第2話 マッチ箱は電気羊の夢を見るか

 AIは人工知能と呼ばれるがそうではない。


 良心ある技術屋ならだれでも知っているはずだ。知らんぷりなぞ「わたしは」許さない。たとえマスコミだの経済雑誌だのが書きたててもだ。


 AIとは単なるデータ処理技術と巨大データベースのことをそう呼んでカネ集めるコトバである。コトバのトリックなんぞ、私は興味ないしカネ集める気もない。良心を失ったものどもに腹は立ててもだ。


 クラーク原作、キューブリック映画化の「二〇〇一年」に出てくる、意識を持ったコンピュータの名前はHAL9000という。名称は”Heuristically programmed ALgorithmic computer”の略、とされており今のAIでも自発的に解決アルゴリズムを見つける、という点では一致するところがある。内容は違うものであったとしても、だ。


 数学者のマーチン・ガードナーが考案した「ヘキサポーン」というゲームは、コンピュータとメモリのかわりに、当時は家庭にあったマッチ棒とその箱を利用するものであった。対戦して負けた手を貼り付けた箱からは一本ずつマッチを抜いていく。勝ったアルゴリズムにはマッチ棒を足していく。しまいに、負ける手を貼り付けてあるマッチ箱は空になる。からの箱に書いてある手は打たない。そうすると、やがて強い思考機械がマッチ棒と箱によって実現されてしまうのである。


 果たして、こころとはそんなものであろうか。学習によって、あるアルゴリズムが強化されることは間違いなかろうが、統計で大量のデータを処理すればそこに「こころ」は生まれるのであろうか、と私は思った。そこに「こころ」なるものはない、と私は考えているのでここに来たのだ。


 朝からそんなことを考えていると、となりの成田教授がやってきた。この人は、もろ生化学でRNAiの研究をやっている。RNAiというのは、断片的なRNAのかけらを細胞に入れると、対応する配列の遺伝子が作動しなくなる、という近年発見された事実である。この発見そのものは驚くべきことである。今まで役に立っていない、とされたはずのDNAにおける大部分の未解釈部分がきわめて重要であることを示唆している。しかしながら、実用化となるとそこには障壁がある。


 成田さんは朝から頭を抱えている。


「いや、まいっちゃってさあ。この分野は、あの大発見以来、なんの応用もできてないでしょ。だから近頃はカネ詰まりでね。製薬でいいところないかな」


「いや、あんなもの薬にしようとしたってそう簡単にはならないですよ。だって、RNAi、がんに効きます、って宣伝しちゃったでしょう。あれはまずかったですよ。効くわけないもの」


「それは聞き捨てならないが、まあそうだよ。あれだけの大きな分子を塊状がんの細胞の内部まで浸透させるのは難しいよね。でもあれしか宣伝のやり口はないんだ。浸透させる方法を考えました、でやるしかないのさ」


「宣伝、むずかしいですね。家電メーカーとかうまいこと言って、炊飯器とか空気清浄機とか売りますけどねえ。まともな論文見たことないですもん」


「あれはあれで、どうかと思うけどね」


「まだ、成田さんはいいけど、うちの研究室で売るならAIしかないですよ。ライバルは多いし、やっていることときたら単純なデータ処理なわけじゃないですか。いかにも難しそうに書いた専門書がありますけど、数十年も前に基礎はできちゃってるのに今更どうしろと」


「まだ、売れるうちに宣伝したほうがいいよ。僕らみたいに詰んでしまう前に」


「医学部はいいよなあ、って今頃から言っても仕方ないけど。あいつら、製薬とつるんでデータ出してるし、大々的に宣伝できるし。結局、効きませんでした、で許されちゃうところがまたうらやましい」


「まあ、彼らだってさあ、日頃は大学病院とかに引きずりまわされて忙しいんだって。可哀想なひとたちなんだよ。外科なんてやってられないほど忙しいはずだよ。それなのに心筋シートとか作ってさ、エライと思うけどね」


「理論物理はどうですかねえ。よく壊滅しないなあと感心してるんですが」


「もともと頭が回るから、色々と出どころはあるんじゃないかな。僕らみたいにさ、一本芸でやっているわけじゃないし」


「まあ、生物も結局、物理に根本究明は頼ることにはなるんですけどね。弱体化してますからねえ」


 世間話をしながらも私は、考えをめぐらせていた。果たしてマッチ箱に意識があると考えて良いものか。マッチ箱は電気羊の夢を見るわけない、とP. K. ディックの小説を持ち出して思いもした。神経回路やその動作の仕組みそのものを理解することが課題であって、AIの動作をいくら研究したところで「こころ」は実現できないように思えた。


 研究室はまだ朝だったので、学生は来ていない。自分のPCを起動し、「ブレードランナー」のDVDを飛ばし見しながらコーヒーを飲んだ。エンドロールの最後に、「フィリップ K. ディックの思い出に捧ぐ」に相当する”This film is dedicated to the memory of Philip K. Dick”の文字が流れ、映画は終わった。


 そして、講義の用意をしていつものように講義室に歩いていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る