わたしの本質【約800文字】

前もって断っておくと、この世に本質など存在しない、あるとすれば人間などの頭のなかだけである、とわたしは考えている。通貨などをイメージしてもらえば分かりやすいかと思う。その金属の塊なり紙なりを通貨と認識するひとが存在しなければ、それは通貨たりえない。


それがどういう風の吹き回しか、自分自身を本質の束のように見なして試みに言語化しようと思ってこの文章を書いている。


わたしは自分を詩人(それも半ば独学の)だと思っている。学生時代に詩人になりたいと思い、実際にそうなったと自任している(むろんそれで喰っているわけではない)。


「詩人」(和語なら「うたびと」であろう)は、狭義にはもともと漢詩人、近代からは現代詩の作者を指すものと心得る。しかしそれ以外の詩歌・韻文・散文詩の作者も広義の詩人だと考える。わたしが短歌と俳句を主としているのは、わたしがこの国に生まれ育ち、その文化の歴史に連ならんと(無意識に)したからである。


他の本質(とあえていうが)としては、現代日本人・文明人・都会っ子・合理的利己主義者( ≒ 情けは人のためならず)・中間子・中年・愛飲家・異性愛者・スロースターター・天然ボケなどなど、数え上げればキリがなさそうである(ちなみに、すこし前までは「俳諧教徒」を自任していた)。


上記のうち、「中年」については時が経てばかならず変わる。もしも時間がたてばかならず変わるものは本質ではないとすれば、それはとりもなおさず本質なるものがないことを意味するように思う。なぜなら、あらゆることは変化するからである。わたしは生まれたときから詩人や愛飲家であったわけではない。


本質が存在する体でみずからの本質に該当しそうなことを列挙してきた。もしもわたしをよく知るひとがこれを読んだら、自己分析がよくできていると思うか、おのれが見えていないと呆れられるか。惜しむらくは、わたしをよく知るひとが少ないことである。

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