2.山久・6月2日②

 時間は午後一時半。まだ、下校している小学生の姿は見えない。学校から修哉の自宅へと歩を進め、到着したらまた学校へ。その繰り返しを三回ほど続けた。

 あまり周囲を歩きすぎると、住民に怪しまれる。不審者と見なされた場合には警察に通報される可能性もある。

 そのような状況を考慮し、「これが最後」と心の中で決めた四往復目。学校の前からスタートしようとしていた山久の時計は午後三時を指そうとしていた。

 この時間帯になると小学生たちの姿がちらほらと見かけられるようになっていた。修哉が連れ去られた時間帯。この辺りの状況はどのようになるのか。

「こんにちは」

 小学校から百メートルほど進んだ地点で、修哉と同じくらいの児童たちが山久を追い越していった。人数は三人。全員が男児だ。山久は「あ、ちょっと」と、子どもたちを呼び止めた。

「ごめんね。ちょっと教えて欲しいんだけど」

 子どもたちの表情は、挨拶したときとは別人のように強ばっていた。声を掛けたことによって、警戒心を持たせてしまったようだった。山久は敵意のないことを伝えるように出来る限りの笑顔で問いかけた。

「お兄さんはさ、最近、この辺りで変な人をよく見かけると聞いてやってきたんだ。そいつを探して、やっつけてやろうと思ってるんだけど、この辺で変な人とか怪しい人を見なかった?」

 子どもたちの表情はまだ幾分か緊張感を持っているものの、そのうちの一人が、おずおずと口を開いた。

「うーん、知らない。見たことない」

「聞いたこともない?」

「うん、聞いたこともない」

「そっか、それならいいんだ。ごめんね、ありがとう」

「おじさん、警察の人?」

 山久は少し戸惑ったものの、表情を変えずに答えた。

「警察ではないけど、それに近いね。うーん、なんて言ったらいいかな。まあ…正義の味方と言えばいいかな」

「じゃあ、秘密結社と戦ったりする?」

「ん。まあ、そんなところかも」

 山久の脳裏にこれまで場を踏んできた取材が蘇ってきた。

 昨年、発覚した県の土木部と建設業者による談合事件は取材した。各社の取材によって事件が公となり、県の入札制度も見直された。

 その事件もある意味、秘密結社との戦いと言えば、秘密結社によるものかもしれない。

 山久は「俺は嘘を言っていない」と頭の中で勝手に言い訳をした。

「じゃあ、僕たちも仲間にしてよ」

 そうきたか。山久は逃げ延びるための言い訳をする。

「正義の味方になるにはまず大人じゃないと駄目なんだよ。でもね、君たちも大人になればきっと、なれるよ」

「よし、じゃあそれまでに良いことをいっぱいするよ。そしたら仲間にしてね」

 子どもたちの表情にはいつの間にか警戒の文字は無くなっている。一転して山久は子供たちの憧れにも似た視線を目一杯浴びていた。

「そうだね。君たちが大人になるのを待っているよ」

 あまり話をし過ぎて子どもたちの記憶に残りすぎると、そこから保護者、学校へと自分の事が伝わってしまうかもしれない。そろそろ話を切り上げようと山久は「それじゃ」と手を振った。

 だが、子どもたちは無邪気に「どんな仕事をするの?」「スパイとか?」と質問攻めを続けてくる。

「ほらほら、あんまりここにいると、本当に悪い奴らが現れて君たちを連れ去ってしまうかもしれないよ」

 山久が声を掛けた瞬間に、子どもたちの表情は凍り付いた。

「ん?どうした」

「そ、そうだね。っていうか、お兄ちゃん、僕たちを家まで送ってよ」

「何で?今すぐ帰れば大丈夫だよ?」

「本当に?」

 子どもたちは何故か食い下がってくる。

「本当さ」

「でもね、僕たちの同じクラスの修哉君がいなくなったって聞いたから」

 山久は驚きを隠せなかった。

「ど、どういうこと?」

「あのね、今日学校に来たら修哉君はお休みだって。風邪ひいたって聞いた。でもさ、なんだか昨日から変だったんだ。昨日、学校から帰ってから修哉君と遊ぶ約束してたのに、修哉君を誘いに行ったらまだ帰ってないって。途中まで一緒に帰ったのにまだ帰ってないなんておかしいと思わない?」

「き、君たち、一緒に帰ったのかい?」

 三人ともが一斉に頷いた。山久の心拍数が一気に上がった。脳が急速に回転を速め、気付けばいつからか、その表情から笑みが消えていた。

「お兄さん、どうしたの?修哉くんを知ってるの?」

 山久は一度、唾液を飲み込むと、慌てて表情を笑顔に戻して、あらためて問いかけた。

「修哉君のことは知らないんだけど、それは君たちの友達なのかい?」

「そうだよ。いつもは四人で遊んでるんだ。でも今日学校に行ったらいなかった。先生は風邪だって言ってて。でも、それから噂で修哉君は誰かにさらわれたって聞いたから」

 もうすでに、ここまで情報は回ってきている。人の噂というものは恐ろしい。ちょっとした事でも、風船のようにどんどん話が大きく膨らんでいく。普通であれば、広まる過程でいくらか本質的な部分までも歪んでいくものだが、今回に関していえば、その噂は正解と言える答えにまで到達していた。

「そうか、分かったよ。お兄さんも車をこの先に停めているからそこまでなら送っていこう」

 あまり、子どもたちと一緒にいて目立つのも困る。だが、この子供たちから話を聞くチャンスでもあるし、どうせコインパーキングまでは戻らないといけない。山久はしばらく子供たちに同行することを決めた。

「その、修哉君と最後に別れたのはどの辺なの?」

 歩き始めてしばらくして、そう聞くと、子供たちは数百メートル先の信号の辺りを指さして答えた。

「あの辺だよ」

 目をこらして信号の周辺を見ると、近くには商店や飲食店がいくつか目に入った。

「いつも、あの辺りで別れるのかい?」

「うん、僕たち三人は左に曲がるんだけど、修哉君は家が右の方だから。そこから修哉君は一人で家に帰ってる」

 無意識のうち、山久の歩くスピードが速くなっていた。子供たちはそんな山久を小走りと歩きを交えながら追いかけていく。

 それから数分後、信号のある交差点に到着した。修哉がいつも帰っているという方向には建ち並ぶ住宅の中にポツンと一軒の花屋があった。

「君たち、ごめんね。お兄さんもここを右に曲がらないといけないんだ。だから、ガードマンの仕事もここまでだ。でもここからも出来るだけ三人で帰らないといけないよ。それから怪しい人を見かけたら大きな声で助けを呼ぶこと。近くの家に逃げ込んでもいい。とにかく、気をつけてね」

「うん、分かった。お兄さんも正義のお仕事頑張って」

「ありがとう」

 山久は子供たちに手を振って別れた。そして次に行くべき場所に向かって振り返った。

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