3.山久・6月3日①

 山久が目を覚ましたのは翌日の午前六時四十分を少し過ぎた頃だった。周囲を見回すと他社の記者たちも、それまでの山久と同様に眠りこけていた。

 この様子からすると、自分が寝ていた間も大きな動きは無かったのだろう。もしあったとしたらどんちゃん騒ぎになり、その喧噪から必ず起きる自信もある。

 山久は何も無かったことを確認をするために久米の姿を探した。ただ、声を掛けようとした久米はクラブ内には不在だった。

 トイレにでも行っているのだろうと考え、山久はテレビを付ける。クラブのテレビのチャンネルは、各局がこぞってニュースを流す時間帯以外は、NHKから変わることはほとんど無い。昨夜、誰が消したのかは分からないが、この時もテレビを点けると、NHKが最初に映り、ニュースが流れていた。

 国政や殺人事件、海外のテロとさまざまなニュースが流れる中で、桜の爆弾事件に関する報道は、手がかりが掴めないからか、それとも誘拐事件と関連しているせいか、全く流れることは無かった。

 福井県ではこれだけ大きな事件が起きている。それが今、世の中には全く知れ渡っていない。

 確かに、他県の関係ない大多数の人間たちは、今日もいつもと変わらない日常を過ごすだろう。この事件が報道されないことで影響がある人間は、ほとんどいない。

 山久はいつも抱いている疑問をあらためて自身の胸に問いかけていた。

 一体、報道とは何なのか?ニュースを流すことで、未然に悲しい事件や事故を本当に防ぐことが出来ているのだろうか。記者の役割とは一体何なのか。新聞やテレビなどの報道機関は、本当にその役割を自覚しているのだろうか。

 確かに会社である以上、売り上げが無いことには成り立たない。そんな事は分かっている。ただ、売り上げや視聴率ばかりを気にしてしまっては、本来の「報道」の目的を見失ってしまう。

 そして、現段階でそうなっている新聞社やテレビ局も少なからずあるのではないか。

 答えなど出ないような疑問を自身にぶつけ、考えているうちに、山久はある一つの現状に気付く。

 当たり前のことだが“自分たちは今、報道としての仕事が出来ていない”ということだった。

 もっとはっきり言えば“自分たちが掴んでいる今回の事件に関することを世間には公表できていない”ということだ。それも一社だけではなくクラブに加盟している全社が。

 福井県では初めて、山久にとっても当然未体験のことだったが、そこで襲ってきた違和感は強烈だった。

 久米が記者クラブに戻ってきた。

「どうしたんだ?何かあったのか?」

「いえ、それが」

「はっきり言えよ」

 久米の表情は冴えない。

「山久さん、煙草吸いに行きませんか」

 久米は煙草は吸わない人間だ。何か言いたいことがあるが、ここでは言えないということだと山久は悟り、県警横の駐輪場に併設されている喫煙所へと向かうことにした。

 駐輪場に着くと、爽やかな初夏らしい風が吹き、人工的な喫煙所を心地よい空間に作り上げていた。

「一体、どうしたんだ?」

 久米は「実は」と言いながら、さらに山久に近づいてきた。

「実は、さっきトイレに入ってたんですよ」

 山久は小さく笑い声を漏らす。

「やっぱりな、俺の予想は当たってた」

 山久の軽い口調にも、久米の表情は全く緩まない。

「ただですね、変なことを聞いちゃったんですよ」

「変なこと?」

「ええ。ついさっきなんですけど、腹痛で起きてから、すぐトイレに行って奥の個室に入ってたんです。そしたら、『あの子の様子はどうだ?』って。そしたらもう一人が『大丈夫です。ぐっすり休んでます』って。さらに『あと五日の辛抱だから頑張ろうぜ』って」

「何が変なんだ?どうせ、そのサツカンの子供のことだろう」

「声だけでは誰か分からなかったですが、これだけ大きな事件が起こってて、こんな時間に本部にいるのは広報室か刑事くらいじゃないですか?思い過ごしならいいですけど、“あの子”っていうのがどうも引っかかって。もしその“あの子”っていうのが荻野修哉だったらどうしようかと思いまして」

「それは考えすぎじゃないか。それなら荻野修哉は警察に身柄をすでに確保されているということになるじゃないか」

 久米は困ったような表情を浮かべ、腕を組んだ。

「そうなるんですよね。ただ、どうしても自分には“あの子”が荻野修哉だと思えてしまって。それで山久さんには知らせておこうと思ったんです」

 山久は一度うなった後、こめかみに右手の人差し指を当てて思考を巡らせた。

「なるほど。ただ、そうなると五日後の意味が分からない。五日後には何かイベントや特別な意味合いの日はあるのか?もしかしたら自分の子供の誕生日なのかもしれないしな」

「確かに、そういう風にも聞こえますね。ただ、それなら『休んでる』ってことを強調する意味がないように思えて。会話の流れから『五日後』と『休んでる』事は何か関係があるってことではないですか?」

「ま、今の段階では何のことかは分からないな。ただ、五日後に世間で何か大きな出来事や記念日なんかがあるかどうかを、念のため調べておいてくれないか?」

 久米はこっくりと頷き、「分かりました」と応答した。

 

 クラブに戻ると、山久は自分のパソコンとノートを肩掛けの鞄に突っ込んでいた。もう一度、荻野修哉の自宅がある大和地区に行こうと思案していたからだった。

 子供たちは修哉の行方不明について「噂で聞いた」と言っていた。

 もし、噂が回っているとすれば、それを一番最初に言い出した人物がいるはずだ。

 話の内容は限りなく事実に近い。とすれば、その人物が誘拐される現場を目撃している可能性は高い。ただ、誰がその噂を流したのかを特定するのは難しいだろうが、一般人を装って、その噂がどこまで広がっているかを確認するのは可能ではないだろうか。

 県警の地下駐車場から車を発進させた山久は、大和地区に向かった。

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