1.山久一之・6月1日④


 山久が県警担当の記者に後を任せて、会社に戻ろうとしている時、携帯電話が鳴った。表示されている名前は龍吾だった。

「山久か?俺だ、龍吾だ」

「ああ、どうした?」

「桜議員の事件で、ちょっと気になることがあってな。出来れば直接話をしたい。今から会えないか?」

 山久はすぐに了承した。ただ、事件絡みとなると、協定がある今、関係者に聞かれてはまずいことになる。そのため、山久は午前一時に自宅に来るよう龍吾に伝えた。

 会社に戻った山久は富田を喫煙室に連れ出し、状況を報告した。

「とりあえず、協定が締結されました。人質の安全を考えるとそれが最善だと思うんですが」

「どうした?何かあったのか?」

「ただ、要求が無いというのが気になるんです。それじゃあ、一体何のために男の子を誘拐したのか。その理由が分からないと思いませんか?」

「確かにその点は不自然だが。ただ、もうこれは警察に任せるしかない。そうだろ?」

「まあ、そうですが。ただ、こっそりと男児の近辺を調べさせてもらえないでしょうか」

 富田は顎の下に右手を当てながら、しばらく考え込んだ。

「しょうがない、その代わりにあまり深く首を突っ込みすぎるなよ」

「分かりました。何か分かったら逐一、報告するようにします」

 その後、山久は会社を出た。明日からは荻野修哉の周りを調べることになる。その段取りを考えながら、自宅に車を走らせた。

 自宅のアパートに到着したのは午後十一時四十分。龍吾の姿はまだ無かった。

 自宅に入って、脱ぎ散らかした服やゴミを一通り片付けて龍吾を待っていると、午前一時ちょうどにインターホンが鳴った。

 「開いてるぞ」と山久が言い終わらないうちに、龍吾はドアを開けて家に入り込んでいた。

「すまない。夜分に。少し飲むか?」

 手には缶ビールとつまみが入ったスーパーの袋。

「お前、今日泊まるつもりか?」

「はは、たまにはいいだろ?話もおそらく長くなるだろうからな」

「おいおい、本気かよ」

「まあ、とりあえず座れって。宿泊代以上の価値ある情報だぞ」

「しょうがねえなあ」

 山久は龍吾から缶ビールを受け取ると、ベッドに腰掛けて乾杯した。

「ところで、話ってのは何だ」

 ビールを片手にした山久は大きく一口含んだ後に、龍吾に話を向けた。

「おう、その話だけどよ。はっきり言うと、今回の事件、なんか変だ」

「変?こんな事件そうそうあるもんじゃないんだから、変かどうかもわからないだろう?」

「いや、それがさ、やっぱり変なんだよ」

 「変だ」とばかり言う龍吾に、山久は少しじれったさを感じた。

「それだけじゃ分からないから、もっと具体的に説明してくれないか」

 龍吾は「ああ、すまない」と謝罪してから話し始める。

「まあ、変っていうのはよ、普通なら帳場を所轄に置くことが多い。が、今回は県警に帳場がある。ただこれだけ大きな事件だ。それ自体は不思議じゃない。変なのは、県警に置くにしても何人かは所轄から応援に行くのが当たり前だ。県警の刑事の数自体が少なくて、しかもこれだけ大きな事件だ。でもな、県警は所轄に応援はいらないと言ってきたんだ。もちろん、福井だけの事件だから他県の県警に応援も要請していないらしい」

 龍吾は説明が終わった後も納得がいかない様子で首をひねっている。

「それだけ、情報を隠したいんじゃないのか?所轄から漏れることも考えられるだろう」

「いや、実際にこんなちいさな地方都市の県警じゃ人は元々足りないんだぜ。少しじゃなくて全然足りない。しかも、爆弾と誘拐だぞ?喉から手が出るほど人手が欲しいのは間違いない。なのに、帳場は県警にあるし、捜査も県警の捜査一課でやっている。南署の知り合いにも聞いてみたが、やはり県警でやるから応援はいらないと言われたらしい」

「そうか。俺もお前ほどは警察の内部事情には詳しくないからさ。お前が変だって言うなら変なんだろう」

「そうなんだ。ただ、今、何が起こっているのか俺も分からない。なあ、どう思う?」

「いやあ、俺もそれだけじゃあ何とも言えないが。ただ、報道協定が結ばれていることを考えれば、やっぱり情報が少しでも漏れることを危ぶんでるんじゃないか。それ以外、パッとした理由は思い浮かばない」

 龍吾はビールをテーブルに置き、腕組みしながらふてくされている。

「自分たちの持ち場で起きた事件だぞ。それを、指咥えて見てろって言われても出来るわけないだろう」

「そういえば、お前さ、桜さんの事件の時、球場には私服警官が大勢いるって言ってたよな。あれは所轄の刑事だったのか?」

「いや、それも県警の刑事だ。その時から変だとは思ってた。ただ、あんなに簡単に爆破事件を起こさせてしまうことは疑問だった」

「そうか。やっぱり、何か引っかかるな。犯人の意図が全く分からない。そして、どれくらいの人数が動いているのかも不明だしな。ある程度まとまった組織であることも考えられる」

「一つ言えるのは、今回の誘拐事件は、今まで全国で起きている誘拐事件とは少し違ったものだってことだ。どうせ取材を自粛するって言っても、お前もある程度は動くんだろう?」

「まあ、支障が無い程度にな。あ、こんなことお前の上司には言うなよ」

「ああ、その代わり何か分かったことがあったら教えてくれ。俺もその度に状況を報告するから」

「お前だけは信用してるからな」

「ああ、俺もだ」

 二人はもう一度缶ビールを軽くぶつけ合うと、これからのお互いの健闘を祈るかのように残りのビールを身体の中に流し込んだ。

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