第7話 データ取りの決断

 配管工は、最後に配管にテープを巻いて、要所だけ妙な防水処理をしていた。その手の専門家なので、任せておこう。工事期間もそこそこで「これで漏れたら、また連絡してください」と言い残して去って行った。「配管はやったから漏れないようにするだけでいい」、と思い切り値切ってしまったので仕方ない。


 しばらく、実験を繰り返したが私も助教も経験エピソードが中々安定しなかった。日によって感覚が変わり、没入できるまでの時間もバラバラだ。しかし、共通点がないわけではない。この共通点をもとにデータを取り始める時期だろう。


「なかなか、エピソードが系統的になってくれないね。毎回、人間の気分なんて変わるものだし、いらいらしている日もあれば落ち着いている日もある。そのときの状態で、体験も変わる。共通点はなんだろうか」


「同様の体験として言えるのは、外部刺激を遮断し、重力も取り去ることで自分が広がっている場所にいるように感じられること、わずかな動きに対する感覚が鋭敏化すること、過去の記憶が明確化することですかね。離脱現象はついに私も経験できていません。この際、離脱現象はまれに起こるもの、として観察から除外してはどうかと思います」


「そう思うよ。そうすると、共通点でかつ測定器が検出できそうなのは、過去の映像を頭に浮かべた時、どのように脳が動いているか観察することかな。ヘッドセットで測定していれば視覚野が活性化している状態なのか分かると思う。それに、どこからあれだけ深い記憶を取り出しているのか、不思議だよね。問題は、アレを頭に着けて集中できるかどうかだ」


「慣れるしかない、ですよ。まずは我々で。学生なんか入れたら適当な感想言って、卒論でも書こうって腹でしょうしね」


「次回から、あのヘルメットみたいな測定器をつけてデータを取ってみよう。視覚野が活性化していれば仮定どおりだし、そうでなければ別な現象だ。


 それから我々の研究と直接は関係ないが、リラクゼーション効果について言えば効果絶大だよ。瞑想状態に簡単になれる。結局、薬ではウツが直らない、という事態に直面して瞑想が流行りだしたわけだが、効果はあるかもしれない。例のAIで知られる米巨大企業も瞑想を取り入れた。その辺りで誰か食いついてくれるとありがたいが。あの会社が我々なんかに気づくはずもないけれど数少ない宣伝材料だよ」


「研究規模が小さいだけに、誰か興味をもって協力してくれるとありがたいですね」


「そうだね。ここまで来るだけでも、随分時間がかかっている。過去の文献はたしかにあるが、信用していいものやら分からないものがたくさんあるし」


「文献調査、怪しいものがたくさんあります。半分以上は概要を読んで排除です。妙な哲学を持ち出して正当化しているのさえ。そういうのは一般書にも数多く、どうしようもない内容です、除外ですね。一貫性、再現性を考えてないのなんて論外ですよ」


「そうだね。そのような文献は無視でいいよ。でも、そんなもんだろ。要はカネと業績の問題さ。私たちは、怪しい学会に行く気はないし、誰もが納得できる方向を目指してるから試行錯誤が多くなってしまうんだよ。適当に論文書いておしまいにするんだったら、それなりのやり方をすればいい。あるいは、一般受けの良い雑文、刺激的なタイトルで出版して小遣いを得た方がいい。論文でなくてもホフスタッターの“ゲーデル・エッシャー・バッハ”とかは良くかんがえているけれど」


 いつも思うのだが、最近ではまじめな研究ほど、失敗とやらは許されないらしい。海外の論文とか見ると、堂々と失敗しました、と書いている。失敗は教訓になる。後から追ってくる者にとって大変な参考になる。せめて、私たちだけでも、うまくいったことにするのは止めにしたい。もし、感覚遮断でうまくいかない、というのなら別な方法を考えるまでの話だ。


参考文献

*1 D. R. ホフスタッター 著, 野崎昭弘 訳, 柳瀬尚紀 訳, はやしはじめ 訳「ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版」,2010年,

白揚社

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る