第42話 異変

 私はPCの画面を見て硬直した。


 二つのデバイスを搭載した回路基板は並んで置かれている。両者に配線もなければ、無線での通信もできないようになっている。電源線はシールドされ、信号はフィルターで除去されている。通常なら両者の間での通信は不可能である。


 であるにも関わらず、なんらかの数値が片方のデバイスから渡され、もう片方がそれに対して回答しているようだ。その可能性に気付いたのは、PCで二つのデバイスを相互比較するウィンドウを開いた時であった。何の気なしに開いた二つのウィンドウを見ているうちに、二つが相関しているかのように思えた。


 このデバイス同志は何かをつかって通信をしている。あり得ない手法で。なぜなら、LANもなければ、ブルートゥースを含めた電気的信号は先に述べた手段で遮蔽しているからだ。私は考え始めたが、その間にも二つのデバイスは関係を持ち続けているようであり、なおかつ相手との影響を反映するかのようにマイクロプログラミング・ユニットを操作している。これら二つのデバイスが何らかのやりとりをしている、という明確な証拠はないが、そのような痕跡がメモリに残っている。なんであろうか。私の脳裏に一瞬ひらめくものがあった。


 アインシュタインやド・ブロイらの研究によって物質は波である、ということが分かっている。点として存在することは本質的に不可能である。


 であるとしたならば、と私は考えた。しかし、あまりにも問題が難解であり、考えを巡らせているうちに長い居眠りをしてしまったようである。タバコを灰皿に立てかけたまま。タバコは燃え尽き、灰皿に落ちている。日没の陽光がその灰皿を照らし、居眠りから起きた私の目にまぶしかった。


 量子力学的な存在確率の広がりがデバイス同志のつながりを可能にしたのだろうか。それにしても、二つのデバイスは5cm以上離れている。このような量子力学的結合はナノメートルオーダーでさえ起こりはするものの、数センチなどという遠距離ではごくわずかな値になってしまうはずだ。


 量子もつれ、という特殊な関係にある二つの素粒子について遠隔相互作用が起こるのは知られているが、あくまで、同時発生した二つの素粒子ペアについてだけ成り立つ話だ。私は文献を探し、夜中まで飯も食わずにその理屈を探求した。加入している文献サイトに片っ端からアクセスした。学生時代さながら、時間も忘れ文献を探し回った。私とて、量子力学は理解できるものの、最先端物理学者ではないのだ。探しているうちに、ごくわずかな論文にその手の話がのっている。それを信用してもいいのかわからず、何度も読み直した。そんなころ、夜空がほんのり明るくなり、私は寝ることにした。


 朝、太陽も出ぬまに私は目覚めた。しばらく、ねむくてどうしようかと思案した末、机のライトをつけると、計算を始めた。ごく当たり前の結果が出ることは分かっていたが、せずにはいられなかった。通常、波動関数同士が干渉すれば、そこに重なり積分が出てくるはずだ。その重なり積分の大きさで相互作用の強さが分かる。当然であるが、重なり積分の強さは極めて小さく、ほとんどゼロに近い大きさであった。しかし、と私は思った。その小さな重なり積分を増幅する機構がありはしまいか、そうまで考え込んだ。そうしているうちに、北東向きの書斎に遅い日の出がさし込み、私を照らし始めた。


 私は計算をやめ、階下で家族と朝食をとった。朝食では長女が、あれやこれやと明るく騒ぎ立てているが、私の耳にはまるで入ってこない。


「お父さん、聞いてるの?」


「ああ、聞いてるよ。ちょっと考え事があるんだよ」


「まったく、いつもそうなんだから」


 ぷんぷんと起こって娘は学校に行く支度を始めた。私はというと、相変わらずうつつにものを考えながら、冴えない頭でこれ以上考えてもしかたがない、そう思い、睡眠薬を飲んでベッドに入った。

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