのが『JR計画』ってやつだった」

「JR計画?それって、あの列車のJRか?」

 藪中は苦笑いを浮かべている。

「それこそ、俺には分からんよ。ただ、『JR計画についてだが、経過は順調か?』と部長が八幡課長に言っていた。八幡課長は『ええ、大丈夫です。七日後までにはなんとかなりそうです』と答えていたな。俺が聞いたのはそれだけだ」

 JR計画。七日後。一体何なんだ。龍吾の頭の中は疑問符で埋まっていた。

「ほかには何か不審な点は無かったか?あと、捜査は順調に進んでいそうか?」

「いや、ほかに思い当たることはないよ。捜査の進み具合については、それこそ管轄外だ」

「そうか、分かった。わざわざ悪かったな」

 二人は、次の交差点に来ると、別れの挨拶をして、違う方向に別れた。

 龍吾はしばらく付近を歩きながら頭脳を働かせる。

 JR計画。確かにJR関係なら、福井県には今、「北陸新幹線」という重要事項がある。北陸新幹線は東京から長野を経由して富山、石川、福井へと抜ける新幹線だ。現在は金沢までが着工認可を受けている。

 ただ、一度は自由党政権の際に建設が認められた石川県の金沢駅から福井県の福井駅間については、四年前の衆院選で政権交代し、民自党政権となったことで、党の「インフラ整備よりも社会保障へ」との方針から、着工は事実上凍結されていた。

 福井県では、一度認められた計画が動かなくなったことで、各方面から反発が生まれていた。

 北陸新幹線が福井県内まで延びれば、観光客のさらなる誘致が可能になる。県内企業なども東京へのアクセスが向上すれば、ビジネス面にも有効に働くと考えていたからだ。

 以降、経済界や自治体は、何とか福井県内への延伸を実現しようと、連携して着工認可を得られるよう、国に働きかけを行っていた。

 JR計画。今の状況と合わせて考えれば、それは北陸新幹線の延伸計画と考えるのが自然だろう。

 ただ、それが「七日後」というキーワードとどう結びつくのか。七日後に新幹線の計画に大きな動きがあるのか?ただ、今の段階で国の方にそれらしい動きがあるとは聞いていない。そもそも、今回の事件にはどうしても結びつかない。

 これは、JR計画について詳しく調べる必要がある。現段階で判明している、この計画について確実に知っている人物は佃部長と八幡課長の二人だ。

だが、向こうからすれば自分は一人の所轄の刑事であり、普段は顔を合わせることも滅多にない。おそらく自分が直接、どちらかに内容を聞いたとしても、おいそれと話してはくれないだろう。何か良い手はないものだろうか。

 龍吾の頭の中に一つのひらめきが浮かんだ。自分では駄目かも知れないが、うちの沢崎課長なら何とかなるかもしれない。龍吾は報告も兼ねて沢崎に連絡した。

「おう、堂山か?どうだ、何か分かったか?」

「それが、一つ気になることがありまして」

 龍吾は藪中から聞いた「JR計画」について沢崎に説明した。

「なるほど。俺もそれは初耳だな。確かに、普通に考えれば北陸新幹線に絡んだ計画のように聞こえるが」

 龍吾は先ほど浮かんだ考えを沢崎に伝えた。

「もし、可能ならば課長から、佃部長か八幡課長に聞いてもらえませんか?私は二人とそれほど面識がありません。聞いても門前払いされるだけです。ただ、課長なら八幡さんとも繋がりがありますし、何とかなるかと思ったんですが」

 沢崎は十五秒ほどの沈黙の後に、「分かった」と答えた。

「一度、俺から聞いてみよう。ただ、今回はこっちにも応援要請は無かったんだから、おそらくここは蚊帳の外だ。俺に話してくれるかどうかは分からんが」

「ありがとうございます。俺は別方面で計画について探ってみますので」

 龍吾は電話を切ると、車が止めてある駅裏の方に歩き出した。

 JR計画。それがどんな計画なのかは分からない。ただ、結びつきこそ分からないものの、今回の本部の動きと何かが関係している予感がする。中身をはっきりさせるために、とりあえず知っていそうな人間と接触して、話を聞くしかない。

 龍吾は思考の中で候補者をリストアップしながら、車へ急いだ。

 

 龍吾は車内のデジタル時計に目をやった。午後八時。昼前からここまでの間に数人に話を聞くことができた。

 県警の一課の同期の人間については電話がまったく繋がらなかったが、総務課の同期の人間や、南署にいるかつて一緒に働いていた上司に電話を掛け、JR計画について質問をぶつけてみた。

 しかし、計画について知っている人間は、その中には誰一人いなかった。

「今日は打ち止めか」

 龍吾は独り言でそう呟く。沢崎から携帯に連絡があったのはその直後だった。

「どうだ?」

 沢崎は落ち着いた口調で、そう尋ねた。

「はい、何人か自分の知っている人間に話を聞いてみたんですが、今のところ全滅です。JRのJの字も出てきませんでした」

「そうか。俺も全然駄目だ。八幡さんにJR計画を知っているか聞いてみたが『今、新幹線の事なんか考えてられるか!』と言われて一方的に電話を切られてしまった。お前の知り合いがその計画について聞いたっていうのは本当なのか?向こうはまったく知らない様子だったぞ」

「それは、間違いないと思います。下手な冗談を言う奴じゃありません。その辺は信頼できる奴です。それで八幡さんが知らないと言うのであれば、こちらが知らない何かを隠していると考えるのが妥当だと思います」

「ただ、向こうの話しぶりも動揺した感じは無かったんだ。八幡さんが隠し事をしているようにも思えないんだが。もし、これで何かを隠しているとすれば、それこそかなり大きな事だと思う。俺たちには死んでも漏らせないような巨大なことだ」

「そうですか。分かりました。俺は明日にでも山久に連絡を取るつもりです。あいつは県政を担当してますから計画について何か知っているかもしれませんから」

「そうか。分かった。こちらは本部の動きに不自然な点が無いかを調べてみる」

 通話を終えた龍吾はタバコに火を付けて運転席のシートにもたれた。そして、吐き出した煙で輪っかを作りながら、天井を眺める。

結局、今日の成果は「JR計画」の存在を知ることができただけだった。本当にこれで事態は進展しているのだろうか。

ただ、動かなければ完全なるゼロだった。その鍵となるキーワードを入手できただけでも前進だ。

「一つ一つを積み重ねるから真実にたどり着ける」。龍吾は上司の言葉を何度も心の中で繰り返し、自身に言い聞かせていた。

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