第12話 学生の確保

 西田助教は自分の学会発表資料を纏める一方で、学生に声をかけているようであった。私が実験室に出向いたところ、関、という名前の学生がタンクを見学していた。関は授業でも熱心に分子生物学を学んでいた。


 試験での彼の解答を良く見ると、彼が独自に勉強していることが良くうかがえた。DNAの配列が解読された、というのは主要と思われる配列が解読された、というだけの話で、後のジャンクと呼ばれるゴミ扱いのDNAには知らんぷりである。


 ゴミ扱いされているDNAは生物種にもよるが、全DNA配列の95%にも及ぶ。これについて、一般向けには役に立たない遺伝子群だから、関係ありませんよ、と説明されている、というか、そういう風に、テレビに出てくる御用学者や、遺伝子関係の企業は説明している。この手の連中がテレビに出てきて「なんと、全DNAの解読に成功しました」とでも言ったら、それは5%ほどのDNA配列が分かったことだと、解釈すべきである。もしジャンクDNAに機能があれば、全遺伝子解読に成功しました、というのは単なる勘違いにすぎなかった、一部が分かっただけでした、と言っているようなものだから、商売には都合がわるいのである。


 しかし、RNAiの発見により、殆ど解読に手が付けられていないジャンクDNAこそ、DNAの働きを制御している可能性さえ見いだされた。そのことを彼は知っている。御用学者ではない専門家たちが疑問に思いつつも解明できない未知な領域に、彼は踏み込みたいと考えているのだ。


 彼は本当なら成田教授のところでRNAiの研究をしたかったようだ。しかし、成田教授は別な遺伝子操作手法の開発で、学生の世話に手を回せない。彼の研究室の主要な研究資金源であり、成田教授も必死なのだ。そこで、仕方なくウチの研究室にやってきた。すでに、大学院試験に合格しており、あと少なくとも二年は、大学に残留することが決まっている。


 私は西田助教と関に声をかけた。


「西田先生、この関君という学生だね。だいたいは概容を教えたかい?」


「ええ、概容は教えています。彼は四年生なので、卒論を書かないといけませんので、今期は別テーマにしてもらっています。私たちの隔離タンク実験は結果が出るかどうか分からない研究ですし」


「それがいい。でも関君ほどの学生なら、もう卒論程度の結果は出してしまったろう?」


 関が言った。


「ええ、先生のおかげで、もう大体は収束です。あとは来期以降のことを勉強したいなと思いまして」


「関君に正直なことを言うと、我々二人は西田先生も言った通り、結論が出るかどうかすら分からない研究に手を出している。それに手を貸してくれるのは非常にありがたい。ただ、結果がうまく出なかったときに、君は悩むことになるよ」


「わかっています。いつものことです。今回もデータのまとめには随分と苦労しました」


「分かった。でも非常に興味深いことは事実だし、君も隔離タンクの体験をしてみれば、研究に興味も出ると思う。まあ、あまり興味がない、という結果になったとして、君が別な研究で修士論文を書きたいと思うなら、私は構わない」


「ええ、有難うございます。申し訳ないのですが、今日、その実験を体験させてもらいたい、と思って来ました。いかがですか」


「ああ。時間はこれから取ろう。他の些細なことなんか後回しでいい。そうだよね、西田先生」


「ええ、武田先生、彼が協力してくれるのなら、是非、彼の体験を優先したいと考えています」


「じゃあ、さっそくだが、準備を始めよう。タンクはプレヒートしてあるから、君の準備だけだ。西田助教に手順は聞いたと思うが」


「ええ、あとは測定器を付けて、中に入るだけですね」


「そうだ、さっそくやろう。西田先生、準備だ。我々二人で準備すればすぐにできると思うが」


 私と西田助教は準備を済ますと、彼にヘッドセットを装着してもらい、タンクに入ってもらった。これまでの経験から最初は90分程度が妥当、と考えている。関はタンクに入り、我々はモニタリング装置のある隣室で待機した。


 関は最初にも関わらず、数回の記憶追随体験をしたようだ。スイッチの押されるタイミングも視覚野の活動に同期している。


 やがて関が出てきて言った。


「非常にリアルな過去体験をしました。先生方がおっしゃっていたのと同様です。申し訳ないですが、記憶は断片的です。幼児のころの記憶でした」


 私は言った。


「君の出したデータは我々と共通している。つまり、三人の被験者で同じ結果が得られている。このことは実験の再現性を主張する上で大きな進歩だ」


「そうですか」


「ああ、そうだ。だから、是非、君がもっとデータを積み上げ、できることならその分析にも手を貸してほしい、そう考えている」


「この分野の進歩に触れることができるのなら、そうしたいです」


「決まった。じゃあ、明日から関君を投入して我々三人で研究を進めよう。西田先生は学会用にデータをまとめてくれ。学会はそろそろ締め切りだから、得られたデータだけで概要を提出しよう。発表ではもっと良いデータと、それからDMNとの相関についての考察だ、それがまだ十分ではない。そこを考えよう。進捗次第で発表可能な内容を厳選しよう」


「分かりました」


 西田助教は答えた。私は、自分たちの研究進捗が加速されるであろうことを喜び、しかし顔には出さず、実験室を出た。

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