第1章 魔に見初められた少女たち
疑惑の捜査
最後の制服勤務を終えて、新品のスーツに憧れだったトレンチコートを身に付けて臨んだ刑事としての初仕事は極めて地味で、先輩に付き従って現場で右往左往としている間にいつの間にか終わっていた。殺人事件かと思い、気を引き締めて前日から眠らずに現場入りしたその案件は結局 事件性無しとしてその日の内に幕を降ろした。
『型に嵌める事が物事を一番効率よく上達させる』
英亮の人生哲学はそこにある。刑事とは眼をぎらつかせながら足を使って捜査をし、煙草を吹かしながら地道に張り込みを続けるもの。勤務が明けたらビールを思い切り飲み、出動の命令が出されれば冷水で酔いを醒まして現場へ駆けつけるもの。そういうものだと決まっているのだ。だから英亮はそのイメージに従って己を形作る。それが彼にとって理想の自分に近づく術だった。
「なぁ、お前。そのマッシュルームみたいな頭、もうちょっと何とかならんのか?刑事らしくないぞ」
思考を読んだかのように一緒に煙草を吹かしていた先輩刑事は言う。英亮が吸う煙草よりも重いセブンスターを人指し指と中指の間に挟み、躊躇うこと無く一気に煙を吸い込む姿が様になる。これぞ刑事のあるべき姿。英亮は先輩の慣れた動作に羨望の眼差しを向けた。
「やだなぁ、これはマッシュルームじゃなくてツーブロですよ。ちゃんとサイドに剃り込みだって入れてるじゃないですか」
「つーぶ…何だって?若者言葉を使うのはよせよ」
「一般語ですって」
「はぁ…ついてけねえなぁ、言葉の乱れってやつには」
「たぶん、そういうのと違うと思いますけどね」
ぼやきながら先輩は煙草の火を灰皿に押し付けると2本目を手にして口にあてがった。旨そうに煙を吐き出す。真似をしようと空気を勢いよく口の中に入れたところで喉の奥が閉まった。行き場を失った酸素が逆流して咳が出る。
「何してんだ、お前。吸えねえなら無理すんな」
「いやぁ、先輩みたいにできたらカッコいいなと思いまして…」
「バカ。かっこつけじゃねえんだよ、こういうもんは。それとお前、先輩ってのはそろそろやめろ。癖になってからじゃ遅せえぞ」
「え?ダメですかね、やっぱり」
「ダメに決まってんだろうが。きちんと階級で呼ぶんだよ、俺たちの社会じゃな。それが序列ってもんだ」
「うーん、そうなんですかねぇ。だってユースケサンタマリアは織田裕二のこと、先輩って呼んでましたよ」
「お前、若いくせに古いドラマ知ってるんだな」
「何言ってるんですか!基本ですよ、基本!」
「何が基本だよ。そんなことより捜査の基本を覚えろっての。何だよこないだのあれは」
一月前のあの事件は散々だった。初の現場入りに冷静さを欠いた英亮は現場保存の法則も忘れてあちらこちらをほじくり回したあげく、現場に自分の指紋と髪の毛を残すという大失態を演じて捜査を撹乱させた。ただでさえ被害者は女子高生という事で対応はより一層のデリケートさが求められる事件だった。英亮は厳しい問責を受け、刑事課配属からわずか1週間足らずで始末書を書かされるはめとなった。これは東間署はじまって以来 最短の記録だ。結局のところ、司法解剖の結果 少女の死に不審な点は見られず現場捜査も虚しく事件は自殺として処理された。事件性が無ければ警察も淡白なもので、人ひとりの死は薄っぺらい書類一枚で片付いてそれっきりだった。
「あの子、どうして自殺なんかしたんでしょうね。親御さんは強く否定してたのが印象に残ってますけど」
英亮の疑問に先輩は眉をひそめる。
「キク。この仕事 長く続けるならよけいな感傷は引きずるな。気持ちが折れたら捜査なんて出来なくなるぞ」
そんなもんかな。
そんなもんなんだろうな。
刑事にとって事件とは日常であり、ひとつの事件を片付けたところですぐに次の事件に取り組まなければならないのが現実だ。あの眠るように亡くなっていた少女が何故 死ななくてはならなかったのか。その答えに引っ掛かりは覚える。だが、もうケリの着いた仕事についていつまでも考えていられるような時間はどこにもない。ましてや、あの事件は殺人事件ですらない。完全に我々の領分からは逸脱した問題だ。先輩もすっかり口を閉ざしていた。無駄口を叩いている暇はない。昼休みのわずかな休息を終えれば再び新たな事件現場へ急行しなければならなかった。
「…さーん。宮さーん」
先輩を呼ぶ声が近づいてくる。
「宮さーん。宮さーん!」
声の主は先輩の名前を繰り返しながら喫煙室の扉を開いて、開くなりいきなり咳き込んだ。
「煙っ…。キクちゃん、こんなところによくいられるね」
「まぁ、僕も喫煙者ですから」
「で、大声で俺の名前を連呼して何のようだ?」
「いやね、ちょっと面倒が起きてるんですわ」
「この業界に居て面倒じゃねえ仕事なんてねえよ。で、何だ?」
「ほら、この前あったでしょ。女の子が自殺したってヤツ。あれの遺族がいちゃもんつけに来とるんですわ。宮さん、あれの担当だったでしょ。あんたが出ないと収まりませんよ、きっと」
先輩は眉根にぎゅっと力を込めて皺を寄せた。そうして悩まし気に何度か首を縦に振ったあと、気を取り直すように煙草に手を伸ばして火を点けた。
「まったく人気者だな、あの女子高生は…おい、キク。お前、ちょっと行って話聞いてこい。これも社会勉強ってやつだ」
「ちょっと宮さん!」
その声を手で制すると先輩は右から左に視線を動かして英亮を見据えた。
「できるな、キク」
「は、はいっ!」
声が上ずったのは緊張の為じゃない。雑事とはいえはじめて任される刑事としての責任ある仕事。確かな高揚が自分を突き動かそうとするのを英亮は感じていた。
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