第18話 切り口

 次の日、私も西田助教も二日酔いで遅くになって研究室に出た。会議はもう無視している。そのうちに誰かが怒り出すだろうが、放っておけば良い。関はわりと早くに来ていて文献を読んでいた。


「関君、申し訳なかったね。得るものでもあれば良かったが」


「かなりヒントになることを仰っていましたよ。少しだけ私たちが求めるものが見えてきたように思います、私の仮説を述べてもいいですか?」


「聞かせてほしいね」


「知能、とか知性というのはやはり量子力学と深い関わりを持っていると思うんです。例えば量子コンピュータですが、荒井さんは世界で初めてその理屈を作った人で、デバイスだって手をつけていたんですよ。いくら、酔っていたって彼の言っていることは本当です」


「そうなのかい?」


「ええ、すでにAIを始めている米国では開発に向けてかなりの投資をしているようです。ですが、応用範囲にかなりの制限があって、それでも最適化問題に対してはかなり有効だ、という結論まで出ています。最適化問題というのは、おわかりでしょうけれど、例えばどちらの道を選んだら駅まで早く行けるだろうか、とかそういった何かを最良の状態に持って行くための手順を選ぶことに相当します」


「そうだね。多くの科学上の問題は最適化問題で、ものすごく計算時間がかかる」


「人間は直感、でそれを瞬時に答えを出すことがあります。これ、量子コンピュータの特徴に良く似ていますよ」


「量子アニーリングだね。でも荒井は量子ゲートにかなりこだわっていたが、どうだろう」


「それが、両方ともやられていて、しかも量産技術まであと少し、というのも本当でした。相当悔しい思いをしているはずですよ。荒井さんがいれば業界ひっくりかえっていたかもと思うと残念ですよ」


「しかも、この考え方はDMNがなぜ重要なのか、といったことを説明できるんですよ。ものすごい革新がおこりそうです」


「なぜ、DMNなの?」


「私の仮説にすぎないのですが、DMNは普段から通常の論理処理と量子力学問題の両方を扱っていますが、重力やそのほかの外乱を取り除いてやると、余剰な能力を量子問題に活用できるだけの余力ができるんです」


「荒井は、量子ゲートをおもにやっていたが、量子アニーリングにも手を付けていたか」


「両者は基本的に等価なんです。それも荒井さんはかなり早く指摘しています。荒井さんはこつこつと論文を書いています。殆ど注目されていませんし、発表する場もあの大企業をやめてから限られているようです。余計にいらついているのだと思います。しかし、ものすごい革新的な考えです。天才としかいいようがない。荒井さんの手法では、最適化問題に関して、あらゆる問題を瞬時に解く可能性すらあります。そのほか、外乱を利用して外部の波動関数との干渉を利用する方法まで考えています」


「外部の波動関数って、どういうことだい?」


「非常にオカルトチックになってしまいますが、要するにテレパシー、なんですが、もっとオカルト扱いされないように言うのならシンパシー、です。他人のこころに共感する機能とでも言いましょうか。集団としての知性、としたほうが学会的に受けはいいかもしれません。シンパシーをもっているから、相手の感情を推測したりできるんではないかと、まあこのあたりは私の独自の思想に過ぎません。ただ、波動関数に広がりがある、という量子力学的な考えからは当然の帰結かも知れません。いずれにしても発想は日本人なのに実用化は米国でされようとしている、というのが荒井さんの苛立ちの原因ですよ」


「そういえば、スマホとかPCのプロセッサ、今は米国製が主流だが、発想はたった一人の日本人だ。西田先生、関君の考えはどう思う?」


「いえ、私は物理が苦手でして。なので生化学をやってるので。ただ、時々、生物集合を見ていると、なんでしょうね、ある種のフェロモンでも使ったかのように集団的にある最適な方向に向かい始める現象はありますね。南方熊楠の粘菌の観察、ご存じでしょう?」


「知っている。あれは不思議だと思っていた。多数の孤立して見えた細胞が集団で意思を持ったかのように行動する、そういう話だよね。そうか、もし、荒井がものすごい集積化量子デバイスを考えているとすると・・・…」


 関が真面目な顔をして言った。


「全ての謎が解けます。しかも、DMNどころの話ではないんです、それこそ「こころ」そのものの問題ではすまないかもしれません。量子コンピュータがなぜ潜在的に速く答えをだす可能性があるか、と言えば、多世界解釈的には無数に存在する枝分かれする世界の全ての計算機資源を利用できるからです。あくまで多世界解釈は量子力学の理解を手助けするためのわかりやすい道具にすぎませんが」


「悪いが、すぐに理解できないよ。文献は全て集めたかい?関君」


「ほぼ、午前中に集中して集めました。全部は読めていませんが、少なくとも荒井さんが天才である、ということは分かりました。とにかく、日本人の着想はマネなんかじゃありません。それどころか独創的すぎて周りがついていけないだけなんです、早くしましょう」


「そうすると、関君、田中さんと協力して実験しながら、荒井を巻き込んでデバイスを作ってみる、というのが早道になるかもしれない。どうせ、日本の企業は半導体なんか大嫌いだから大学とつるもう。米巨大ITに先を越されたら、もう日本に未来はない、それほどのモノになるかもしれない」


「関君、まだ酔っ払ってはいないよな」


「私はお酒それほど、飲んでいませんし荒井さんの真意を理解しようと必死でした」


「君ほどの頭脳の持ち主が言うのなら試してみよう。行動が先だ、が荒井の持論だが今度ばかりはそうしたい」


 言うより早く、関と西田助教は電話をかけ始めていた。メールでは読むまでに時間がかかると考えたからのようだ。全てのことは自動的に何かの見えざる力によって動いているかのようにさえ、思えた。


 マッチ箱は電気羊の夢は見ない、そうだろうな、当たり前だ、と私は思った。

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