夏の言霊
香鳴裕人
一 そもそも、恋人同士じゃないけどもさ。
蝉が
夏休みのうちに部室の大掃除を行う、という暴挙を提案したのは、副部長の
文芸部の部室は棟の二階にある。
四肢にまとわりついた湿度が、風によって振り払われる。視線を脇にやれば、丁寧に掃除された本棚が日光浴をしていた。収められていた本は、傍に敷かれたブルーシートに積まれている。バベルさながらに積み上げられた蔵書は、ちょうど格技場の陰になる位置にあり、こちらは陰干しということらしい。床に敷かれていた絨毯は、今頃、部室棟の屋上で熱風に晒されているだろう。傷みが激しいちゃぶ台は捨てて、部費で新しい物を買おうと、ことを先導する花凛が、会計を務める
メールの返信が届き、僕は棟の屋上へ行くべく、建物の脇に
僕は屋上に足を踏み入れ、烈日の注ぐ中に花凛の姿を求めた。特に探すでなく、すぐにその身なりを視界に捉えたのだが、それがあまりにも呆れるばかりのものだったので、僕は小言めいた問いかけをする羽目になった。花凛は、この屋上に野晒しにされているパイプ椅子に膝を揃えて腰掛け、バニラのアイスバーを舐めている。だが、それが問題なのではない。「花凛さ、来月で十八になるって自覚あるの。」傍に寄り、花凛と目が合ったことを確認してから、僕は屋上を囲む柵に背を預けた。棟の廊下と違い、ここに日光を遮るものはなく、服越しでなければ、熱にやられたアルミの支柱に背を焼かれていただろう。「選挙について調べたりしたけど、そういうことでいいの?」花凛は椅子に座り直し、僕を視界の正面に据えてから、事も無げに言った。
選挙権を得る自覚があってこれならば、なおのこと酷い。あるいは僕は、からかわれるか試されるかしているのか。生真面目に推し量っても馬鹿を見るだけのように思われたので、「服、どうにかしろって。」結局、端的に言うに留めた。バニラアイスが一滴垂れたのを見咎め、長話は歓迎されないだろうとも思った。「服? ああ、これ。」言いながら、花凛は自分の胸に視線を下げた。そこには、花凛曰くEカップだという乳房が、
花凛は、二回の瞬きをした。静かに驚いたふうだった。「何度も見てると思うんだけどな。最近よく着けてるから、これ。そのうち何回かは、
背を向けている中庭から、「
日差しこそなくなったものの、深夜の
当たり付きの自販機を置くこの神社から徒歩一分の所に、花凛の住むアパートがある。自分の部屋が欲しいと言ったら家賃五万円以内の部屋と返された、いい加減邪魔だったんだと思う、というのが花凛の弁だ。立地よりも間取りを優先した花凛は、2Kの部屋にひとりで住んでいる。
玄関でスニーカーを脱ぎ、キッチンを抜けて四畳半の洋間に入ると、
木製のちゃぶ台の上にふたつの缶と小銭を置くと、花凛が、「ありがと。結真くんの番だよ。早く。夜が明ける前には寝たいし。」と、せっついてきた。花凛の立場なら、積極的に終わらせたくもなるだろう。さらに、「負けた方が勝った方のをたっぷり五十分舐めるって話、忘れてないからね。」そう付け加えられた。「僕がぼろ負けしていることを前提で言おう。三十分にしよう。」「今さらそういうのなし。」何をどう勘案しても、花凛に譲歩してもらう余地は
前触れなく、視界が光を失った。「あ、停電」部屋がふっと闇に落とされると共に、流れ続けていたゲームのBGMが途絶えた。プレイ途中のデータも、一緒くたに消えたことになる。「最後にセーブしたの、いつだっけ。」エアコンが冷気を吐く音も止まり、虫の鳴き声を縫うように発された花凛の声音は、少なくとも五分前のことではないと覚えている者のそれだった。「おそらくだけど、一時間半くらい前。」「やり直す?」およそ一時間半前のデータからなら、再開することができる。「今さら、今からか?」とても楽しめるとは思えない。
いつもの通り、花凛は音を立てた。経緯はどうあれ手を抜く気はないらしく、僕は僕で、懇切丁寧に舌を這わせた。不意の停電で無勝負とならなければ、僕が花凛の股ぐらに顔を埋めているだけのはずだったのだ。それが今、咥えるのに忙しない花凛が、横たわった僕の頭に向けて
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