2.山久・6月2日⑤
二人が話し終わるのと同時に長谷川がクラブ内に入ってきた。心なしか顔が少しやつれて見えた。
山久が長谷川と初めて顔を合わせたのは入社してすぐのことだった。当時は福井署の広報窓口となる警務課長を務めていたため、少なからず面識があった。それ以降、県政担当になってからも、県庁と県警が隣り合っていたため、ばったりと会うこともあり、その度に短いながら世間話をしていた。
山久はソファから腰を上げ、長谷川に話しかけた。
「どうですか?ちょっとは進展ありました?」
長谷川は首と横に振ると謝罪の言葉を口にした。
「すまない。こちらには何も入ってきていない。逐一、情報提供をしなきゃあかんのは分かってるんだが、一課の方も手がかりが少なくてあまり芳しくない状況だ」
「そうですか」
「申し訳ない。山久みたいに物分かりが良い記者ばかりなら俺も助かるんだがな」
「いや、私も物分かりが良いわけじゃないですよ。でも、今回は本当に自分自身が混乱しているから何も言えないだけです。犯人の狙いが全く分からない。少なくとも今まで取材してきた事件の中で一番の難事件です」
長谷川は一つ、ため息を吐いた。
「俺も福井だけじゃなく、他県のいろんな事件をリアルタイムで見たり、資料を読んだりしてきたが、ここまで犯人の姿が見えないのは初めてだ。だから、何だか不気味でな」
「私も何だか、不穏というか気持ち悪いというか、言葉では表せませんが嫌な感じがするんですよ」
「ただな、普通であれば少しずつでも何か情報は得られるはずなんだがな。課長の八幡は昔から一緒に刑事をしてきた戦友みたいなもんだ。嘘を言うような奴じゃないし、おそらく本当に捜査が進まないんだろう」
山久はしばらく心に留めていた考えをぶつけてみた。
「もし、警察側の捜査に落ち度がないとすれば、犯人がなんらかの意図に沿って影で捜査を妨害しているという可能性はないですか?」
長谷川は首を捻る。
「まあ、普通は犯人側が捜査をしにくいように工作することは考えられる。そんなの当たり前のことだろう」
山久は、その反応を否定するように考えを説明した。
「いや、そうじゃなくてですね。今回の事件の場合、妨害をするにしても方法が変でしょう。今のところの目立った妨害としては要求を伝えてこないってことでしょうか。こちら側との接触の機会を減らし、手がかりも与えずに済む。こちらからしたら手がかりがないというのは何よりつらい状況だ。ただ、要求を伝えてこないっていうのが引っかかるんですよ。何らかの意図というのは、本来の誘拐の目的である営利誘拐などとは違った、ある特別な意味を持った妨害工作なのではないかと」
「その特別な目的って何なんだ」
「それが分からないから、混乱してるんです」
「それじゃあ、俺もお手上げだ」
長谷川は少し困ったような、だが微笑みを含めた表情でそう答えた。山久はここで龍吾から聞いた情報について聞いてみることにした。
「あの、今回、帳場はここですよね」
山久は地面を指しながら確認する。
「ああ、そうだが」
「所轄から応援は来てないんですか?」
「いや、来ているはずだが。それは重要な話か?」
来ている?そんなはずはない。山久はそれとなく追求した。
「あ、すいません。ちょっと気になっただけです。まあ、普通は応援を呼びますよね」
「当たり前だろ?もし来なかったら人が足りん。そうなれば、進む捜査も進まんよ」
そういうことか。山久は納得した。この時点で、龍吾が嘘をついている可能性と、室長が嘘をついている可能性は両方考えられるが、一番考えがスムーズなのは“二人とも嘘をついていない”というパターンだ。龍吾が言うように所轄からの応援は来ていないから捜査はなかなか進まない。ただ、室長は一課から「応援は来ている」と言われていて、記者たちには「来ているはず」と対応する。長谷川はそんなに嘘を上手くつける人間ではない。昔から付き合いのある山久ならすぐに見抜くことは可能だ。何より、山久の直感は二人ともが真実を言っていると告げていた。
「分かりました。変なこと聞いてすいませんでした」
「いや、いいんだよ。それより、西園寺。お前大丈夫か?顔がしんどそうだぞ?」
山久の後ろで会話の行方を見届けていた西園寺が「心配いらない」とでも言うように手を横にひらひらと振った。
「私は大丈夫です。もうしばらくしたら代わりの人間が来るんで、そこで一旦休みますから」
「まあいいが、お前たち無理して身体だけは壊すなよ。犯人逮捕の時にはバーンと大きく出してもらわんと困るからな」
長谷川も相当疲れているのだろう。そう言って笑う口角は、きちんと上がりきらずに愛想笑いのような変な形になってしまっていた。
長谷川が広報室に戻ると、西園寺は交代要員が来るまでの間、ソファで目を閉じていた。生真面目な性格が故に、普段なら交代が来るまでは寝ないような人間だが、この日はさすがに我慢ができなかったようだった。
一方の山久は、これまでしばらく寝ていたためか、眠気はすっかり覚めていた。そして西園寺からの情報を踏まえて、今後の対策を練っていた。
まず、国会議員が姿を消したという事について、確認を取らなければならない。それは何人かの後輩に頼めば、電話で確認してくれるだろう。
ただ、タイミングがタイミングだ。桜の爆弾殺人、誘拐と県内ではこれまで起きたことの無かったような事件が二件続けて起きた。その裏の自分たちの目が届かないところで、何かが起きているのではないのだろうか。
思考を巡らせるほど、山久は次第にその考えを強めていった。
山久はすぐさま、後輩二人に電話を掛け、県内選出の国会議員四人の所在を確認してもらうように頼んだ。
もちろん、表面上は取材と称して秘書に電話を掛けてもらう。どこにいるかをそれとなく聞いた後は、誰かに東京に向かってもらい、確認してもらえばいいと考えていた。
それからしばらくしても県警の中は相変わらず静かだった。
時刻は午後十一時半を回っていたが、一課から情報提供される様子は全くと言っていいほど無かった。久米はというと、瞑想がいつの間にか眠りに変わっていたようで、いびきを立てながらソファをずり落ちそうになっていた。
西園寺を始め、他社も幾人かがクラブ番を交代し、ある者は机に座りながら眠り、ある者は犯人が捕まった時のための予定稿だろうか、パソコンに向かってキーボードを叩き続けていた。
山久の携帯が鳴る。
「もしもし、山久さんですか?」
「お疲れさん。どうだ?居場所は掴めたか?」
電話の相手は福井市政担当の宗田昭一(むねた・しょういち)。国会議員の消息を辿るよう頼んだ一人だった。
「それが、駄目でした。私の方で情報をまとめましたが、四人の議員全員の秘書が電話に出ません」
「そうか。まあ、たまたま捕まらんだけということも考えられる。申し訳ないが、明日の朝一で各議員の東京の事務所に連絡して確認をしてもらえないか」
「ええ。分かりました。それなら明日電話してみます。山久さんは、今日は県警に泊まるんですか?」
「ああ、そうするつもりだ。今日の泊まりは誰だ?」
泊まりとは当番制で会社に泊まり、深夜や早朝の時間帯に事件事故などに対応する記者のことを指す。
「ああ、それなら俺です。もし何かあれば、何なりと言ってください」
「そうか。お前なら安心できるな。動きがあったらすぐに知らせるから」
山久は電話を切ると、ソファに横になった。昼間に荻野修哉の自宅周辺を歩いた事が予想以上に疲労をもたらしていたのだろう。目を閉じると、先ほどのものとは違う深い眠りに、いつの間にか落ちていた。
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