第26話 速さは力

 ナノ・デバイスの玄関で荒井は待っていた。


「武田君、遅いぞ。この業界は一秒が命取りだ。まあ、半分は冗談だが、冗談では済まされんぞ」


「悪い、電車が遅れたのとタクシーが場所を知らなくて」


「まあいい、応接で話をしよう。いそぐぞ」


 速さは力、とかつて世界最大の半導体製造会社は言った。そして、速さで負けた。それ以来、速さはこの業界の合い言葉である。相手が弾を撃つ前に撃て、あたらなくてもいい、そういうところだ。


 荒井は応接でせきを切ったように、ここまでの経緯を話し始めた。最初にナノ・デバイスと荒井の橋渡しをしたのは坂田さんだ。その場に居合わせた荒井はその独創的なデバイス構造と特徴をたどたどしい英語で話したらしい。まあ、技術者の英語なんてそんなもので通じる。相手だって商売の話を聞きたい訳ではないので詳細はどうでもいいのだ。


 このままでは行き詰まると考えていたナノ・デバイス本社の幹部は即断した。提携だ、と。荒井はその商売話には加わらせてもらえなかったらしい。大抵、技術屋の話なんて商売抜きなので。荒井は別途、開発陣と会議を始めたようだ。そこで、ホワイトボードにデバイス構造、特徴、なぜ常温で量子ゲートが動作するかを説明した。


 単純な構造に米国人技術者は感嘆すると共に、荒井を天才扱いしだしたらしい。そこからは、坂田さんと経営陣が営業的判断に入った。対抗する従来デバイスメーカーはこの二年で四百パーセントにも及ぶ成長を遂げている。それに対抗するにはこれを売るしかない、そうナノ・デバイス幹部は判断し、条件交渉を坂田氏と始めた。坂田氏は米国に長らくいたし、ナノ・デバイスとも旧知、しかも英語も堪能でありすぐさま投資判断が決まった。坂田氏は粘りに粘り、ようやく最初は技術投資、最終的に五十パーセント株式を日本法人が取得し、日米共同のデバイスメーカーとして躍進を目指すことになった。


 新デバイスの工場建屋は日本法人の空いているフロアを利用し、量産管理は日本側がする。工場は売り上げ次第で拡張することにした。開発は荒井の責任のもとで実行することになったが、荒井に言わせれば開発もなにもない、ただ普通のデバイスを改良して、動作モードを変えればいいだけのことだ、と言った。特許はすぐさま提出され、独占体制を築くべく荒井は会社に半幽閉の形になったようだ。


 荒井とそれを補佐する技術陣はウイルスよりも小さい回路を設計し、生産させた。最新鋭の装置を活用したため、歩留まりはあっという間に上がり集積度はスマホチップ並になった。当初の見込みより100倍以上だ。あとは、素子同志の結線をどうするか、であったが荒井があらたなマイクロプログラミング方式を提案し、実装された。


 動作はいくつかの知られている量子ゲート論理で確認され、正しく回答することがわかった。さらに、素子を多量に組み合わせることで、量子アニーリングを模擬できることも確認した。後は、他の機能を発見することだが、そこまでに至ると研究ベースとなってしまう。そこで、私たちにこれまでの生化学的データとの突き合わせをお願いしたい、と言ってきた。


 会議が夕方に及んで会議室に電話が入った。その電話を荒井はとり、話はじめた。内容は、日本の会社が量子コンピュータの開発に成功した、というニュースが入ってきた、ということのようだ。荒井は慌ただしくノートブックPCを取り出して調べ始めた。


「武田君、この方式は量産に向いてはいない。だから驚異にはならないが、やっていることは同じだよ。まずい、速いとこ量産前倒しだ」


「学会で発表すればよかったか?」


「いや、それはやめて正解だ。あの阿呆連中に理解できるわけない。あす、坂田さんと記者会見だ。申し訳ないが、今日の宴会はキャンセルにしてくれ」


 慌てふためく荒井を見て私たちは呆然とするとともに、続きの話は急遽、先延ばしになった。話したいことは多くあったが、荒井は猛然と生産ラインに向かって走り去った。残された私たちは、また宿泊施設に戻った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る