2.山久・6月2日④

 福井民報の本社はJR福井駅前にある。堀に囲まれた福井城跡の石垣の上に建てられている県庁と県警の庁舎へは徒歩五分の距離で、福井市役所もすぐそばだ。官公庁の取材では非常に便利な立地場所と言える。

 山久が県警の記者クラブに入ると、後輩で県警キャップの久米忠義(くめ・ただよし)がソファに腰掛けて目を閉じていた。眠っているわけではなく、何やら考えているようだった。

「おい、久米」

 山久が声を掛けると、「ひっ」っと声を上げて、今にも飛び上がりそうな勢いで立ち上がった。

「あ、山久さんでしたか。びっくりしましたよ。すいません、いろいろ考えてたもんで」

「逆にこっちがびっくりしたよ。どうしたんだ?結構、思い詰めたような顔してたが」

「やっぱり、俺は外に出ないと駄目みたいです。ここで何も出来ずに情報が出されるのを待つなんてしんどすぎて。それで、自分の気持ちを落ち着かせようと試してたんですが、もう、なんて言うんですか、どんどん迷宮に入り込んだみたいに、深みにはまってしまって」

「そうか。まあ、気持ちは分からんでもない。それで、どうだ。新しい情報は入ってきたか」

 久米は怪訝な表情で首を横に振る。

「それが、全然駄目です。警察は本当に捜査しているんですかね。あの会見以降、警察も定期的に会見を開いてるんですが、肝心の情報についてはだんまりだ。クラブ内では捜査情報が隠されているんじゃないかと疑問視する声まで出始めてます。確かに要求が無ければ、それ以降、犯人側からの接触がないのもしょうがない。でも、それにしても静かすぎます」

「そうか。広報室長はどうだ?何か掴んでる様子はないか?」

「長谷川さんもかなり悩ましげな感じですよ。クラブの記者を抑えておけるだけの情報が無いんですから」

「他社の記者も相当、室長を追い詰めてるんだろう」

「そりゃもう、恐ろしいですよ。総攻撃という感じですね。私が室長で情報を持ってたとしたら、完全に教えてますね」

「なるほど。室長は確か刑事畑だったよな。今の一課長とも仲が良かったはずだが」

「ええ、この事件前までは課長が良く広報室に来て、仕事の話の後でもいろいろ話してたのは見てましたが」

「それでも室長まで情報が来ていないと言うことは、本当に捜査が進展していないのかもしれん。とにかく、これからしばらくは俺もここに詰めるからよろしく」

「分かりました。知ってると思いますけど、うちの机は一応二つありますんで、私の隣を使ってもらえばいいです。ま、使う状況になれば良いんですけどね」

 山久は持っていた鞄を机の上に置くとソファに腰を下ろした。久米の方を見やると、少し離れたソファに再び座り、眉間に皺を寄せながら瞑想していた。

 山久も目を閉じる。それは彼の意思ではなく、その日の疲れから来る自然な睡魔だった。


 山久が起きたのは午後八時を回った頃だった。

 気付くとクラブ内のソファには各社の記者たちが勢揃いして、皆一様に眠っている。

 テレビに目をやると、NHKのニュースが丁度、流れていた。まだ、完全には覚めていない脳のまま、目はなんとなく字幕を追うような感じで、しばらく画面を見つめていた。

 すると、背後から肩を一つ叩かれた。日福テレビの西園寺だった。

 西園寺との出会いは今の会社に入社して一ヶ月ほどした頃だった。新聞記者はまず最初に警察署回りの役目を与えられる。それはテレビ局の記者も同じ事だ。

 研修を終えて、早速記者としての役目を与えられた山久は先輩に連れられて、福井署に向かった。警察の幹部に新人記者として挨拶をしにいくためだ。

 そこで偶然、日福テレビの記者とバッタリ出くわした。

 こちらが無事挨拶を終え記者室で先輩から話を聞いていると、相手側も新人記者がベテランの記者に連れられて、記者室に入ってきたのだった。

 そこで出会ったのが西園寺だ。もちろん、最初から仲が良かったわけではない。どんな人間性かも分からないため、初めはむしろ警戒心の方が強かったように思う。

 それから一ヶ月ぐらい後だっただろうか。

 福井市内で殺人事件が発生した。年老いた両親と、五十歳を過ぎた息子の三人暮らしだった家だが、息子が両親を殺害したのだ。第一報が飛び込んできたのは夜中の二時。山久は現場に駆けつけたが、西園寺もその場にすでに到着していた。

 何度か他の現場で顔を合わせていたため、この時もお互い会釈をする程度だったが、一通り、近所の住宅で聞き込みをした後、福井署に上がると、記者室には西園寺と山久のみが居た。

 殺人事件といえども、すでに犯人が捕まっている場合と、逃走している場合、犯人が身内である場合と、そうでない場合、殺害の動機が怨恨などである場合など、状況によって、記事の大きさは大きく異なってくる。

 今回の場合は犯人が身内で既に逮捕されており、聞き込みによって介護疲れによる殺人だったことがぼんやりと分かっていたため、主要な全国紙は警察署まで上がるという選択はしなかったようだった。

 山久は西園寺に何となく話しかけた。

「西園寺君…だっけ?」

「うん?ああ、西園寺。君は山久君だよね」

 ぎこちないやりとりだったが、お互いとも記者の生活に慣れ始めた同じ警察署回りの者同士。会話はすぐに弾んだ。

 山久は最初、「あまり話をしないし、暗そうな奴だ」とすら思っていたが、西園寺は無口ではなく、それなりに話をしたがる人間なのだと言うことも、そのやりとりで知ることが出来た。

 新聞記者というものはなんだかんだで、同期とは繋がりが深くなる。同じ境遇を体験し、同じ時間を共有するのだから、それは当たり前なのかもしれないが、山久にとっては、これだけ記者としてのスキルが優秀な同期に巡り会えたことは、自身にも大きく永久下と持っている。


「お疲れさん」

 そう笑顔を向ける西園寺の手には缶コーヒーが二本、握られていた。そのうち一本を山久の手に押しつけるように渡した。

「お前か」

「かなりお疲れのようだな。どうだ?特ダネは取れそうか?」

「はっ。よく言うよ。お前だって目の下にくまが出来てるぞ。相当無理してんじゃないのか?」

「俺は無理するよ。だって、県内初の誘拐事件だぞ。協定だって初めてだ。その状況の中に記者としていられる。それだけで、こんな幸福なことはない」

「お前はポジティブだな。俺は出来ることなら遠慮したいが」

「そりゃ、仕事は大変になるけどな。でも、ここで興奮しなかったら、記者じゃなくて普通の会社の営業とか、サラリーマンをやった方がいいぞ。俺も警戒する記者が減ってとても助かる」

「俺も興奮はしてるさ。じゃなきゃもうとっくに辞めてるよ。こんなしんどい仕事」

 西園寺は缶コーヒーのプルタブを引っ張りながら、山久の隣に腰掛けた。山久も気付いたようにふたを開ける。

 すると、西園寺は山久の耳の辺りに顔を近づけ、小さな声で問いかけた。

「なあ、国会議員の話なんだが、何か聞いてるか」

「国会議員がどうかしたのか?」

「まだ、聞いていないのか。それじゃ、情報を提供してやろう」

 西園寺の口調は、山久の反応を面白がっているような感じだったが、目は笑っていなかった。西園寺は周囲を一度ぐるっと見回し、他社の記者が寝ているのを確認した上で、さらに小さな声で語った。

「いや、実はな県内選出の若手の国会議員が姿を消した。それだけじゃない、桜に近かった他県の国会議員が何人か行方をくらませているらしい」

「どういうことだ?」

「なんだかよ、連絡が取れないらしいんだよ。公にはなっていないけどな。東京の方から入ってきた情報だ」

「本当か?俺は初めて聞いた。でもなぜそれを俺に?」

「俺は入社からずっと警察担当で政治については詳しく分からんからな。もしかしたら、単純に桜の密葬をどこかでやっているとか、みんなで今後の方針を話し合うためにどこかで集まっているとか、情報が錯綜している。ただ、全員と連絡が取れないというのはおかしな話だ。しかも桜絡みだからな。だから交換条件だ。お前がこの事について分かったことがあったら俺に教える」

「本気かよ。そんなの言うわけないだろ。俺たちは間違っても記者だ。もし事件に関係してたら他社のお前には絶対に言わないぞ」

「いや、言ってほしい。だって、俺はこの情報を教えたんだから」

「普通のことなら分かるが、状況が状況だ。そんな簡単には教えられない」

「そうか。だがな。俺は今回の事件につながる、さらに重要な情報を掴んだ。もしお前が教えてくれるとしたら、その重要な情報を交換条件で教えよう」

「何故、そんな提案をする?」

 西園寺は苦笑いで、質問に答える。

「俺一人じゃ、対処しきれない。何故なら、これは他社とか自社とかそういう問題では無くなってくるかもしれないからだ」

 山久は西園寺の思惑を読み取ろうと注意深く観察していたが、不自然な点はない。

「その情報は本当に重要なのか」

「ああ。それを聞いたら、もう自社とか他社とか言っていられなくなるくらいの最重要な情報だ」

「怪しいな」

「俺が掴んだネタだぞ。もうちょっと信用しろ」

「まあ、その辺に関しては信用できるか」

「よし、交渉成立だ。もし何か分かったら連絡してくれ」

「しょうがないな。本当に交換だからな」

「ああ。約束は守るさ」

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