第20話 体制確立

 坂田さんは面会を了承した。もう引退したかと思っていたが、何やら始めたそうにしていた。坂田さんはかつての社長でエラい立場のはずだが、先端的なことには興味があり、私や荒井を随分と重用してくれた恩人だ。


 午後も遅くなり、研究室の五人でコーヒーを飲み始めた。田中さんと荒井が言い争いを始めた。


「だから、田中さん、関君には量子論理デバイスをやらせてだな、実験は田中さんでいいじゃないか」


「俺みたいな老いぼれ一人でやれるわけなかろう、関君は俺にまかせてくれよ」


「そうはいかないよ、せっかく発想が出てきたんだ。これをモノにしないと」


 私は割って入った。


「二人ともやめてくださいよ。元々はDMNの検証から始まった経緯がありますので、順番はDMNの方が先です。でもね、荒井君、関君のせっかくの頭脳も使わないのはもったいない。だから、基本的な発想については朝方に君と議論して、泥臭い交渉とかは私と荒井君でやることにしよう。いいアイデアが出たなら、その時点であの会社とカネや、やり口の交渉だ。西田助教は論文と講演で宣伝活動しながらDMNの作用についてデータを積み上げる。それに西田先生は早いところ、博士号をとらないといけないから、すぐにでも論文データがほしいんだよ」


「武田君、事情は分かった。だから、例の会社との交渉は近日中にやろう。おみやげは先ほどの議論で十分だと思う。田中さん、西田先生は実験機器を担当してDMNの本質に迫る、そうすれば西田先生の論文だってはかどるだろう。と、こういうストーリーではどうだ」


「私はそれでいいよ、皆さんも異論があるなら荒井に今のうちに言っておいたほうがいいよ。容易には妥協しない男だから」


 おずおずと西田助教が言った。


「いや、みんなでいろいろと話をして、ほぼ同じ結論です。ただ、武田先生の立場もあるかなとおもって」


「私のことは、心配ない。教授会に出てくるような暇な老人たちはいくらでも言いくるめる。だから、安心して研究を推進すべきだ」


 ああ、それから西田助教の論文だ、どうなっているだろう。


「西田先生、論文ちゃんと書いてるかい?」


「ええ、もう一本出しますから。それ、大体学会発表の内容ですけどね。講演会も積極的に参加してアピールしてきます。今、ウチはかなり注目を浴びていますのでチャンスです。やっと分業体制ができてよかったと思います。私も早いところ博士号をとらないと、この学校でやっていけませんし」


「分かった。じゃあ、荒井君、覚悟しておいてくれ。来週、坂田前社長と面会だよ。当然だが、君に来てもらう」


「ああ、分かった。ウチの小さな会社なんてろくな研究開発やってないから、こっちのほうが面白いしね」


「まあ、口に出して言うべきことじゃあないね。君は社長で、少ないかもしれないが、雇用すべき社員さんだっているんだから」


「いや、それどころか、この仕事はじめたら、ウチも総動員だよ。株も正式に増資して資金の調達だ。なに、手続きを担当させる事務屋のヤツらは阿呆だし、ちょろい。やり口も知ってる。それくらい大規模な話になりかねないんだ。ちゃんと理解しろ、武田君。フラッシュの件で例の会社がろくでもない事態になっているのは知っているだろう。我々が変える、それほどの思いだ。阿呆経営者と銀行はゼニ拾いの巣窟、そう思って良い」


「そこまで言うな。少なくとも口にするなって。我々の品性を疑われる。それに、君に言われるまでもないよ。さあ、動きだそう」


 コーヒーカップを置くカチッという音が響いた。そのあと、各自が作業を始めた。私は教授会に出るためにドアを開けて外に出た。一発かまさなければいけない。


 教授会には最後に入った。予算の話が始まっており、各研究室の来期方針を教授たちが述べている。私は来期の計画について述べ始めた。


「今日にいたるまで、日本の半導体業界は苦渋を舐めてきたわけですが、どうやら我々の研究が基礎とは言え、産業に結び付きそうな目途を得ました。学会でも生物系ではかなりの注目です。そこで、とある半導体メーカと協力して革新的なデバイス開発の基礎研究を始めたいと考えています。ここは生物系学科ということは存じていますが、複合分野にわたる研究は本学の目指すところでもあります。客員講師として二名の招聘を考えており、また現在、大規模な研究協力を米国系メーカーから受ける予定で予算を考えています」


「いや、それねえ、武田先生、生物との複合はいいのだけど、とっくに負けた商売で、しかも米国系企業というのが引っかかるよ。客員講師だって採用に関しては我々だけでは決めかねる。給与とかそういう問題があるからね」


「いえ、一名については協力企業なので講師扱いでなくとも構いません。また、もう一名は著名な田中氏、という脳科学では知られた方です。しかも、ご当人は講師という扱いを望んでいるわけではなく、研究に参加したい、という状況です。人事案については私が運営と調整します。まだ、メーカとの交渉はこれからですが、世界最大級の機器貸与、もしくは現地での実験を計画しております。旧知の間で、現在は米国資本ですが、かつては日本資本で、これが成功すれば日本独自資本として独立する可能性すらあります。日本発の巨大メーカ誕生にも関わることになります」


 実にバカにした皮肉な笑顔で、別な教授が言いはじめた。


「そこまでの大きな話となると、なんていうかね、ホラ話、じゃないがそんなふうにも聞こえてしまうよ」


「もうすでに、西田助教の学会発表が盛況であり、100件以上の企業関係者がコンタクトを求めています。我々はそれを選別して最良の道を考えているだけです。新聞発表しても構いませんよ。この学科の存在意義をアピールするインパクトにもなるでしょう」


「田中さん、ねえ。なんかしでかさなきゃいいけど、と思っちゃうよ。もうお年だしねえ」


「田中氏については、あくまで機器のデータ処理を担当することになっており、奇行では有名ですが、天才的な手腕は皆さん認めるところでしょう」


「それで、そのメーカ、とやらはもしかして米国のあれでしょ?」


「そうですよ。むしろ、米系だからいいんです。米国本体の事業があまり良い状態ではありませんから、日系原資を調達してもらうチャンスです。例の買収の件で、銀行との折り合いは良くはないですが、そこは前社長の手腕を借りるつもりです。あるいは政府、銀行に国産技術が外資に買われていいのか、と脅しをかけてもいい」


「まあ、計画だしね。武田先生個人がぶち上げるのは構わない、かな。資料の作成は武田先生担当でやってほしいよ、だってこの計画、あまりに大きすぎて我々の手中に収まるような話じゃあない」


「武田先生が、大学当局にプレゼンテーションする必要があるかもしれないね。まあ、わたしとしては陰ながら応援、という形だね。ほかの先生方もここまででかい話となるとしり込みだろうし」


 このケツの穴の小さなヤツめが、と思いつつ最後に私は切り札として言った。


「我々の学科は、ここ数年、大きな成果を出していないのです。皆さんたいへんなご努力をされているのは知っていますが。学部長もいつまでDNAこねくり回したら成果になるんだ、と言われて困っています。サイエンスのような有力誌に論文を出すこともできていません。このあたりは一発かましたいはずですよ」


 学部長とサイエンス、という言葉に各教授は沈黙した。成功である。私はうつむき加減の教授たちを、わざと見回して最後に言った。


「以上ですが、異論はありますか? なければこの方針で来期はいきたいと思います」


 異論の出しようもあるまい、そう私はほくそ笑んだ。この連中ときたら、目の前の小さな成果すら出せずに過去のデータで食っている。心痛いものがあるはずなのだ。


 私は会議の終了とともにドアを蹴り飛ばして外に出た。

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