第19話 研究者とマネージャ
荒井は昼から研究室にやってきて、会うなり一言、いった。
「悪かったよ、この間は。だが、私の本音なんだ。これはいつでも実用化ができる。なのに、阿呆経営者どもが巣くう日本では実現なんぞできやしない。あいつらは、二番煎じすればいいと思い始めてる。片っ端から首にしてやりたいほどなんだよ、わかるだろう。俺たちはあいつらの退職金かせぐために生きてるわけじゃない」
「分かるよ、関君に言いくるめられたのもあるが、君の思いがそこまでとは。ちょっといかれてる気はしたけども」
「私はちっともいかれてなんかいるつもりはないよ。相手にしてくれるところがないだけさ」
そう言うと、荒井は関と何やら話し始め式を書いている。量子力学のディラック形式であり、私もある程度までしか理解できない。ついには関の机上で何やら図を書き始めている。
「こういう構造のデバイスにすると、量子ゲートができる。少しは考えたのさ。それもかなりの小ささだよ、今時のスマホの記憶素子に近いくらいだ」
「この溝を工夫したらどうでしょうか、ノイズをキャンセルできます」
「そうだな、この構造ならいけるかもしれない。君のアイデアを採用すると、いいところが出る。すなわち、集積化ができる。つまり、試作ではない本当のコンピュータが作れるんだ。日本でこれ、作れるの二社、良く見積もっても三社しかないんだ。大学の設備では無理だ。これを量産規模で生産できる会社となると、一社、よく見て二社だね」
「そうですか・・・・・・」
「いや、まだ大丈夫。そこには私と武田のコネがあるから、大学と一緒につるんで売り込みに行く。大学ってのは、武田研究室だよ。あの会社、資本が複雑だが、肝心の米国資本の本体がやばいんだよ。だから、買うところさえあればどっかに売るだろう。台湾に売られたらたまらない。日本ならいいんだけどね」
どうやら関と学問の話をしているかと思えば、そうではないようだ。
そこへ、田中さんがふらりと入ってきた。
「どぅも。こんちは。武田先生の居室ってここですかね」
「私が武田です。田中さん、ですよね」
見るからに田中さんは昔の学者風情で、すすけた帽子をかぶり、やぶれかぶれのコートを着ている。変わり者だという話は耳にしていたが風体からしてどこかのホームレスのようでもあり、学問以外に興味はない、といった感じを受けた。とうてい、どこかの会社に勤めている、といった感じはしない。
「ああ、このカッコね。お客さんと会うこともないし、いつもこんな感じだから。一応、それなりの地位だけど相手にしてくれる人もいないしね。なんか知らないうちにさ、技術顧問部主席、ということになってるらしい。部は一人だから、誰も文句いわないし」
要するに、厄介払いされて閑職についているようだ。それにしても誰も文句いわなくても、大学に入るのに遠慮とかしなかったのかな、とちょっと思い、やはり変わり者なのだろうと結論した。
「でさあ、武田さん、データ見せてよ。だれにも言わないし、会社も辞めるつもりだからさ」
「まあ、辞めるまでして来てくださらなくても。それなりの業績がおありだろうし」
「うん、だけどバカらしくて、もう辞めることにしたよ。ここに居着かせてくれ」
「いや、それはかまわないですけどね、居着く以上は当局に外来講師扱いとかしてもらわないと。それに御社の方も了解してくださらないと」
「そういうのさあ、昔はなかったよなあ。じゃあ、外来講師でいいからさ」
「ほとんど給料、ないですよ。それでもいいです?」
「そんなものいらないよ。もう、とっとと引退して自分で何かやろうとしていたところだから。こっちの会社はどうにでもなるからさ、俺にまかせておけばいいよ」
「じゃあ、外来講師に決まるまでは会社辞めないでくださいね。面倒になるから」
「で、いつから来ていいの? 明日から?」
「そんなに急がれても。じゃあ、ご見学という建前で今日からにしましょう。そちらの会社は大丈夫か心配です」
「心配なら連絡してみてよ。どうぞ、って言われるだけだから。それより、早くデータ見せてよ。会社なんかどうにでもできるくらいの業績はあるから。事務屋に一言、いってきます、でOKだ。俺は用済みになってるらしいから」
「それはまた。関君、取り込み中悪いが、西田先生のPCのデータを処理してあげて」
「わかりました。いや、とっても気分が乗ってきました。皆さんもですけど」
まったく、困ったな、と私は思った。ただでさえ、悪い意味で目立ち始めているのに、この二人を受け入れたら教授会で言い訳ばかりになりそうだ。私はこの研究室のマネージャであり、その立場は守らねばならない。
しかし、研究を進める意思に変わりはなく、この二人は重要人物だ。今まで通り、毅然とした態度で他の教授と対決するしかあるまい。しかも、あの会社と渡り合うわけだ。つては一応、ある。坂田さん、というかつての社長だ。面倒なのは米国資本が入っている。談判しかあるまい。そのような私の苦労も知らず、四人ともデータを見ては大声で議論している。仕方ない、何度も言うが私はマネージャ、研究は勿論したいがこれからはこの人たちを制御して、教授会もうまく立ち回らないといけない。
ただ、一つ、この研究が成功すればもしかしたら日本を変えるほどの経済規模の技術になるかもしれない。一筋の光が差してはいるが、雲間の弱々しい太陽の下に私たちは存在している。私はカネが目的ではないが、カネという武器を手にして、この四人がハッピーになるのであればそれでいいのかもしれない、とまで考え始めた。
電話に手をかけ、意を決して坂田さんの携帯電話番号を打ち始めた。少しためらった。そして覚悟を決めた。
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