2.山久・6月2日③

 その花屋は、店頭にずらりと、色とりどりの花が並んでいた。だが、店先からは店員の姿を確認できなかった。「こんにちは」と言いながら店内に足を進める。すると、店の奥のカウンターの下から、警戒を解いたすっぽんのように、男性の首がにょきっと伸びた。

「いらっしゃいませ」

 見た感じは五十歳前後だろうか。少し薄くなってきている頭と銀縁眼鏡が印象に残りそうだった。その風格から見るに、おそらく店主だろう。声は、見た目からイメージしていたよりも幾分か高かった。カウンター内でなにやら作業をしていたらしい。

「あ、すいません。お花を欲しいんですが、二千円ほどで適当に作ってもらえませんか」

「ああ、いいですよ」

 よいしょ、と立ち上がったその男性は早速、店先に向かった。山久も後ろに付いていくような形で追いかける。

「どんなのが良いですかね」

「そうですね。それじゃあ、オレンジや赤の明るい感じで」

 山久がふと店の前の歩道を見ると、先ほどの子供たちのように、何人かで下校する児童がいた。

「ここは通学路なんですね」

「ええ。しかもこの辺の子供たちは、結構ここを通るんで知ってる子も多いんですよ。自分の孫が毎年増えていくようで、私もここで子供たちと顔を合わせるのは楽しいです」

「けれど、最近、この辺に不審者が頻繁に出没するって聞きましたよ。そう言えば昨日もこの辺で出たって聞きましたけど、物騒な世の中ですよね。子供たちが安心して下校も出来ない」

 山久はなるべく自然な感じになるように、不審者についての話題を店主に向けた。

「そうなんですか?初めて聞きました」

「らしいですよ。確かここからちょっと行ったところだったと、知り合いから聞きました」

「そうですか。その割には昨日はこの辺は静かでしたけどね」

「へえ。それじゃあ、私が場所を聞き間違えたんですかね」

「ええ、そうかもしれないですよ。最近、不審者が増えているのは事実ですが、情報が警察に入ればすぐに近くの駐在所の警察官が駆けつけるんです。でも、昨日はそんな騒ぎもなかったし、近所の人からもそのような話は聞いていないですね」

 店主はそれから五分ほどで、美しい花束を作り上げ、山久に手渡した。山久はカウンターの上に代金を置いた。「ありがとうございました」との言葉を背に店を後にした山久は、その場所から修哉の自宅へと向かった。

 花屋から百メートルほど進んだ時点で左に曲がり、五十メートルほどで次は右に曲がる。そこからさらに百メートル進むと修哉の家が姿を現す。

 トータルの距離はおよそ二百五十メートル。花屋以降は住宅街が続き、人通りは少ない。昼から夕方の時間帯ならば路地に入ると、誰の目にも付かずに誘拐することも可能かもしれない。

 山久は修哉の自宅までは行かず、その少し手前で周辺を確認した。やはり、周囲は静かで人の気配は感じられない。

 山久はその場を確かめた後、帰社するために車を止めたコインパーキングに向かった。


 山久が会社に戻ると、フロアに入るなり富田が声を掛けてきた。

「どうだ、何か分かったか」

「ええ、当日の荻野修哉の足取りはかなり掴めました。ただ、肝心の誘拐された場所については、特定まではちょっと」

 山久は続けて、周辺の聞き込みで分かったことを富田に伝えた。

「なるほどな。だがな、犯人は何故、荻野修哉を狙ったんだろうな。おそらく身代金目的ではない。かといって、ほかに要求をしてくるわけでもなく、ただ、だんまりを決め込んでる。何か目的があるとすれば一体、何なんだ」

「それが私にも分からないところです。ただ、目撃者もおらず、誘拐場所は人気の少ない所です。それだけでも計画的な匂いはします。最初は、犯人は誰でも良かったのかもしれないと思いましたが、何も求めてこないことは引っかかります。何か荻野修哉でなければならない特別な理由があったのかもしれません。それが何かは分かりませんが」

「そうだな。そもそも犯人が本当に桜殺しの犯人でもあるなら、一連の流れから考えると計画性がある。むしろ、そうでなければ、このスピードで、立て続けに二つの事件を実行するなんて考えられん」

「とりあえず、私はこれから県警に行ってきます」

「分かった。今のところ、目新しい情報は入ってないが、しばらく県警に詰めててくれ。何か起きたら動いてもらうことになる」

 山久は「はい」と頷いて会社を出た。

 山久は会社から外に出ると、ふと上方を見上げた。きらきらと光を反射する緑色の街路樹の葉が、風に何度も揺れていた。

「そういえばもうすぐ夏だな」。

 新聞記者をしていると、時の流れが速く感じる。さらに日付や曜日もただの記号となってしまい、季節の移り変わりに目を向けることはいつの間にか無くなってしまう。

「こんな時に、こんな事を考えているなんて、俺も結構冷静なのかもしれない」。山久は心中で呟きながら県警へと歩き出した。

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