二十五 馬鹿にしてますよね。
僕は
南水からの返信にはこうあった。『質問の答えになってない。』もともと南水が聞いてきたのは、僕が叔父と同様に、書いていると周りが見えなくなるか、だ。それについてははっきりしている。僕は前夜、書いている最中に勇奈と話までしている。『叔父さんとは違う。周りを見る余裕はある。』と律儀に返した。向こうから、『明日の夜9時。場所はどこがいい?』と尋ねられるので、『T駅の東口。』と、手頃な所を言った。以降、南水からのメッセージは途絶えた。
携帯をリビングのテーブルに置き、深くひとつ呼吸をした。もうシャワーは浴びている。寝間着としてのTシャツ、ハーフパンツにかまわぬまま、置いたばかりの携帯をひったくると、電話でタクシーを呼んだ。
部屋に招き入れるなり、
勇奈は白のハーフパンツと、ピンクのキャミソールだけで、キャミソールの下には下着が覗いていた。勇奈は僕の顔をとくと見て「昨日より、私のこと好きじゃないって顔してますね。たまらないです。」と、何やら倒錯したことを言った。「それで、
服を脱がせる前に、二の腕に軽くキスをした。経験の浅い、本人曰く、はっきりとゼロ、という勇奈は、それだけでびくりと跳ねた。「そういえば、ずっと聞きたかったことがある。」と、僕は前戯の間の話題としてふさわしくないことを口にしていた。「梅雨のことだったな。部室棟の屋上で、雨に濡れていたろう。」それは、僕が勇奈に惚れたきっかけだった。「見ていたんですか。そうやって恥ずかしがらせるの、その、プレイのうちなんですか。」「いいや、ちっとも。」僕はキャミソールの紐に指をかけた。「いったい何をしていたんだ?」何のためらいもなく聞けるのは、勇奈への恋着を振り切りつつあるからだと思えば、胸中に複雑さは生まれた。「神を見ていたんです。」勇奈は軽妙に返した。「結真さんの書く小説、その高みにほんの少しでも近づくために、身を
ブラジャーに入っていたパッドは明らかに大きく、本人の言うAAカップは事実のようだった。ショーツさえも脱がしてから、自分の服を脱いで勇奈と向き合うと、軽くキスをした。「どうぞ。ファースト、キスです。」と情報をもらってから、鎖骨のあたりに舌を這わせたが、それだけで勇奈の呼吸は激しく乱れている。快感によるものではないだろう。極度の緊張と未知への興奮が綯い交ぜとなって、息を御せずにいるのだろう。
勇奈は積極的だった。「結真さん。」愛撫を続けようとした所、声がかかり、気付けば勇奈の顔が至近にあった。そのまま、がむしゃらな勢いで勇奈から唇を重ねられると、差し入れられた舌は僕の口腔で不器用に動く。しばらく僕の口内を味わってから勇奈の舌は
勇奈は僕の右腕を枕にした。「こういうシーン、入れたかったんですよ。」と、勇奈は言う。「思ったより、出血しませんでしたね。」残念がるふうに、勇奈は狭く血に染まった白いバスタオルをひらりと左手で持った。借り物の家のシーツを血で汚しては面倒なので、下にバスタオルを敷いていた。
携帯のアラームが鳴った。三分という取り決めだった。勇奈は僕の腕から
改めて僕の右で横になると、勇奈はぼうっと天井を見遣りながら、「それで、見られましたか、AAカップでも、神は。」言葉は戯けているようでも、声音からは怯えが読み取れた。「何をそんなに怖がる。見れてなかったらどうする?」「私ばっかり結真さんを喰らって、馬鹿な女だなって思います。」淡々とした口調でそれは言われた。「神は見られたよ。」僕は端的に言って、勇奈は文字通りに、タオルを持った手で胸を撫で下ろした。「良かったです。」勇奈の声音は忙しく、今度は涙声に近しくなった。「私はこれからも、結真さんと喰らい合えるかもしれない。」
僕は確かに神を見た。勇奈を抱きながらも勇奈を見ずに、僕の作品のことを見た。僕の神としての僕を見た。作品に棲む命を見た。それは僕が、勇奈への恋着を完全に振り切ったことを意味した。今ここに、僕の恋は残っていない。誰よりも分かり合えるふたりがいるだけだ。
別な場所に、愛が残っている。
ここに恋はない。
思考が断片的に僕を巡る。
早緑への情と信頼は確かにある。
僕には書くべき作品がある。
早緑に甘える自分を是とするのは、とても安らぐ、心地の良いものだった。
もし、愛を選べば――
気付いた。
作品だけではない。僕は一切を殺すのだ。
裏切る。
早緑との信頼を。勇奈との喰らい合いを。
僕は勇奈の方へ向きを変えた。勇奈もまた、僕を向いた。「ヘラクレスは言うんだよ。お前がいなかったら、何もかもゼロだったと。」それはヘラクレスの言葉ではなかった。花凛の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます