ストレスには狐耳が効く

 たとえば、精神的疲労が一定の度合いを超えたとき――これは定期検診で明らかになる――狐耳の少年ないしは少女が配布される。

「どこから来たの」

「派遣元、という意味なら」と彼女は言って、首から下げた名札を見せる「国じゃの」

「じゃあ公務員なんだ」

「然り」

 ということで、彼女がぼくの人生をケアすることになった。

「パンフレットは読んだかの?」

「あのPDF」

 開いてもいなかった。

 大体、説明書の類を読んだところで、理解できるとは思えなかった。そういうわずかな集中力すらなくなっていたから、仕事でもミスをしていたのだ。これは怒られたところで仕方がない。なにしろ、なにを怒られているのかすらわからなかったくらいだ。ただし、ちゃんと精神はくたびれた。で、壊れた。

「その様子じゃと、読んでないようじゃの」

 と言って尻尾を揺らす。

 空中の誇りをまきとってしまう様子に、申し訳なくなった。

 別に望んで来てもらったわけじゃない。

 医者と役所の共謀によって、彼女が派遣されただけのことだ。

「窓を開けてもよいかの?」

「ご随意に」

 ここは確かにわたしの部屋だったが、こだわりはなかった。

 空気は確かによどんでいる。ここ数日は天気も悪く、外は雨やら雪やらミゾレやらで混沌としていたから、最後に窓を開けたのもいつのことか思い出せなかった。汚れた換気扇の換気能力は無いに等しく、空気清浄機はスマホが突き刺さったまま死んでいた。

「初日の印象は肝心じゃからの」と言いながら、彼女はカーテンをどける。

 人工太陽の光が、彼女の頭に生えた三角耳の輪郭を際立たせる。それもきっと室内に舞う埃のせいだろうけど、なんとなく、彼女自身が光を放っているようにも見えた。尻尾が一度、円を描くようにフサッとなる。

 彼女はそのまま窓を開ける。

 模様ガラスが和らげていた窓の向こうには青空がある。

「国がの、晴れにしてくれるのじゃ」

「そうなんだ」

 風が流れこんでくる。

 なんの覚悟もない鼻に冷たさが来て、くしゃみが出た。

「まずは部屋の掃除からじゃの」腕を組んで伸ばしながら彼女は言った。

 それがわたしと彼女の出会いだった。

 秋の日の午後である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る