第38話 荒井の意気込み

 荒井はすぐに電話に出た。いつも携帯は離さない男だ。連絡は携帯、ただしメールには絶対に出ない、それが荒井だ。


「わるい、こちらから連絡しようとしたところだ。歩留まりは順調に上昇している。このままいけば、製造原価は1000円以下になりそうだ。予定サンプルロット単価は5万だから濡れ手に粟、まあ、どれだけ売れるかだが、坂田さんは市場調査を会社でプロジェクト的にやっている。かなりの需要が期待できそうだ。で、問題は安全性だ」


「それが心配だ。暴走されたら、えらいことになる」


「大丈夫だ。あらゆる状況を作って、マイクロプログラミング・ユニットさえうまいこと隔離すればおかしな挙動はしなくなる。まだ、試験は継続するがね、まず間違いない。現在、インプット(製造開始工程)に入った新デバイスには通常のデジタル回路も埋め込んでいる。だから、統合プロセッサとして機能する。もちろん、初期ロットのデジタル回路は単純で、PCのサブプロセッサとして機能するだけだが、次世代はメインプロセッサとなる。一挙に市場制覇だ」


「ものすごい意気込みだな。なんか、心配になってくるが、そのころには私は退官して、君たちのデバイスで遊んでみるよ」


「君の気持ちは分かるんだ。研究者、というのは普通、いつまでも研究したいものだ。マネージャなんてやる気はない、そういうのは分かる。俺だって、こうして現役の技術者として現場に入ってる。まあ、待遇は管理職クラスということになってるがね」


「まあ、良き理解者、として感謝するよ。三月までは協力する」


「ああ、まあこのプレゼンでほぼ勝負あった、と俺は思っている。対抗する米企業は、発表はしたものの製品化は先の話だ。あいつらは、発表だけはご立派にやりやがるからな。この世界で重要なのは速さだ。速さこそ力なんだ」


「もういいよ、聞き飽きた」


「そうか、まあ一週間以内に坂田さんが量産計画をぶち上げ、マスコミに情報を流す。株式を増資して工場に投資だ。米国ナノ・デバイスと日本ナノ・デバイスはほぼ対等な関係となる。工場増設の決定権は国内に関しては日本側にある。もちろん、トータルの売り上げはナノ・デバイスとしてだから、来期以降、米国が赤字になろうとカバーできる」


「だが、製造装置メーカーにノウハウを知られたらおしまいだぞ」


「大丈夫だ。これまでの装置で十分に作れる。だから、製造装置メーカーには何のノウハウも与えない。今まで通り納入してもらうが、一挙大量導入するからかなりコスト的に有利になるはずだ。それからだ、坂田さんが君の食いぶちを心配して、準社員ということにしてストックオプションを与えるそうだ。別に準社員だから、会社に来る必要もない」


「まあ、有難迷惑だが悪い話ではない。それより、西田助教と関君だ。私は私大にかけあって、教授、准教授に推薦するつもりだ。博士号付きでね。それには君たちの成功が必用だ」


「ああ、分かってる。任せておけ」


 電話は切れた。わるい話ではない、そうではあるが一抹の寂しさのようなものも感ずる。しかし、晴れて私は自由な研究者となれるのだ。あのデバイスの素性を暴いてやる、そんな熱意が新たにわいてきた。


 次の日の夕方、自宅に戻った。遅かったので、空港で夕食を済ませていた。夜になっても久しぶりの興奮に眠れず、一人で酒を飲みながらテレビをぼうっと見ていた。そして、知らないうちに寝てしまった。


 朝方、昼頃になって起きた。そういえば、今日は日曜だった。よろよろと書斎から食卓に出るとテレビが映っていた。そこには坂田氏の記者会見の姿が写っていた。


「……我々は、日本製造業の再起をかけ、この革新的なデバイスを大々的に販売する予定です。サンプルロットは予定前倒しで製造します。投資は8000億になりますが、すでに調達済みです。工場内ではすでに初期製品の検品も始めました……」


 坂田さんの姿を見ながら、昨日の興奮とは逆にむしろ醒めた気持ちが再び私を襲った。

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