第11話 最初の実験結果
冬になった。非常に寒い日で、私と助教は暖房出力を最大にして実験に備えた。西田助教が被験者となり、まずは第一弾のデータを取る。彼は親指と人差し指で押さえると信号が飛ぶ小さなスイッチを持っている。例の“ヘルメット”を装着して実験開始を待つばかりである。
「西田先生、始めよう。セッションは90分ほどを目安にしたいが調子はどうだい?」
「問題ありません。何かあったら伝えます。カメラで顔を録画するようにしていただけますか。PCにそのまま入りますから、データと一緒に保管しましょう」
「わかった。始めよう」
西田助教はタンクに入り、私はLEDライトを消してモニタリングを始めた。15分ほどして、視覚野に大きな変動が見られた。スイッチが押されていることを示すアイコンが点滅している。成功だ。
その後、西田助教は何度か浅い瞑想に戻りつつ、また深い瞑想に戻ってはスイッチを押した。その時にも視覚野の興奮が明らかに見えた。合計五回ほどの視覚野興奮状態が観測されすべての深い瞑想状態でスイッチは押されていた。また、誤認識による押し間違いもなく、データ取りは一回の実験でかなりの成果を上げることになった。
90分経過し、西田助教が出てきた。助教は言った。
「非常に明瞭な視覚体験を得ることができました。スイッチを押したつもりですがどうでしょう?」
「すべて問題なく押されている。計、五回の体験を得ているようだが全てのエピソードを覚えているかい?」
「すべてはおぼえていないんです。そこが、残念ですね。すぐにノートに取ります。でも初回の実験としてはまずまずではないでしょうか」
「そうだ。これを積み上げて確実なものにするとともに、脳の他の領域の興奮状態についても調べていこう。論文にするのは、視覚野とスイッチの関係だけでよい、なぜなら他の領域との相関をうまく説明できるだけの理屈付けができていないし、分析も不十分だ」
「ここまでで、私としては満足なデータです。ですが、この間のAIとの対比に関する議論への回答、またDMNとの相関について説明するだけの論理ができていません」
「それは、これから考えねばなるまい。特にAIとの比較については難しいよ。近頃ではAIに知能がある、とか主張をするヤツまでいる始末で、そいつらの理論武装を木っ端みじんにするぐらいの論拠を用意する必要がある。また、DMNとの相関は今後の展開で重要だ」
「論敵を
「時間はかかったが、研究の骨格ができた感じだね。私は西田先生の意見には賛成なのだが、もっと深いところまで突っ込みたいと思っている。マッドサイエンティストの汚名を避けつつもだが、ペンローズの主張やそれに対する反論、そういったものに対する回答に結び付けたいんだ。まだ先走りすぎだから、ゆっくりでいいが。まずは、三月の学会を目標にしよう。データの積み上げをしながらだが。質問が来るぞ、結局何回の実験で再現できましたか、というやつだよ。私なら、必ず質問するよ」
「わかりました。時間をできるだけ作るのと、そろそろ学生の被験者を使って、我々の時間的負担を軽減すべきかと」
「わかっている。西田先生、指導している学生で有望な人を連れてきてくれないかな。そのうちでいいから。あと、学生たちは就職もあるからAIにのめり込みがちになっているはずだよ。
学生たちは、何にも分かってないからさ、AIできますとでも売り込むつもりだろうが、企業の採用担当者はそんなこと考えていない。どれだけの深い考察ができる人物か、これからAIが研究分野として陳腐化してしまっても新たな発想ができるか、とか、そういう能力の伸びしろを見るから。この研究なんか本当はぴったりなんだが」
「先生のおっしゃっていること、それ、そのまま現在のAIの限界を示しているように思えます。つまり、新たな発想、というところですよ」
「そうか、そんなつもりもなかったが、人間の伸びしろってそういうところだよね」
伸びしろ、か。私も年をとってきたこともあり、自分の伸びしろに限界を感じることがある。50過ぎ、という年頃でもある。自分がなぜ、ここまで学会に認められてきたか、というと、運もあったのだろうし、大きな製薬にいた、ということもあるだろう。しかし、自覚するところでは、常に考えている、そういう態度は重要なのだ。
だから、企業の採用担当者の気持ちはよく分かる。ことさらAIを押し出してくる学生なんて真っ先にリストから削りたくなるだろう。最近は意地の悪い質問することはご法度だが、就職氷河期なら、「じゃあ、AIがだめになったら君は何をするつもりか説明してくれませんか」と辛辣な質問が飛んでくるに違いないのである。そんなこと、露骨にやる阿呆な採用担当は今どきいないだろうけれど。
私も西田助教も次の講義のために準備が必要で、すぐに実験室から撤退した。
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