1.堂山龍吾・6月1日③
その後、龍吾は福井署に戻った。応援要請は未だに無く、下手に動くこともできない。龍吾は机にじっと座りながら歯がゆい時間を過ごしていた。
球場から戻って三十分ほど経った頃だろうか。しばらく席を外していた沢崎が急いだ様子で自身のデスクに戻ってきた。そしてすぐさま、部下たちを呼んだ。今、課内にいるのは龍吾も含めて五人だ。
「おい、少しまずいことになった」
沢崎は苦虫を噛み潰したような顔で少し俯き、そう言った。
「桜の事件で何かあったんですか?」
龍吾が質問する。
「実は、桜に関係していないこともないが、さらにもう一つ事件が発生したんだ。しかも今度は、誘拐だ」
龍吾は一瞬、硬直してしまった。語気は自然と強まる。
「誘拐って、さらわれたのは誰ですか!」
沢崎は逆に、冷静に言葉を返す。
「大和地区の小学生だ。だが、今回も事件は本部で処理すると言っている。犯人から県警に直接連絡が行ったらしい。その小学生は今も所在不明で、いたずら電話ではない可能性が高い」
「それで、俺たちは何をすれば?」
「それなんだが、実は犯人は桜の爆弾殺人の犯人であるとも告げたらしい。そのため、今回の誘拐についても本部で処理をする。だから、俺たちの出番は無い。恐らく詳しい情報が貰えるのも本部での記者会見と同ラインだろう」
龍吾は荒々しい口調で反論した。
「課長!何言ってるんですか!大和地区と言えば俺たちの管轄でしょう。それなのに何もするなって言うんですか!」
沢崎の顔も悔しそうだ。
「俺だって悔しい。俺たちがここにいる意味が否定されたんだからな。だが、上からの命令に背くことは出来ない。お前たちの気持ちも分かるが、こらえてくれないか」
龍吾は唇を噛んだ。それはその場にいたほかの刑事も同じだった。目の前で事件が起きている。だが、自分たちには手伝うことすら許されない。その歯がゆさから龍吾は机を一度叩き付けた。
結局、待機命令は解除され、一課の刑事たちはそれぞれの持ち場に戻ることになった。そして、龍吾も追っていた窃盗被疑者の自宅周辺に再び向かうため、準備をしていたところだった。
「堂山、ちょっといいか?」
沢崎だった。一課入り口のドアの前で手招きしている。
「あ、はい」
沢崎の後に続いて部屋の外に出た。廊下には誰もいない。
「ちょっと、頼まれてほしいことがある。本部のことだ。お前は相当、ご立腹のようだが、実は俺も、今回の事に関してはどうしても納得がいっていない。そこで、お前は今日からしばらく休め」
「ど、どういうことですか?俺は仕事すらさせてもらえないんですか?」
沢崎は、軽く龍吾の肩を叩いた後、その手で数回、肩を揉みほぐすようにして宥めた。
「まあ、最後まで話を聞いてくれ。今回の事件については殺人と誘拐の二つが同時に、関連して起こった、恐らくこれまでの県警の事件の中でも三本の指に入る事件だ。だが、本部の動きがどうもおかしい。こちらへの対応も、情報をほとんど下ろしてきていない。いつもと何かが違うのは明らかだ。こんなことを頼むのは心苦しいが、表面上は休暇ということにして、本部で、そして現場で何が起きているのかを調べてくれないか」
「でも、そんなに突然、休んだら本部が怪しまないですか?」
「それも大丈夫だろう。今、本部の意識は、まずここにはない。いつも以上に。しかも、職務中に不審な動きをするよりは、休日扱いにした方がマークも薄くなるだろう。安心しろ、何かあったらお前が休日取得中にやったことだろうと、俺がきちんと責任を取る。一課のほかの連中には俺からこっそりと理由を伝えておくから、周囲の目も気にする必要はない。何より、みんなが悔しさを抱いているのは同じだからな。やめろと言う奴はおらんだろう」
「分かりました。とりあえず、身近なところから探ってみます」
龍吾は一旦、自分を落ち着かせて沢崎に問いかけた。
「課長は福井民報の山久はご存じですか?」
「ああ、知っているが。あの生真面目な奴だろう。俺が南署の刑事だった時に何度か現場で話をしたし、俺がここの課長になってからも、たまに顔を見せに来るからな」
「生真面目なのは仕事中だけですが」と前置きした上で、龍吾は沢崎に山久が同級生であること、そして、今回の事件について、まず山久に本部の様子を聞いてみようと思っていることを打ち明けた。
普段はわざわざそんなことは言わないが、今回は緊急事態だ。沢崎に隠れて合うのは、龍吾はどうしても気が引けた。
「そうか。分かった。下手をすればこちらより記者の方が情報を掴んでいる可能性だってある。お前については信頼しているし、これまでの行動を見てもお前が簡単に情報を漏らすような奴だとは思っていない。全て判断はお前に任せる。だから、頼んだぞ」
沢崎の手に捕まれた右肩がずしりと重かった。龍吾は「分かりました」と返事をすると、福井署を後にした。
龍吾は早速、山久に連絡を取り、直接話したいことがあると伝えた。山久から午前一時に自宅に来てほしいと告げられ、時間通りに山久の家を訪ねた。
インターホンを鳴らし、勝手にドアを開けて部屋に入る。来る途中にコンビニによってビールとつまみを買い込んできた。
すでに休日扱いになっていたため、山久の家に泊まり込もうと龍吾は考えていた。
「すまない。夜分に。少し飲むか?」
「お前、今日泊まるつもりか?」
「はは、たまにはいいだろ?話もおそらく長くなるだろうからな」
「おいおい、本気かよ」
「まあ、とりあえず座れって。宿泊代以上の価値ある情報だぞ」
龍吾は、これだけ大きな事件であるにも関わらず、県警が応援を要請していないこと、自分たちだけで捜査すると頑として主張していること、龍吾が感じる不自然な点を山久に伝えた。
「いやあ、俺もそれだけじゃあ何とも言えないが。ただ、報道協定が結ばれていることを考えれば、やっぱり情報が少しでも漏れることを危ぶんでるんじゃないか。それ以外、パッとした理由は思い浮かばない」
その言葉を聞く限り、山久も自分たち以上の情報は掴んでいないようだった。
恐らく、記者にまでも本部の情報は全く下りていないのだろう。報道協定が結ばれているのだから、記者連中も下手に動くことは出来ない。
情報が漏れる隙間、漏らしてもらえる隙間はかなり狭まっている。そんな中で記者たちは何とかして情報を得ようともがいているのだろう。
その夜、龍吾は山久とひとしきりビールを飲んだ後で、そのまま山久が用意してくれた、フロアに直に敷いた布団に潜り込んだ。
山久は警察には分からないように、独自で動くと言っていた。こちらも同じような特命を受けている。ここはやはり協力して動くのが得策ではないか。沢崎もこちらの判断に任せると言ってくれた。
とりあえず、こちらは警察の関係筋をそれとなく当たり、情報を得ることが一番最初にやるべきことだ。龍吾はそんなことを考えながら目を閉じた。
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