第4話 敵襲と逃走
森の中から突然とびだしてきたのは背丈が平均より少し高めの女性だった。
土や泥で汚した警察官のような紺色の制服を着ているが、服越しにもグラマーなボディラインがはっきりとわかる。
ゴムで一つくくりにした長い銀髪の彼女は茂みを飛び出した勢いで危うく転倒しかけたが、間一髪右手で支えて態勢を立て直した。
かと思えば息を整えることも忘れて泡を飛ばすようにまくし立てる。
「そこの二人、早く!」
「あの! これはどういう――」
「説明している暇はないんです! さぁ早くそこのじいさんも連れて行って!」
こちらの質問には聞く耳を持たずあげく師匠であるベンを軽率にあしらう女性の態度に快琉は眉間に深くしわを刻ませた。
ふざけた態度も目立つが、快琉にとってベンは命の恩人であり、目標としている
師匠がその気になればあんな通りすがりの女なんてひとひねりだろう。
ましてそんなベンに介助が必要だなんてひどい冗談だ。
しかし当の本人であるベンはまるで気にしていないように穏便な態度で対応した。
「いやぁ、これはこれはご親切に。私たちはすぐに立ち退きますよ」
「賢明なご判断ですご老人。さぁ行って!」
年寄りを小馬鹿にするような口ぶりを耳にするたびに怒りが募る。
しかし殴りかかりたい衝動をこらえて足並みを止めず、快琉は一足先に木陰に到着した。
そこで風に押し倒されていたスクーターを立て直し、雨に濡れて車体やハンドルに張り付いた葉っぱを取り除く。
ポケットから取り出した鍵を鍵穴に差し込んで回すと幸いにもモーターの起動音は正常にうなった。
続いて柚葉もスクーターのエンジンも無事に息を吹き返す。
ちょうどそのタイミングでベンが同じく木陰に到着した。
「スクーターの準備はできたけど二台しかない」
「これじゃあ私たちは移動できてもベンさんが……」
「かまわん私は走っていく。どうせスクーターでも森の中は徐行しなければならないだろう? 二人は私の後をついてきなさい」
「え、走るって、そんなご老体でですか!?」
さも当然のように話すベンの言葉に柚葉が驚いたように言う。
なにせ彼女の中にいるベンは、暫定読書ボランティアのおじいさんでしかないので無理ない反応だ。
快琉がその場しのぎで適当な説明を補足する。
「心配はいらないよ。この人毎日トレーニングを欠かさずやってるから」
「そ、そう。それなら安心……とは正直言えないけど」
「さぁお姉さんにしつこく言われる前に出発した方がいいだろう。いくぞ」
納得がいかず顔を引きつらせている柚葉の背中をトンと押すとベンは先陣を切って森の中へと走り始めた。
それを追うように続いて柚葉がスクーターにローギアを入れて発進、遅れて快琉もアクセルを踏み込む。
異変が明確になったのはその直後だった。
エンジン音も風雨の騒音も遮って、巨大なバケツで水をぶちまけたような音が快琉の背を追い抜いて轟いた。
驚いて振り返り、高速で流れる木々が障害となる中わずかな隙間から見えたその現象は少年を絶句させるに十分足るものだった。
5メートルはあろうかという巨大な蛇––否、四つの鉤爪と無数の鱗をもった竜が宙に浮かんでいる。
顔らしき先端部分からは長いヒゲや二本の角が生えているが、全身が透明の液体で構成されていて、器官のようなものは見当たらない。
一般市民には得体のしれない限りなく水に近いスライム状の怪物。
しかし快琉はその怪物を端的に名状する言葉を持ち合わせていた。
快琉は事態を伝えるべくアクセルを目いっぱいまで踏んで先頭で走るベンのすぐ横へつけると、緊張で締まる喉を無理やりに開いて叫ぶ。
「
「見間違いだ。忘れなさい」
「そんなわけないって、水の
「だとしても私たちには関係ない。前に集中しろ」
ベンはぴしゃりと言い放ち、まるで快琉を突き放すのように走る速度を上げていく。
目前に迫ってくる木を避けることだけに専念していて余裕がない、ベンのそんな態度が演技であり、都合の悪いことを誤魔化しているだけなのだと快琉は見抜いていた。
昔からそうなのだ。
それこそ、まるで快琉を
だからこそ快琉はこの滅多とない機会を逃すわけにはいかなかった。
ペースを上げるベンに張り合うようにギアを上げてスクーターの速度を上げる。
「逃げるんですか、
「今はそんな話をしている状況じゃない」
「なんでいつも避けるんです!? 能力も見せてくれないし実戦にも立ち会わせてくれない!」
「発言を慎め。第三者がいることを忘れるな!」
叱咤されて快琉は我に返った。
今自分が口にしたのは国家レベルの機密事項だ。
すぐ後ろに柚葉という一般市民がいる状況で感情に任せて口にしてしまった自分を殴りたくなる。
今の会話が雨音や騒音に紛れて柚葉の耳に届いていなければ万事休すが、万が一聞かれていた場合、口封じのためにそれなりの処置はやむをないだろう。
だが、そんな快琉の不安を煽るように後ろから柚葉の乗ったスクーターのエンジン音が近づいてきた。
正面から顔をそらさない快琉の耳に無理やり言葉をねじ込むように柚葉が大きく口を開く。
「ねぇ! いま
「いやっ、違う今のは!」
「隠さなくていいの、本当のことを言って」
「さっきのは何でもないんだ!」
「いいから!!」
一喝するような声を耳にした快琉の目が思わず柚葉の顔に引き付けられる。
その反応を待っていたかのように柚葉は諭すように言葉を紡いだ。
「実は私の両親も
「はっ? ええ!?」
予想だにしないカミングアウトに、快琉は運転中であることも忘れて目を丸にした。
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