二十五  馬鹿にしてますよね。



 僕は南水みなみのアカウントを、ブロックも消去もしなかった。それでは。僕の神がそれで納得をするものか。

 南水からの返信にはこうあった。『質問の答えになってない。』もともと南水が聞いてきたのは、僕が叔父と同様に、書いていると周りが見えなくなるか、だ。それについてははっきりしている。僕は前夜、書いている最中に勇奈と話までしている。『叔父さんとは違う。周りを見る余裕はある。』と律儀に返した。向こうから、『明日の夜9時。場所はどこがいい?』と尋ねられるので、『T駅の東口。』と、手頃な所を言った。以降、南水からのメッセージは途絶えた。

 携帯をリビングのテーブルに置き、深くひとつ呼吸をした。もうシャワーは浴びている。寝間着としてのTシャツ、ハーフパンツにかまわぬまま、置いたばかりの携帯をひったくると、電話でタクシーを呼んだ。


 部屋に招き入れるなり、勇奈いさなは、「二晩続けてがっかりさせるなんてこと、よしてくださいよ。」と言うので、僕は「そこまで厚顔無恥じゃない。」と、答えた。今日はパソコンを収めたバッグは持ってきていなくて、僕は財布と携帯をリビングのテーブルの上に放り出した。

 勇奈は白のハーフパンツと、ピンクのキャミソールだけで、キャミソールの下には下着が覗いていた。勇奈は僕の顔をとくと見て「昨日より、私のこと好きじゃないって顔してますね。たまらないです。」と、何やら倒錯したことを言った。「それで、結真ゆうまさんは何のために来たんですか。」と核心を衝く。「抱くためだろう。」「そうじゃありません。」勇奈は言下げんかに否定した。「書くために喰らい合うと言いました。だったら、私を抱くことが、結真さんの創作のプラスにならなくちゃおかしい、そうじゃないですか。」間違いは何もなかったので、僕は素直に頷いた。「そういう意味の、何のため、です。私を抱くと、結真さんの作品はどういうふうに変わるんですか。」ぞわりとした。間違いなく僕は書くために来ている。勇奈を抱きたくて来たわけじゃない。では、何がどうなるというのか。考えるでなく、直感で答えを言っていた。「神を見るため、だよ。」「私の体で見られますか。」勇奈はやや自信なさげに自分の胸に触れるので、少し気が緩んだ。「Dカップが好きだと言ったことがあるけど、Aカップも嫌いじゃないんだ。」気を利かせたつもりだったのだが「結真さん、私の胸がAAカップであること、馬鹿にしてますよね。」と、見事に失敗した。キャミソールだからとて、さすがにその上から判断できる程、僕は胸に興味が無い。


 服を脱がせる前に、二の腕に軽くキスをした。経験の浅い、本人曰く、はっきりとゼロ、という勇奈は、それだけでびくりと跳ねた。「そういえば、ずっと聞きたかったことがある。」と、僕は前戯の間の話題としてふさわしくないことを口にしていた。「梅雨のことだったな。部室棟の屋上で、雨に濡れていたろう。」それは、僕が勇奈に惚れたきっかけだった。「見ていたんですか。そうやって恥ずかしがらせるの、その、プレイのうちなんですか。」「いいや、ちっとも。」僕はキャミソールの紐に指をかけた。「いったい何をしていたんだ?」何のためらいもなく聞けるのは、勇奈への恋着を振り切りつつあるからだと思えば、胸中に複雑さは生まれた。「神を見ていたんです。」勇奈は軽妙に返した。「結真さんの書く小説、その高みにほんの少しでも近づくために、身をもって体験するしかやりようがなくて。」言われて思い出す。僕が以前書いた小説に、ヒロインが雨中でひたすらに佇むシーンがあった。「そして、超えたくて。」キャミソールを脱がされながらも、勇奈は真剣な面持ちになった。「たった一文だけでも、結真さんを超える文章が書きたくて、前夜から考えていたんです。あの時。」なるほど、と思った。早緑さみどりの言う獣というのは、こういう生き物なのだと。「一瞬、雨の中で、結真さんをも上回る一文を見つけて、思わず笑っちゃいました。」僕が惚れたのは、きっと美しい情景がそこにあったからではない。その芯の強さに、神を見る勇奈に惚れたのだろう。

 ブラジャーに入っていたパッドは明らかに大きく、本人の言うAAカップは事実のようだった。ショーツさえも脱がしてから、自分の服を脱いで勇奈と向き合うと、軽くキスをした。「どうぞ。ファースト、キスです。」と情報をもらってから、鎖骨のあたりに舌を這わせたが、それだけで勇奈の呼吸は激しく乱れている。快感によるものではないだろう。極度の緊張と未知への興奮が綯い交ぜとなって、息を御せずにいるのだろう。

 勇奈は積極的だった。「結真さん。」愛撫を続けようとした所、声がかかり、気付けば勇奈の顔が至近にあった。そのまま、がむしゃらな勢いで勇奈から唇を重ねられると、差し入れられた舌は僕の口腔で不器用に動く。しばらく僕の口内を味わってから勇奈の舌は退しりぞき、互いの唾が交じって零れた。僕を見つめる勇奈の呼吸は輪を掛けて乱れていたが、それでも気丈に言葉を口にした。「初恋の人と、最高の形で、セックスできる、なんて、私、幸せ者ですね。」最高の形とは、書くことを言っているのだろう。「どうぞ、見てください。私の、体でいいのなら、神を。」真っ直ぐに言われるのはいいが、勇奈の緊張は解けない様子だったので、「AAカップでも神は見られる。」と返してみれば、勇奈は僕の唇に噛み付いた。僕は勇奈の乳房を手で覆う。そこで初めて、勇奈から嬌声が漏れた。


 勇奈は僕の右腕を枕にした。「こういうシーン、入れたかったんですよ。」と、勇奈は言う。「思ったより、出血しませんでしたね。」残念がるふうに、勇奈は狭く血に染まった白いバスタオルをひらりと左手で持った。借り物の家のシーツを血で汚しては面倒なので、下にバスタオルを敷いていた。

 携帯のアラームが鳴った。三分という取り決めだった。勇奈は僕の腕から退く。「結真さんの腕、大切ですからね。ああ、心臓に悪かった。」三分限りの腕枕、それを言い出したのが勇奈だった。確かに腕が痺れれば、執筆はできない。

 改めて僕の右で横になると、勇奈はぼうっと天井を見遣りながら、「それで、見られましたか、AAカップでも、神は。」言葉は戯けているようでも、声音からは怯えが読み取れた。「何をそんなに怖がる。見れてなかったらどうする?」「私ばっかり結真さんを喰らって、馬鹿な女だなって思います。」淡々とした口調でそれは言われた。「神は見られたよ。」僕は端的に言って、勇奈は文字通りに、タオルを持った手で胸を撫で下ろした。「良かったです。」勇奈の声音は忙しく、今度は涙声に近しくなった。「私はこれからも、結真さんと喰らい合えるかもしれない。」

 僕は確かに神を見た。勇奈を抱きながらも勇奈を見ずに、僕の作品のことを見た。僕の神としての僕を見た。作品に棲む命を見た。それは僕が、勇奈への恋着を完全に振り切ったことを意味した。今ここに、僕の恋は残っていない。誰よりも分かり合えるふたりがいるだけだ。

 別な場所に、愛が残っている。

 ここに恋はない。

 思考が断片的に僕を巡る。

 早緑への情と信頼は確かにある。

 僕には書くべき作品がある。

 早緑に甘える自分を是とするのは、とても安らぐ、心地の良いものだった。

 もし、愛を選べば――

 

 作品だけではない。僕は一切を殺すのだ。

 裏切る。

 早緑との信頼を。勇奈との喰らい合いを。花凛かりんと家族でいる約束も。そして僕自身をも。そうだろう。愛を選ぶというなら、そういうことだろう。違うか?

 僕は勇奈の方へ向きを変えた。勇奈もまた、僕を向いた。「ヘラクレスは言うんだよ。お前がいなかったら、何もかもゼロだったと。」それはヘラクレスの言葉ではなかった。花凛のげんを拝借しただけだ。ヘラクレスはあくまで作中の深海魚であるはずだったが、勇奈はなまやかに微笑んだ。「結真さんって、マイナスでもかまわないって、そう思わせる人なんですよ。」




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