亜修羅は亜流の闘神に過ぎず

狛夕令

第1話

 その女は粉雪とともにやって来た。

 「降ってきやがった……」

 欅造りの門前で、警備に当たっていた組員が夜空を見上げて舌打ちをしたわずかな隙、ふたたび視線を正面に戻すと、女が忽然と現れたのだ。


 見た目は女子高生。どこの学校のものかわからない褐色のブレザーとロングスカートの制服に雪をまとわりつかせ、ひたひたと歩いてきた。

 暴力団こわいの人の親分が住む屋敷だけあって、付近には一般の民家は極端に少なく、まるで暗闇の中から抜け出てきたかに見える。

 (雪女ゆきおんな……?)


 高校中退の組員は柄にもなく詩的な印象を抱いた。

 小学生時代から窃盗と恐喝と傷害で幾度となく補導、警察のファイル上は小学三年生の時にクラスメートの男の子の右目を片手用スコップで抉って失明させた事件が、最初の犯罪記録となっているが、警察沙汰にならなかった案件を含めれば、それこそ幼稚園に入るか入らないかの頃からやっていた。

 ちなみにクラスメートの目を潰した理由は、遠足に遅刻させてやろうと集合時間を故意に間違えて教えたのだが、友人はどうせまたウソだろうと判断して時間どおりにやって来たことに立腹したというのだから、際限知らずの身勝手さに誰もが戦慄した。


 彼は暴君だった。学校でも公園でも街角でも路地裏でも。

 女の子には優しかったが、優しく振舞える自分が好きなだけだった。

 強い人間に憧れ従順であったが、情け深い人間だとわかると軽蔑した。

 自分の更生を断念させることが人生最大の愉悦になっていた。

 起きている時間は、ほぼすべて他人への批判と中傷に費やされ、彼を恐れて引っ越してしまう者までいた。すると彼は見捨てられたと泣くのだった。


 絶えずケンカをしていなければ落ち着かず、不良仲間からも異端児扱いされるほどの獰猛さから、ついた仇名が小学校時代は〝狂犬〟で、中学にあがってからは〝殺人未遂鬼〟から〝自殺志願者製造業〟を経て、高校以降は〝阿修羅〟に定着。

 実際、皮肉でも何でもなく、彼にこれ以上ふさわしい仇名はなかった。生き方そのものが修羅道の実践であり、人を殴る手は六本あっても足りないぐらいだ。

 二十歳の春に少年院を出所した後、行き着くべくして行き着いた勤め先は西日本一帯に下部組織を持つ暴力団。果たして今夜の惨劇を予見していたのか、組長直々の命令を受け、本邸前で寝ずの番を遂行中にこの珍客が現れたのだ。


 警視庁指定特殊暴力団・蘇鉄組組長の本宅は、明治の頃、政財界の巨頭らが互いの威光を競い合うかのように建てた別荘の一つを下賜されたものである。

 相楽苑と名付けられた純和風の広大な家屋の中でも、京都の古刹から移築させた総欅の正門は、とりわけ組長のお気に入りだった。

  生憎と、でかくて古い家以上の価値を見出すには彼の情緒は不足気味だったが。

 組長の自宅でなければ放火していたかもしれない。


 (なんだコイツぁ⁉)

 ブレザーの少女は、まっすぐこちらへ向かってくる。

 うら若き乙女の来訪にもっともふさわしくない場所、号令ひとつで一万人のヤクザが動くとされる暴力団組長の自宅に、一体なんの用事があるというのか。

 冬将軍すら避けて通りそうな熱き極道魂を持つ彼が、薄気味悪さを感じた。


 「止まれ!」

 無意識にスーツの下から拳銃を取り出す。

 威圧ではなく威嚇、本能的な恐怖が彼に銃器の使用を促したのだ。

 「止まらんかい! オラッ!」

 しかし、女は無言で前進してくる。

 距離が縮まるにつれて子細な部分まで見分けられた。


 女性にしては、かなり背が高い。いや、かなりどころではなかった。185センチある自分より若干大きいと感じる。190センチはありそうだ。

 短めの栗色の髪をオールバックにし、色白で美形ながらも鼻筋高く、紺碧を瞳に宿す鋭い目つきは、白人の血を引いているのかもしれない。

 後二メートルという所まで来て、女は立ち止った。


 「誰じゃあ貴様は! ここがどなた様の御宅か知っとんのかあ!」

 「ここは君の家か?」

 止水に沈む重石のような声に男の罵声が遮られた。

 「……違います」

 滅多に使うことのない丁寧語で返事をした。

 怒号を一言で鎮められてしまうなど生まれて初めての経験である。


 「あの門、君が恐れ多くも尻を向けている欅の門な、あれは私の曾祖父が庵主を務めていた寺院の山門なんだ。ほら、屋根瓦に六曜星の紋が入ってるだろ? 梅紋じゃなくて六曜星、あれは私の一族の家紋なんだ」

 「あの……悪いけど俺……」

 「ヤクザの匂いが染みついてるのが少々値打ちを落としているが……」

 「君、どこの高校?」

  女は不快そうに鼻をクンクン鳴らして、肩の雪を払う。


 「だが、県内最古級の日本家屋だし、茶室や厩舎も保存されているのが気に入った。庭は八代目治兵衛の作だったか? 君に聞いても知っているわけないか」

 「家まで送ってあげようか」

 「実際住んで確かめてみればいい。なあ、ここを私の家にしてもいいだろう?」

 「そ、それは組長に相談なさって……」

 「いいだろう?」


 下から覗き込むように微笑を浮かべて問うてくる。

 男は涙が出そうになった。

 嚙合わせる気のない会話を強引に嚙み合わせられるなんて。

 理不尽だ。いい加減にしてくれ。


 「俺、何も悪いことしてないじゃないっすか」

 「いいんだね」

 黙って頷いた。頷かされた。

 拒否した後の無惨な展開を予想させる笑顔は彼の得意芸でもあった。

 「よろしい。この屋敷は、高貴にして光輝たる天人が住まう極楽浄土に生まれ変わる。もはや君たちのような獣くさい男は邪魔なだけだ。ってくれ」


 彼の最大の不幸は、意識が途切れる最後の瞬間まで、社会への被害者意識を持ちつづけたことだった。

 自分は強さ以外に何も持たぬ人間だという事実を認識できなかった。

 自身と向き合う勇気、自身の暗部を底まで覗き込む勇気を持たぬが故、必要以上に吠え、両手では間に合わぬほど殴り、弱者に依存して生きてきたのだ。


 (ほら、虐められているのは、いつだって俺の方だったろう?)

 発砲も空しく亜流にせの阿修羅が地面をバウンドする。

 門番は排除され、彼の肋骨を粉砕した乙女の両手で、盛大に欅の扉が開かれた。


 数日後、蘇鉄組長邸は、さる仏教法主の私邸に生まれ変わった。

 屋敷にいた組員らの行方は杳として知れない。





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