第2話 師匠と修行

 周囲の蝉騒せんそうをものともせず、研ぎ澄まされた快琉カイルの聴覚は小枝が踏み折られた微かなノイズさえ逃さなかった。


 すぐさま準備運動を中断、翻した身体をグッと前方に沈みこませ木々の間隙を凝視する。


 右手を固く握り肘を引いて拳を上段で構えると、快琉カイルは緊張と高揚のせいで乱れる呼気を整えた。


 瞬きをこらえ視覚聴覚その他あらゆる感覚を探知すべき目標に集中させる。


 雑念が搔き消えるに伴って風の中、虫の喧騒、木々の葉が擦れ合う摩擦音が意識の中からフェードアウトしていった。



 刹那。



「そこだっ!」


 前傾姿勢のまま右前方へ駆け出した。

 相手の位置を特定したのは、視覚ではなく聴覚みみ

 左足を大きく踏み込んだ勢いに合わせバネのように右手を目標点に弾き出す。


 仕留めた。

 快琉カイルが突き出した右手拳にまだ得ぬ手応えを感じた瞬間。


「安直なっ!」


 茂みから声が発せられると同時、快琉の腕に予期せぬ方向から力が加えられた。

 そして攻撃のために用いたエネルギー全てが形を変えて今度は彼自身を襲う。


 五本の指でガッチリ固定された右腕を軸に、勢い余った身体は弧を描く形で茂みの中へ引き込まれ、更に遠心力を伴って茂みの外へ放り出された。

 正中線が歪んだ隙に右足首に何かをひっかけられ傾いた身体に重力が容赦なく襲い掛かる。

 天地が動転したと錯覚するのも束の間、快琉の身体はあっけなく地面に投げ出されていた。


 この一連の反撃をものの数秒でくらった快琉は力なく地面に四肢を投げ出すしかなかった。



 まるで樹木が遠慮したかように分厚い森の天井がぽっかりと開いた草野に背中を預け、快琉は白い雲を浮かべた空を見上げて口を開いた。


「ったく、痛いよベン。今日ちょっと荒っぽくない?」


 するとついさっき快琉が飛び込んだ茂みがガサガサと揺れ、全体に小枝や草葉を張り付かせた黒いローブ姿の人間がのっそりと現れる。


「いきなり突っ込んできたのはカイルだろう。正当防衛じゃ正当防衛。ほれ早く立て」


「は~い」


 気だるげに返事をして快琉が煩わしそうに身を起こし始めたのを確認すると、ベンは被っていたフードを脱いで端正に切りそろえた白いあごひげを整える。

 ひとしきり手入れして満足すると次に服に付いた土草を大雑把に払い落し始めた。


「隙ありっ!」


「甘いわ」


 ベンが油断した隙を狙って飛び起きざまにパンチを繰り出すも、それを目視されることなく右手の平で止められてしまった。

 これ以上の奇襲は無意味と悟った快琉は拳を緩め両手両肩をがっくり落として脱力する。


「ベンって一体どんな反射神経してるの。やっぱりベンの能力は未来予知なんでしょ?」


「幸い、持ち合わせているのは未来予知なんてそんな不便な能力じゃないな。それにこの程度能力を使うまでもないぞ」


「じゃあなんで今の攻撃が分かったの」


「これだけ長い付き合いだと動きなんぞ直感で読めるからな。ちなみに……」


「ちなみに?」


「もっと付き合いの長いラノベとなると手に取ってから最初の数ページで全体の流れが読める」


「それじゃ本編を読む楽しみないじゃん……」


 十代の少年のように目を輝かせ自慢げにガッツポーズをして見せる師匠の姿を見て快琉は深いため息を吐いた。

 ついに両足で直立する気力もなくなりその場にどさりと腰を下ろす。


「にしても不思議なんだよ。未だにベンのことがわからないんだよな~」


「そりゃあ結局は自分以外は他人だからなぁ。分かりあうことなんて不可能だろう」


「そういう哲学的なことじゃなくてさ」


「それなら例えば」


「例えばほら、ガサツで面倒くさがりなくせに身だしなみはきちんとしてるでしょ?」


「誰がガサツだ」


「失言でした」


 ベンは威厳を見せるようにコホンと軽く咳きたてて仕切り直すように口を開いた。


「まぁ身だしなみをほめたことを評価してプラマイゼロだな。あと面倒くさがりは認める」


「認めちゃうのか……」


「で、他には?」


「あとは、年の割にやたらと元気なところとか」


「ほう。カイルの目には私は何歳に見える?」


 言われて快琉は見慣れたローブ姿のベンを改めて観察する。黒色のローブは年季が入ってよれよれの状態だが穴やほつれは見当たらない。高齢に伴い髪も髭も白く脱色しているがどちらも短く切りそろえられている。

 手の甲にもしわが見えるけれども高齢とは思えないその握力は身をもって思い知らされたばかりだ。


「……七十歳、とか?」


「ひ・み・つ」


「うぜーーーーーーーーーーっ!!」


「まぁまぁそう怒るな。いいかカイル、そもそもだな」


 はぐらかされて憤怒する快琉をなだめつつ、ベンは人差し指を立てて知識を披露する。


「ライトノベルで男性キャラの描写など些末な問題なのだ。それよりも大事なのはヒロイン含む女性キャラの容姿!」


「ったく、何言ってるんだか……」


 脱力感も溜まりに溜まれば一周回って元気に変わるらしい。快琉はやけに長いため息を吐ききると今度は逆に大きく息を吸って肺いっぱいに空気を満たす。

 そうして気分を切り替えるとすくっと立ち上がって姿勢を正した。


「さてと。じゃあ師匠、今日もよろしくおねがいします」


「まだやるのか。さっきコテンパンにやられたのに」


「さっきのは軽い力試し、っていうかウォーミングアップですから」


「そうか。では今日はどのメニューにするか? 体術か、防衛術か――」


「能力特訓。……はまだダメですか」


 遮って紡がれた快琉の言葉は蚊の鳴くような大きさで、だが確固たる芯をもった声音だった。

 しかし、そんな快琉の意思表示に対してベンは険しい顔をして見せる。


「だめだ」


 人情すら感じられない否定の言葉は平生より輪をかけて冷徹にきこえた。

 いつもの快琉カイルなら大人しく引き下がっていただろう。

 だがこの日は違った。


「なんで!? 普通の格闘術はもう何年も訓練してきたじゃないですか。俺も早く能力を開花させたいんです」


「なぜそこまで能力に執着する。お前は更新士リノベーターになりたいのか、それともただ強くなりたいのか?」


「どっちもです!」


「ならばまずは体術で私を倒してみなさい。話はそこからだ」


「……わかりました」


 言ってしまった以上もう後戻りはできないと心を決める。

 鼓動が激しくなる心臓に手を当て、深く息を吐き出した。


 今日こそはベンに勝つ。

 そうはいかずとも、もう互角に渡り合えるはずだと自分を鼓舞して快琉は拳を上段で構えた。


 対するベンは身構えることなく自然体で、意識はどこか別の場所に向いているようにも見えた。

 そこから伺える余裕が更に快琉の闘志を燃え上がらせる。


「いきます!」


 そこから初めの一歩を繰り出した。前傾姿勢で詰め寄って、直立するベンに向かって今度は拳を右サイドから大きく振る。

 しかしその渾身の右フックは虚しく空を切るだけだった。ベンがひらりと身を翻す姿が視界の端に映ったのち、快琉の身体はバランスを失ってまたもや転倒してしまう。


 真面目に向かい合ってくれないベンの態度に悔しさを覚えつつ、急いで体勢を立て直そうと膝を立てた、その直後。


「見つけたーーーっ!」


 予期せぬ甲高い声が森に響きわたった。ガサガサと茂みが揺れ、驚いた小鳥が飛び去っていく。

 そして二人以外が知りえないこの場所に現れた第三者によって二人の決闘は中止せざるを得なくなった。

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