第4話 助教の説得

 すでに書いたが、実験台は私、それを補佐する助教しかいない。


 准教授は外部から来た私をうとましく感じているはずである。彼は独自にAIの研究を企業資金で始めている。どうせ二番煎じだが、教授が私になった以上、彼は形だけでも業績をあげ、国内の別な研究機関で教授職を探さねばならない。今さらのバーチャル・リアリティにまで手を出している。言いたくはないが、VR技術の立ち上げは、いかがわしい動画産業が先手だろうに。


 しかし、人生の処方箋として仕方の無いことだ。そこで、出世欲のまだ旺盛な助教をして、未知の分野開拓を手伝わせようとした。


 西田という助教は、まだ学生から教官になったばかりであり、大学の運営システムなぞ私以上に知らない。ただ、大学は学問をきわめる機関であると思っている。そうではないのだ、今は。


 バブル以降の教育機関改革で、大学は企業と連携しろ、という強力な圧力にさらされており、日々の運営費にも神経質だ。それをなんとかしよう、とすれば基礎研究なんかやっている場合ではなく、AIをやっていますと言った方が都合がよいのだが、私は助教を説得した。


「西田先生、どうですか教官になったばかりですが」


「ええ、武田教授、私もかなり張り切っておりますので何か新しい発見をして、論文をたくさん書きたいのです。ぜひ、お手伝いさせてください」


「はたして君の期待に応えられるか分からないが、既存AIでないアプローチで「こころ」の解明をすることが目的だ。それでもいいだろうか」


「教官をはじめたばかりで、まだ目的をはっきり見いだせていませんし、今のところは教授の補佐をしながら方向性を見定めたいと思っています」


「正統的な手段として、今のAIブームに乗ったとしよう。それは、結局、お金を持っているところが勝つことになるよ。なぜか?それは理論に新しいところがほぼなくて、コンピュータのソフトとハードに投資して早く、かつ大量のデータをいかに処理するか、という学問ではないものに成り果てているからだ。データ処理装置は米国で設計され、台湾で製造されている。PCの部品と同じものなんだよ。


 成果はそれなりに出るだろう。自分で動く車もできるだろう。産業用、医療用の人間に代わる機械もできるだろう。でも、そんなもの、企業が投資すれば簡単にやってのけると私は思う。要は金の勝負になってしまう」


「ええ、私も米国の巨大情報産業がAIでリードすると思います。既存のAIにない、新しいものを見つけたいとおもうのですが、アイデアがないのです」


「そう、それはよかった。良かったかどうかは後を継ぐ君にかかっているが。まだ、日本が情報産業で勝っている時代なら、私もAI研究に注力していたかもしれない。新しいデバイスとかね。知っての通り、日本は集積回路事業で大失敗をした。何万人、失業したか知っているかい?」


「すみません、もう2000年初期の話ですから良くは知らないです」


「驚くべきことに、あまり知られていないのだが、大手だけで約3万人から多く見積もって5万人さ。自動車産業に次ぐ利益を出していたのが、10年もせずパーになったんだ。働いてた人たちはエリート街道をひた走って、突然の失業だ。今頃、シリコンバレーか台北、韓国にいるんだろうね。私の知り合いは年齢も高いから、という理由で近くの町工場にいるよ。


 日本の主要な頭脳が流出したのに放置だよ、ひどいものだ。まあ、経営と政治の問題だから、我々がとやかく言うことではない。


 だから、既存型AIにいまさら注力しても米国に勝てる見込みはないんだよ。米国にはデバイスも、ハードも、ソフトも、世界中の情報収集網すら全てある。日本は台湾にさえ勝てまい。しかもカネもだよ。


 日本に勝てる目があるとしたなら、AI応用機器だけだ。おもに自動車だろうけどね。衝突しない車の次は、自動運転だ、その次まで目に浮かぶようじゃないか。つまらん、と私はおもうよ。しかも、首根っこは米国におさえられてる。


 そんなところに大学が挑んでも仕方ないし、新しさがないから私には興味も持てない。地味な実験からだが、宜しくお願いしたい」


「ええ。ご指導おねがいします」


 西田助教の協力はこうして取り付けた。隔離タンクのハードそのものは完成し、あとは基礎研究を始めるだけだ。しかし、脳の活動モニタリングには最新鋭の機器が必要であり、これをレンタルしてもらうのに非常に苦労した。


 脳の活動状況を測定する、光トポグラフィー、脳電図、脳波計はどうにか借り受けることができ、成果は機器提供元と共同発表、特許権は譲歩する、という選択をせざるを得なかった。


 これら装置がなければ、リリーの時代のように脳に直接、電極を刺し込むことになるが、かくなる実験を今時の大学当局が許可するわけがない。特許の一件では、カネに目がくらんだ大学当局からさんざんにこき下ろされた。脳に電極を刺すよりいいだろうと脅し、また、次世代につながる基礎特許を押さえるから、ということで勘弁してもらった。


 隔離タンクの試験運転は西田助教と立ち会い、二人だけでやった。硫酸マグネシウム溶液が規定量まで満たされ、温水循環装置が体温に近い状態を保つことを確認し、マネキンを使って浮遊試験、騒音レベルの試験までやった。あとは測定機器の配備だが、専門知識が必要なため、協力企業の傘下にお願いしてやってもらった。映画のドクター・ジェサップみたいに思い立った日に危険な実験をするわけにはいかないのだ。


 あとは試験をするだけだ。完成した隔離タンクシステムを前にし、薄暗い実験室で、西田助教と発泡ワインをグラスに開けた。安物の発泡ワインに特有の合成香料の香りが立ちこめ、私たちは覚悟を決めた。静かな実験室にグラスのかち合う音が響いた。

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