第22話 紙一重

「……うぇへへ……おたからがいっぱいなのだ…………」

「すぅ………すぅ…………」



しんと静まり返った室内。

締切られた空間はボク達の体温で温められ、湿った空気がサーバルちゃんたちを包む。


……そんな中、ボクはじっとその時を待っていた。

軽い眠気を気合で抑えながら、彼女がいつ動き出してもいいように息を潜める……。







────────────────







……マーゲイさんとプリンセスさんに連れられて練習部屋から出た後、最初にフェネックさんがいないことに気付いたのはアライさんだった。


「………ん? フェネック?」

「アライさん、どうかしましたか?」

「………フェネックがいないのだ」


そう言われて後ろを振り返る。 ……確かに姿が見えない。

アライさんは不安そうに辺りを見回し、時折名前を呼ぶ。

しかしそれに対しての返事は無く、夕方の静かな廊下に声が虚しく響くのみ。


「……かばんさん達は先に行ってて欲しいのだ。 アライさんはちょっとフェネックを探してくるのだ。」

「わかりました。 でもボクらが向かってる部屋の場所、分かるんですか?」

「…………まあ、そこは気合で何とかするのだ!」


猪突猛進と言った言葉がこれほど似合うフレンズは彼女とヘラジカさん以外ボクは知らない。

アライさんの勢いはこんな時でも抑えることを放棄。

少々無理のある精神論を吐き捨て、さて走り出そうとした……………その時。






「……………………無い…………」

「……マーゲイ?」

「無い………なんで…………っ………!?」


ボクらの先頭で部屋の案内をしていたマーゲイさんの様子が突然、豹変した。

何かを確かめるかのように自らの身体の隅々までを触れる様子は慌てているどころの騒ぎではない。

……心做しか、先程カメラを強引に奪っていった際の様子によく似ている気がした。


思わず固まり唖然とするボクらを尻目に、マーゲイさんの表情は段々と絶望の色を滲ませ始める。


「どうして、ちゃんとここに入れたはずなのに……どうしてっ…………………」

「マ、マーゲイさん、……どうかしましたか?」

「あ……い、いや……、大丈夫よ、何でも……ないわ……」



……何でもないと言う割には、目は泳ぎ手は震えと、傍から見れば只事ではない様子。

流石に心配な為、何か手伝える事があればと助け舟を出そうとしたが、それより先にマーゲイさんの口と足が動き出してしまう


「……後で合流するわ。 プリンセスさんすいません、案内の続きお願いできますか?」

「え、ええ……構わないけど…………。 マーゲイ、本当に大丈夫?」

「はい、解決したらすぐ戻りますので────あと、もよろしくお願いします……っ」


ボクらの案内をプリンセスさんに任せ、マーゲイさんは来た道を逆走していく。

ここまで焦りを露わにするという事は、とても重要な何かを忘れていたのだろう。


…………しかし、カメラはここにある。

走り去る間際、プリンセスさんに渡しているのだ。

今の段階でマーゲイさんが焦る理由はこのカメラのこと以外に見当がつかないが………。






…………また、それと同時にボクはもう一つ気になっている事があった事を思い出す。




「……フェネックさん、遅いですね」

「はっ……! そうなのだ! マーゲイのインパクトが凄すぎて忘れかけてたのだ!」


唖然としていた一同が同時に我に返る。


「確かに遅いわね……………。 まあ、そろそろマーゲイと合流してるだろうし、捜し物が終わったら一緒に来るんじゃないかしら?」

「そうだといいですけど……………」



確か練習部屋にはコウテイさんがいるはずだが、彼女と話でもしているのだろうか。

…………いや、それは考え難そうだ。

フェネックさんがコウテイさんと話す事なんて…………


―──――─あることを除けば一つもないはずだ。




「…………ん? どうしたの? サーバルちゃん」

「えっ? …………あ、ううん、なんでもないよ!」


……………先程から気になってはいたが、最近のサーバルちゃんはボクへの接し方が少し変だ。

練習部屋でも僕の腕を必要以上に締め付け、服の裾を握っては誰かに気付かれる度に離す……………そんな動作を繰り返している。

今回も同じだ。 本人すら気付かぬ間に、ボクの服に手が伸びていた。


しかしその行動にも条件があるようで。

……………それも、ボクが関連の話をし出した時のみ、この方な反応を取るのだ。

理由は分かっている。 昨晩の出来事が原因と見て間違いないだろう。

まさかここまで根に持つとは思っていなかったが、ボクもこうやってヤキモチを焼かれるのは嫌いではない。



…………嫌いでは……ないはずだ。





「――──あっ! フェネック遅いのだ! 待ちくたびれたのだ!」

「やあやあアライさーん、まだそんなに時間経ってないはずだよー?」


サーバルちゃんに気を取られている内に、いつの間にかフェネックさんが合流していたらしい。 アライさんの大きな声でその存在を認識する。


「どうしたんですかフェネックさん、突然いなくなったのでびっくりしましたよ」

「まあ、ちょっと世間話をねー」

「そう……ですか」


再び服を引っ張られる感覚を覚えつつ、ボクはフェネックさんの顔をじっと見つめる。

………なんだろう、この感じは。

いつもどおりのフェネックさんの顔、澄ました出で立ち。

何処もおかしい所は無いはずなのだが、先程の胸騒ぎ同様どうも心にこびり付く。



「─―──ね、ねえかばんちゃん! お部屋ってどんな感じなのかな!」

「へ? あ、ああ……、そうだね、楽しみだね!」

「……………うん、私も楽しみ! 一緒だね、かばんちゃん!」


僕の思考を、そして視線を遮る様にサーバルちゃんの顔が目の前に現れる。

………必死に笑顔を作っているのだろうが、サーバルちゃんは嘘が下手だ。

嘘をつく時、必ずと言ってもいいほど視線が斜め下に泳ぐ癖がある事をボクは知っている。

ボクの正面にいるにも関わらず、目が合わないのはそのせいだ。


しかし、そんな心に刺さるようなことをされてもなお、ボクはフェネックさんを気にせずにはいられない。

何せ誰も知らない自分たちの秘密を唯一共有した仲なのだ。

その不自然な一挙一動が、気にならないはずはなかった。





しかし改めて思う。

……サーバルちゃんの前ではあまりフェネックさんと関わらないほうが良いかもしれない。

一度関われば過剰に反応するサーバルちゃんの姿を見ることになるのだ。 精神衛生上あまりよろしくないのは分かっていた。



「……そ、そうだ! プリンセスさん、マーゲイさんは先に行っててと言ってましたし、改めて案内お願いします」


無理やり意識の向かう方向を変えることにした。

そうだ、今ボクたちがやらなければならない事は部屋に案内され、そこで寝ること。 それだけのはずだ。


「ええ、わかったわ。 こっちよ」


そう言ってプリンセスさんは再び歩みを進める。

両手で大事そうにカメラを抱え、ボクらの前を行く。


ちらりと後ろを振り返り、フェネックさんとアライさんがしっかり付いてきていることを確認。

その行動にさえピクリと反応するサーバルちゃんだったが、自分でも分かっているのだろう。 ………過敏になり過ぎだと。

思わずボクの服を掴みそうになった手をもう片方の手で抑えている様子から、鬩ぎ合うサーバルちゃんの心境が伺える。




………しかしその時、ボクは再びある感覚を覚えることとなる。

一瞬だけ振り返って後続を確認した時、フェネックさんを見ながら話しかけるアライさんとは対象的に、フェネックさんの目線は別の一点をじっと見つめているような気がしたのだ。 話をしている間も、返事を返す際も…………。


そしてボクは同時に、それ以上の違和感…………不穏さを垣間見た。




フェネックさんの表情………………。

ある一点を刺しているであろう視線はボクを通り過ぎ、更に前で僕らを案内するプリンセスさんに向けられている。

その視線が初めてを捉えた瞬間────────






────────今まで見たことも、見たくもなかった程真っ黒な、そして…………楽しそうな笑みを、浮かべたのだ。




「ん? どうしたのだフェネック。 何だか楽しそうなのだ」

「まあそうだねー………………、これからどんな楽しいことが待ってるんだろうって思ってさー」

「たしかにそうなのだ! でもフェネックと一緒ならどんなことだって楽しいのだ!」

「嬉しいことを言ってくれるねー、ありがとーアライさーん」





──────ボクはその短い会話に、狂気しか感じることができなかった。






─────────────────────






………と、そんなこんなで深夜。

PPPのみなさんが快く貸してくれた部屋。

四人の……………いや、二人の寝息が静かな空間に響く。

鞄、帽子、腕につけていたボスは部屋の隅。

いくら拭っても落ちない違和感を抱えながら、ボクはフェネックさんが居るはず場所にに背を向けた状態で目を閉じ、耳を澄ませていた。






――──彼女は必ず動く。

ボクはそう確信していた。


今日のフェネックさんの様子はまるで、PPPの底知れぬ何かを楽しんでいるようだった。

彼女は一体何をしたいのか。 ボクはそれが知りたかった。



「……………!」


ふと、ボクの耳に布の擦れる音と木の軋む音が入ってくる。

寝返りのような静かさではない、そもそも寝返りで床はあまり軋まない。

誰かが、起き上がった音―──。




「─────んむ…………もれるのだ………………」


……………そう言って、アライさんが部屋を後にしたのであろうドアの音。

何だ違うのかとがっかりするも、意識は常に尖らせておかなければならない。



…………しかし今日は本当に疲れた。

大迫力のPPPのコンサートを見、その後の練習見学でまさかのダンス指導を受ける。

この時点で結構な運動量である。

その為、ボクの体は今まさに眠りに落ちようとしている……最中だ。


…………


……


…………


月明かりだけが照らす薄暗い室内。

程よく暖かく湿った空気。

プリンセスさんが親切心で用意してくれたふとん。

そして隣で聞こえるサーバルちゃんの寝息。

その全てがボクの集中を途切らせんと猛威を振るう。


先程一瞬だけ意識が落ちかけたが、熟睡まで落ちるには至らず何とか持ち堪えることができた。

しかし次そんな状況に出くわしてしまうとまずい。

そう思い、ボクは自らの肌をいつでも抓ることが出来るよう片手を服の下に潜り込ませておく。



…………



しばらくすると、再びドアの音。

アライさんが用を済ませ帰ってきたのだろう。


しかしそんなアライさんが一言、寝ぼけた声で呟いた言葉が────。





「んー………? どこいったのだ、ふぇねっくー?」


「!?」




――──フェネックさんが、居ない………?




「…………まあしばらくすればかえってくるのだ、あらいさんは………ねむい…………の……だ……」




アライさんは早々に夢の世界へと旅立つ。

その隙にと体の向きを反転させ、フェネックさんが居たはずの場所を確認する。


しかしそこには何も見えず、ただ乱雑に置かれたふとんがあるだけ。



急いで後を追わなければと勢い良く起き上がりたいが、サーバルちゃんに気付かれるわけにはいかない為一つ一つの動作に注意をは払いながら体を起こす。

一応改めて確認するも、やはりその姿はない。


「………………っ」


今のフェネックさんは…………危険だ。

急がなければ取り返しがつかなくなる可能性だってある……………。


「…………」


意を決しボクは床に手をつき立ち上がる。







─────否、立ち上がろうとした。




「かばん………ちゃん……………」

「っ!」


…………僕の名前を呼ぶ声。

その発生源は、……………寝ているはずのサーバルちゃんだ。

まさか目が覚めたのかと恐る恐る振り返る……………。

が、閉じた目と静かで規則的な寝息を立てている事から、その点は問題ない。

…………しかしそれよりも、困った状況が僕を襲っていた─────






─────寝ているはずのサーバルちゃんの手が、この場を離れようとするボクを止めるかのように手首に巻き付いているのだ。


そこから更に追い打ちをかけるように…………


「………いや………いかないで…………………」

「………っ」


………こんなことまで言ってくる始末だ。





ボクは再び昨晩のサーバルちゃんを思い出してしまう。

あの時も、ボクに噛み付く直前に似たような事を言っていたような気がする……。









しかし。


ボクは行かなければならない。



今、フェネックさんはきっとマーゲイさんの部屋に向かっているか、もしくは到着してしまっているはず。

そこで何をしようとしているのかは、これまでのフェネックさんの様子を整理すれば分かる。




…………カメラの中の、"誰にも知られたくない思い出"を見ようとしている。




その行為が何を生むかは分からない。

しかしそれはアイドルとしてのPPPにとって、大きな致命傷になりかねない危険な行為でもある。



…………自らの偏見とエゴで、他人の努力や名声を傷つける事は断じて許されない。

この問題は既にボクらだけの問題ではないのだ。



「…………ごめんね、サーバルちゃん………。 ボク、行かなきゃ………」


そう言ってボクの手首をしっかり握る手をゆっくり解いていく。



………



………最後の指を解いた瞬間、サーバルちゃんの目尻に光るものが滲んだ。

無意識なのか、それとも悪い夢でも見ているのか……。

ボクにはそれを知る方法は………無い。




ボクはゆっくりと立ち上がり、音を立てないよう慎重に出口へ。


後ろを振り返り、サーバルちゃんの様子を確認する。


「っ…………サーバルちゃん、待っててね。 すぐ戻ってくるから………」





………サーバルちゃんは、ボクが先程までいた場所に手を伸ばして何かを掴もうとしている。

しかし当然その先には何もない。

虚しく空を掻いた手は、そのまま力なくぽとりと床に落ちた。


「………っ」


そんな健気な姿にボクは耐えきれず、今まで以上に酷く痛む胸を抑えながら、逃げるようにその場を後にした。






────────────────────






先程までいた部屋とは打って変わって、今いる廊下の空気は冷え切っていた。

水辺なこともあり乾燥さえしていないものの、太陽が出ていないだけで気温は大きく変わるものだ。



「………」



ギシギシと軋み撓む廊下。

震える体を手で擦りながら、ボクはフェネックさんが居るであろう場所にたどり着く。

この部屋に案内される直前のプリンセスさんの行動から、今回の目的地があっさり発見できたのは幸いだった。


それは建物の一番奥。

長い廊下、等間隔で並ぶ数個の扉……

それらを横目に通り過ぎ、到着したのは一つの扉の前。



「――──」

「――─、──────」



中から誰かの話し声であろう音が聞こえる。

中途半端に閉められた扉から明かりは確認できないが、中に誰かがいるのは確かだろう。

とりあえずその話の内容を知らない限りは何も始まらない為、ボクは息を殺し聞き耳を立てる。


「―──さか相手────────なんて―──」

「──―──って、どうす――──ですか」

「―───はただ知───っただけ―─」


かすかに聞こえる声から分かる。

片方は予想通り、フェネックさんの声だ。


そしてもう片方。

この部屋にいて当然とも言える存在だろう。

─────マーゲイさんだ。


しかし、かなり小声で話しているのか肝心の内容を端々しか聞き取ることができない。

中からは見えないであろう位置で壁に張り付き、出来る限り話を聞き取ろうと耳を澄ます。









―──そんなことをしていた刹那の出来事だ。


「────まあ安心しなよ。 この事を外にばら撒こうなんて思ってないし、私も似たようなものだからね」

「―それ──―─う意味─――──」


突然、フェネックさんの声だけがハッキリ聞こえ始め─―──次の瞬間。




「――───こういうことさ」

「え─────」


その言葉と同時に突然開いた扉から手が伸び、ボクは部屋の中に引きずり込まれる。

そして─────






「かばんさん、あんまり私を舐めないで欲しいな」








────その言葉が止むのと、ほぼ同時に。

ボクはマーゲイさんの目の前で半ば強引に…………フェネックさんと、唇を重ねてしまった。

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