第39話 私の覚悟

 そんな、私の不安定な気分とは別に物事はどんどんと進んでいった。私大Wへの打診はむしろ、あちら側の方が歓迎しているようであり、是非招聘しょうへいしたい、という意向であったが、あくまで私を教授として、ということのようであった。仕方なく、私はW大の和田教授のところに出向かった。W大は私の家から遠くないので、タクシーで向いた。K大はその日、休みをとった。たとえ、私が休んだところで、動き出した歯車はある方向に向かっていきおいよく動き出す。だから、私はいなくてもかまわないのだ。昼すぎには和田研究室についた。


「こんにちは。和田教授に会いに来ました。K大の武田です」


 と、私は秘書に言った。


「お待ちしておりました。応接までご案内しますので、どうぞ」


 秘書は私を応接に連れて行き、言った。


「和田先生、武田先生がおこしになられました」


「ああ、はいってくださるように」


 和田教授は言った。


「こんにちは、和田先生」


「こんにちは、武田先生。お待ちしておりました」


「恐縮です。例の件、お話しに参りました」


「あの件ですね。まあ、お座りください。コーヒー出しますのでゆったりとしてください」


「ええ、ありがたく。でもそんなにゆっくりもしてられないんですよ」


「まあ、あの業界だからね」


「で、例の件、考えてもらえましたかね。あの二人は実に優秀です。今回の業績はまだ一般にその意味すら分からないでしょうが、下手すればノーベル賞級です。ぜひ、私はともかく二人にその業績を継いでもらいたい。私はもういいんです、分かりますよね」


「武田先生の言ってる意味は分かりますよ、要するに研究に集中したい、名誉なんぞどうでもいいということですよね。それは、僕だって研究者として現役をつらぬきたい、そうは思うのだけど、そういう情勢ではないですよね」


「であるなら……」


「でも、分かるでしょ、看板というものが欲しいわけです。あの二人が優秀だということぐらい、分からない私じゃありませんし、そうでなければ学部長なんて務まらないですよ。そういうことも踏まえて、ということです」


「そりゃ、分かるんですよ、でもこの業績は大学が企業に貢献した、という意味で極めて稀有ですし、わたしにはもう名誉なんぞいらない、おっしゃる通り、家でちまちまと研究したいのです。どうか、この我儘を許してもらいたい、そういう思いなんです」


 和田教授は困った顔をした。しばし、考えた。そうして言い出した。


「うーん、大学当局に納得してもらう、という算段として、武田先生に名誉教授になってもらう、というのはどうですか?」


「名誉教授ですか。それにしては若すぎますが」


「若くてもこれだけの業績、それにK大が教授として引き抜かれた、ときたら黙ってるわけないですしね。名誉教授として名前だけ借りました、と言い訳でもしないわけには」


「どうしても、でしょうか」


「これが一番、無難な落としどころで、ウチが名誉教授にしたいとK大に持ち掛けます。そうするとK大だって黙ってるわけないから、K大の名誉教授にしたい、と言ってくると思います。職業選択の自由があるから、あんまりK大がうるさいようなら、K大に名誉教授として籍をおいてもらう、ということでは?」


「考えましたね。わるい話ではないかもしれません。その線でいきませんか」


「わかりました。ありがとうございます、武田先生。武田先生のご希望によらず、どっちかの名誉教授にはなっていただきますが」


「どうせ、やることもないんでしょうから、いいですよ」


 二人の会話は合意点に達し、来年以降はK大とW大の間で話し合われることになった。どちらになっても結果は大して変わらない。

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