1.堂山龍吾・6月1日②

「もしもし、龍吾(りゅうご)か?俺だ、山久だ」

「何だよ。お前かよ。いったい何だってんだ」

 そう言いながらも、電話が掛かってきたタイミングから推察して「もしかしたら、こいつはすでに誘拐事件について何か掴んでいるのかもしれない」という予感が龍吾には飛来していた。

「いいか、落ち着いて聞いてほしい。うちの会社のデスクに変な犯行予告があった」

「犯行予告?どんな」

「これはガセネタかもしれない。だが、念のため連絡はしておいた方がいいと思ってな」

 ビンゴ。やはり、山久は知っていた。ただ、あまりこちらからけしかけて大事にはしたくない。

「そうか。だが、その犯行予告については、こっちもある程度のことは、すでに掴んでいる。だから、球場の中には私服警官だらけだよ。大丈夫だ」

 龍吾は余計な不安を与えまいと、そう答えた。もし、ここで何も起こらなくても犯行予告があったと言うだけで記事になりそうな話でもある。

 ここは情報をあまり語らず、慎重に接することが無難であるとの選択肢を龍吾は選んだ。

「それは、本当に大丈夫なのか?何か嫌な予感がするんだが」

 嫌な予感。それだけは大きく龍吾の心中に引っかかった。昔から山久の「嫌な予感」は当たることがあった。

 それは五回に一回程度当たるというものだったが、その嫌な予感が当たった時が厄介だ。当たった場合のその「事実」はこれまでにも、龍吾の想像を超えて大きいものだった。


 あれは高校の時だった。二人が通っていた高校には生徒たちのアイドル的存在だった若い事務員がいた。

 確か年齢は二十代半ばで、芸能人としてテレビに出ていてもおかしくないような美貌の持ち主で、教員の中でもアタックして激しく砕け散った人間が山ほどいたらしい。

 ある日、山久が「嫌な予感がする」と言い出した。

 山久が言うには、教員の中でも、四〇代でぽっちゃり体型、筋の通らないような言い分で生徒をとにかく叱りつけることから、生徒たちからひどく嫌われていた男性教諭、通称「フーセン」(これは体型が風船のようだったり、怒るとその顔が風船のように膨らんだりすることなどから名付けられたと思われる)と、その事務員が話している姿を見た時に感じたという。

 学校内で教員と事務員が話すことなど日常茶飯事で、その様子に、どのような違和感を覚えたのかは分からないが、山久はその一日、ずっと「嫌な予感がする」と言い続けていた。

 一方で、それまでの山久の「予感」は、ことごとく外れていた。同じクラスになった二年の一学期の期末テストの結果は、龍吾が山久のヤマを当てにしたもののあえなく撃沈。球技大会の優勝クラスも、「うちのクラスは勝てない気がする」と山久はこぼしたが、その「予感」に反して、自分たちのクラスがきっちり優勝するという結末を迎えた。

 そのため、龍吾には「また気のせいだ」という気持ちも少なからずあった。

 ただ、その次の日。男性教諭と男子生徒たちの間を驚愕の事実が駆け巡った。

 それは、学校のアイドルとフーセンの結婚の報だ。

 その話が山久と龍吾の耳に入ると、二人揃って肩を落とした。

 ただ、衝撃を受けたのは二人だけではない。その日だけは学校中の男子が覇気の無い顔で授業を受けていた。

 そして、独身の男子教諭たちも皆一様に、落ち込んだ表情で授業を進める姿が各クラスで見られた。

 その時に初めて的中した山久の「嫌な予感」は、それ以降も何度か当たり、周辺の友人たちがデータをとって、「五回に一度くらいは的中する」という事が立証された。

 

 桜が絡んでいるだけあって、万が一のことが起きた場合には、事態は深刻になる。

 ただ、龍吾としてもまだ何も起こっていない段階で騒ぎ立てて、事を大きくしたくもない。

「もし、誘拐されたとしても、それを逃さないような万全の包囲網を敷いている。誘拐なんてできない」

 龍吾の返答を待って、受話器の向こうで山久が「それならいいんだ」と言った後、電話は切れた。

 龍吾の胸には捕らえどころのないような、暗い思案がやはり漂っている。

「課長。今から球場に行きたいんですが」

課内に戻った龍吾はすぐさま沢崎に直訴した。

「何だと?その必要は無いと言っているだろう」

 沢崎は明らかな不満顔で制した。

「それはそうですが、今回は何か変な感じがするんです。胸騒ぎというか。本部の知り合いにあったら偶然通りかかったとか言って、上手くごまかしますから。お願いします」

「まあ、本来なら応援に行ってもおかしくないケースだし、迷惑さえ掛けなければ、お前がいることで不都合になることは無いだろう。好きにすればいい」

「分かりました。何かあったらすぐに報告します」

「そうだな。応援に行く可能性もあることだし、状況は分かる範囲で伝えてくれ」

 龍吾は深く一度頷くと、荷物を抱え、嵐山を連れて署を飛び出ていた。


 球場に着くと、始球式のボールを運んでいるのと思われるヘリコプターが空を旋回していた。

 桜はもうすでにグラウンドにいる。そう考え、龍吾は受付で警察手帳を示し、一塁側のスタンドに向かった。

 階段を上り、通路を進む。そして球場内が見えるかどうか、という所だったと思う。

 マウンドには一人の男が立っていた。桜だった。

 だが、次の瞬間に「ドン」という音が聞こえ、桜の周りが閃光と大きな煙に包まれていた。

 一瞬、目を疑った。誘拐事件ではない。目の前で起きているのは爆破事件だ。

 龍吾は瞬間的に混乱したが、すぐに冷静さを取り戻した。桜の容態は大丈夫だろうか。それを気に掛け、来た道を戻って一階に戻り、今度は関係者通路からグラウンド目指して中に入っていった。

 球場に足を踏み入れようとした時だった。一人の警察官に中に入ることを止められた。

「おい、俺は福井署の刑事だ。中に入れてくれ」

 よく見ると、その男は同期で警察官になった藪中信治だった。

「あれ?堂山か?」

「おいおい、藪中じゃないか。丁度良かった。中に入れてくれ」

 藪中は渋い顔でそれを拒否した。

「すまない。それはできない」

 龍吾はすかさず反論した。

「何故だ。俺も福井県警の刑事だろうが。入る権利はあるはずだ。実際に中には何人か刑事が入ってるだろうが」

「いや、あれは本部の人間だ。上から本部の人間以外は決して通すなと言われている。それが所轄の刑事でもだ。念を押されている。申し訳ないが、ここから中に入れることはできない」

「はあ?理屈が通ってないだろ?現に爆弾事件が起きてるんだぞ。俺たちは県警全員で事件を解決する。それは当たり前の事だろうが!」

 龍吾は通常であれば、周囲十メートルの人間は必ず振り返るであろう声量で、藪中を問い詰めた。だが、その声は周囲の喧噪がかき消していた。藪中も表情を少しばかり歪めて反論した。

「勘弁してくれ。俺も通してやりたいのはやまやまだが、上からの命令は絶対だ。逆らえないんだ。お前だって分かるだろう」

 その表情を見ているうちに、龍吾の脳はトーンダウンしてしまっていた。

「そうか。無理を言って済まなかった。ただ、桜の容態はどうだ?何か聞いてるか?」

「恐らく駄目だろう。身体がバラバラになってるとか言ってたから、たぶん即死だ」

「くそっ!」

 龍吾は自分の目の前で爆弾事件が発生し、それに対して何も出来ない状況に苛つきを隠せなかった。

 龍吾は来た道を再び辿り、一階の入り口前に戻った。目の前では観客たちが目まぐるしい速さで球場外へと避難していく。その流れとは逆流する男の姿が目に入った。

 あれは山久か。龍吾は山久の所に駆け寄り、声を掛けた。驚いて山久が「龍吾!」と声を上げた。

 確かに龍吾は誘拐は警戒していた。それは山久も同じだろう。ただ、ここで桜が爆弾によって殺されることはまったく予想していなかった。

「ああ、俺も何だか心配になって、様子を見に来たんだが最悪な事態になっちまったな」

「桜の容態は分かるか?」

 龍吾は先ほど藪中から聞いた情報をそのまま伝えた。おそらく、こうなれば本部の方で事件について発表することになるだろう。今、この状況を教えても支障は無いだろうと判断した。

「いや、俺がさっき聞いた限りではおそらく即死だろう。中に居た警察官が、『桜さんの身体はバラバラになってます』って言ってたから」

「テロの可能性もあるか?」

 テロ。米国で起きた同時多発テロ事件以来、マスコミは「テロ」という言葉に敏感に反応する。民間人が巻き込まれた、あれほど悲惨で大規模な事件が大国で発生したことで、すでに他人事ではないとの意識が芽生えているのだろう。

「まあ、被害者が国会議員だからな。その可能性もあるだろう。まあ、これから捜査してみないと分からんが」

「そうか、また桜の容態を聞くかもしれんが、よろしく」

「おいおい、俺はまだまだ新米刑事だぞ。そんな下っ端の言うことを信用していいのかよ」

 龍吾と山久が同級生であり、ちょくちょく連絡を取り合う仲であることは、まだ警察内部には知られていない。

 新聞記者と仲が良いと言うだけで、情報を漏らしていると疑われることもあるため、日頃から龍吾は気を張っていた。

 一方、山久の方は怖いものがないからか、遠慮なく捜査情報に探りを入れてくる。

 ただ、山久も龍吾の立場を考えて、龍吾が口を重くした事については、それほど深くは追求して来ないことも分かっていた。

「お前は信用できる奴だよ」

 刑事と新聞記者。時には意見をぶつけ合いながら喧嘩をし、時には同じ事件について情報を提供し合う。立場が正反対の時もあれば、同じ方向に向けて協力することもある。

 こんな大事件の時こそ、両者が手を組む時ではないか。龍吾はそんな感情を抱きながら、山久の背中を見つめていた。

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