第19話 自戒
すっかり明るくなった砂漠に、孤独な足音が響く。
砂地の上を摺るような、気力の抜けきった様な音だ。
……じわじわと周囲の気温が上がっていく中、私は独り自らの寝床を目指し歩いていた。
その足取りは重く、いつもの散歩に比べるとペースは半分以下。
特別体調が悪いという訳では無い。
あの時私を襲った動悸は既に収まり、疲労感はあるものの急ごうと思えば急げるような状態だ。
……問題は身体面ではなく、精神面にある。
────野生解放。
まだ動物だった頃の能力をフレンズとしての体に上乗せすることができる。
大量のセルリアンに取り囲まれ絶体絶命の危機に陥った時、アライさんが教えてくれた技だ。
そして私が今、こうやって独りで歩いている原因でもある。
その効果は凄まじく、発動後気付いたらすべてのセルリアンを倒し終わっていた程。
アライさんがやったのか、私と協力した結果なのか、……それとも私が一人で狩り尽くしたのか。
その最中の記憶がすっぽりと抜けてしまっている今、確認する術はアライさんに尋ねるしかない。
しかし、そんなアライさんを私は────拒絶してしまった。
やっと何でも気兼ねなく話せる友達ができたと、そう思っていた自分自身の意思で。
突如苦しそうに膝を付いた私を心配してくれていたにも関わらず、……「こないで」と大声で怒鳴ってしまったのだ。
そんな私に、アライさんは「待ってる」と言ってくれた。
夜が明けた今も、寝床で私の帰りをじっと待っているかもしれない。
………しかし私は、そこに帰る勇気が無い。
アライさんと、面と向かって話せる自信が無い。
どの面を下げてアライさんと会うつもりだ、と自分を叱責してさえいる。
と、そんなことを思いつつも歩くことをやめない自分もいた。
今すぐこの足を止めて別の方向に歩き出すことは簡単だったが、そんな選択肢など元から存在していないかのように足を動かし続けている。
「……………はぁ………」
……結局、私は弱いままだった。
アライさんという最高のフレンズと出会って、その全てに一目で惹かれ………。
そこで自分の中の何かが変わると思っていた。
……しかし結果は酷い有様。
何もかもが曖昧で、中途半端で、未完成で。
その心境が、私の今の歩みにも出ている。
とぼとぼ、ずるずると、痛くもない足を引き摺りながら下を向いて歩く様は、周りから見ればあまりにも滑稽な姿に映るだろう。
「……」
ふと顔を上げると、私の寝床がもうすぐそこまで迫っていることに気がついた。
大きな岩場、その影でアライさんは私を待っているはずだ。
………帰ってきたくなかった、と胸の中で呟く。
────と、その時、岩陰から何かが飛び出すのを見た。
遠目からはそれが何なのかは分からないが、確実に言えることが一つ。
…………猛スピードでこちらに近づいてきている。
……まさか、セルリアンか?
そう思って身構えたのも束の間、その姿が見覚えのあるものだと分かるのにそう時間はかからなかった。
……何故、私の心を打つような事を平気で出来るのだろう……。
「なんで────」
その言葉を言い終わるよりも早く、正面から突進してくるフレンズの体当たりが私の腹部に炸裂した。
相手を突き飛ばすためのものではない、しっかりと存在を確かめるかのような、優しいものだ。
しかし体当たりは体当たり。 衝撃によってバランスを崩した私は尻餅をついてしまう。
そしてそんな事お構い無しとでも言うように────
「────ふぅぇぇえ゙え゙え゙え゙え゙え゙ぇ゙! よがっだのだへねっぐううううぅぅぅぅぅう!!」
────彼女は……アライさんは、大号泣し始めた。
思ってもみなかった展開に思わず唖然とする私。
「…………どうして……」
「ぐすっ…………どうしてもなにも無いのだ! ずっと帰ってこなかったから……心配してたのだぁ!」
私にしがみつきながらボロボロと涙を流す。
ただ純粋に、私の事を思ってくれていたかのように。
「……私、あんな酷い事言っちゃったのに────」
「そんなの関係ないのだ!」
少々食い気味な大声にビクッとする。
アライさんはそんな私を真っ赤に腫れた目で見つめながら続けた。
「たしかにあの時はビックリしたし、ちょっとショックだったのだ。 ……でも! 何か事情があるんだと思ったし、絶対帰ってくるって信じてたのだ……」
「……」
「────フェネックは友達だし、命の恩人でもあるのだ……。 そんなフェネックを信じれない程アライさんも馬鹿ではないのだ!」
「……っ」
…………それはまるで、冷たく凍りついた心がゆっくりと溶けていくようだった。
自分の考えてたことが馬鹿みたいに思える程に。
もう会いたくないだとか、どんな顔をすればいいだとか……。
苦しいほどに締め付けてくる腕の中、そんなネガティブな思考がすべて包み込まれてしまう程の心の広さを、優しさを、そして暖かさを感じた。
「あと、ジャパリまんもくれたし、お宝も一緒に探してくれたし……………」
「……」
「……ん、フェネック?」
─―──ああ、もうだめだ。
「……………ぐずっ………うぅ………」
「フ、フェネック!? どうしたのだ!? どこか痛いのか!?」
……きっと私には相応しくないだろう。
この場この瞬間、アライさんの前で………涙を流す事など。
しかしもう、堪えることはできなかった。
悲しみでも、苦しみでも、嬉しさでも無い。
何かよく分からない感情が胸の中で膨れ上がり、破裂した。
そして一度決壊した涙腺は留まるところを知らない。
今度は私がアライさんの胸の中で嗚咽を繰り返す事となった。
「ととととりあえず寝床に帰るのだフェネック!!」
突然泣き出した私に驚いたのか、先に泣いていたアライさんの涙はピタリと止まっていた。
痛いところも怪我もないが、そう勘違いしたアライさんは慌てふためき目を泳がせる。
「アライさんが支えるから頑張って歩くのだフェネック─―──」
「大丈夫だから…………怪我なんて………してないよ……」
「そんな………じゃあ何で泣いてるのだ」
いや、………痛いところがない、と言うのは……間違いだろうか。
「わかんない………わかんないよ……………」
「ぐぬぬ……困ったのだ………。 フ、フェネック、何かアライさんに出来ることがあったら何でも言って欲しいのだ……」
………心がちくちくと、針でつつかれている様に痛む。
決して実感は出来ない程、極々小さな痛みだ。
しかしその程度の痛みが何故か気になって仕方がない。
「ぐすっ…………じゃあ、アライさん………」
治す方法も和らげる方法も分からない今、私が出来ることはただ涙を流すことだけ。
アライさんにしがみつき、顔を埋めてそのぬくもりを感じながら。
「どうしたのだ? フェネック」
そして、私がアライさんにして欲しいこともまた、一つだけ。
……私の心がそうしろと叫んでいるのだ。
「………もう少しこのまま泣いても………いいかな…………」
「お、おお………よく分からないが、もうちょっと泣いたら落ち着くのか? それならお安い御用なのだ、いっぱい泣くのだフェネック」
「っ………ありがとう………」
─―──日照りの中、私はアライさんに顔を押し付けて静かに泣き続けた。
頭に置かれた手がゆっくりと髪を梳き、その度に新たな雫が溢れ出す。
心の痛みが収まるまで。 私の涙が、枯れ果てるまで。
私の涙は止まらず、アライさんの手もまた、私の頭を撫で続けた。
────────―――──────────―──────────
「────ック、──―──のだ─―」
………いつもの声が聞こえる………。
「─―──ろそ―──きますよー?」
「おきるのだー!」
その元気な声に、はっと目が覚める。
ガタゴトと揺れる寝台。
私を覗き込む顔一つ。
「やっと起きたのだ。 ……フェネックがねぼすけなんて珍しいのだ」
………どうやらバスでの移動中に眠ってしまったらしい。
色々あって一睡もしてなかったのだ、仕方が無いだろう。
しかし、不思議なものだ。
―──まさかこのタイミングで、あの時の懐かしい夢を見ることになるとは。
アライさんとの出会い、初めての野生解放、そして………心の異変。
あの時私に起こった変化が今の私を象っていると言っても過言ではない。
二度目の野生解放により記憶が引き出されたということだろうか……。
「色々あって疲れてるんですよ。 フェネックさん、ムリしないでくださいね?」
「んー………ありがとー、かばんさーん」
寝ぼけ眼をこすり、とりあえず上体を起こす。
少々体が重く感じる。 ……やはり疲れていたようだ。
……その時、一つの不自然な視線を感じた。
かばんさんでも、アライさんでもない。
……この視線は……─――─
「どうしたのー? そんなチラチラ私を見てさー」
「……あ、ううん、なんでもないよ!」
―──サーバルだ。
私が目を覚ましてから、目が合いそうになる度あらかさまに目を逸らすのだ。
理由は分かっている。 サーバルが気まずそうに笑顔で茶を濁す様子から、間違いないだろう。
昨日サーバルが暴走した原因……、私とかばんさんの図書館での出来事を根に持っているのだ。
「………フェネックもサーバルも、あんまり顔色が良くないみたいなのだ」
「そう? ピンピンしてるんだけどなー」
「そうだよ! へーきへーき!」
「そうなのか? ……うーん……」
……ここでふと、あの夢の続きを思い返す。
私が泣き止んだのは夢が覚める前のシーンからもう少し先だ。
その後アライさんと一緒に寝床に戻り、まだ昼に寝る習慣だった私たちはそのまま眠りについた。
…………そのあと、私だけが目を覚ます。
普段なら目を覚ます事はありえない、太陽がちょうど真上まで登る時間だ。
まるで─―──────先日のゆきやまちほーの時のように。
そう、あの日私はもう一つ、初めての事を経験している。
────────"発情期"だ。
野生解放により呼び起こされた特殊な野生部分が心に干渉し、その形を変質させていた。
アライさんとただの友達ではなく…………それ以上の、表現し難い関係になりたいという異質な感情を抱える心に。
その感情が呼び起こした劣情が膨れ上がり溢れ出し、寝ている間に欲望が爆発。
目に異様な光を呈した私は、何かに操られるようにアライさんに手を伸ばしていたのだ。
しかしその時はまだ、理性が微かに生きていたのが救いだった。
アライさんに一目惚れしたからとはいえ、まだ初対面。 出会ってまだ日が浅いどころの話ではない。
そんなアライさんを傷つける事に強い拒否反応を起こした私は、荒い息と暴れる心を抑え込みながらその夜を耐えたのだ。
記憶を辿ることをやめ、再び考える。
……私は昨夜、野生解放をした。
このまま過去の経験のとおりになるとすると、今寝ていたこの時に発情期が訪れてもおかしくないはずだ。
しかし私はゆきやまちほーで一度発情期に入りアライさんを襲ってしまっている。
また、今現在目の前のアライさんは特別疲れている様子もなくいつも通りピンピンしている。
つまり、私に三度目の発情期は訪れていないという事だ。
先日、不本意にもアライさんに手を出してしまった際に一度大きく発散している。
それに今回の野生解放はセルリアン一体分。
一度目の時より体の負担は少ないはずだ。
もし私が暴走しかけたとしても…………頼みの綱ならある。
今はその綱をしっかり側に置いて置けば問題ないだろう。
「皆さん、着きましたよ!」
「おー! ありがとうなのだ、かばんさん!」
「いえいえ、ボクじゃなくてラッキーさんが………」
そこまで言いかけたかばんさんが私達の方に目を向ける。
「サーバルちゃん、フェネックさん。 無理はしなくていいですよ、ここゆっくり休んでても─―──」
「大丈夫だよかばんちゃん! せっかく来たんだもん、私も行くよ!」
「私も寝てだいぶ回復したから大丈夫だよー」
「そうですか、なら行きましょう! せっかく博士さんたちから貰ったチケットがありますし」
そう言って鞄から取り出したのは、色とりどりの模様が描かれた縦長の紙きれ。
これを使うのはかばんさんとサーバルが二度め、私とアライさんは初めてだ。
せっかく来たのだ、楽しまなければ損だろう。
ここはみずべちほーの一角、今日のために用意されたのだろう大きなステージが目立つ。
既にたくさんのフレンズたちが集っており、その者らの登場を今か今かと待っているようだ。
「早く来るのだー!」
早くもその環の中に紛れるように立つアライさんが、私達に手を振る。
「アライさーん、急いじゃ駄目だってばー」
「もうそろそろ開演みたいですね、行きましょう」
サーバルとの距離が少し気まずくなってしまった昨日だったが、このイベントでそのモヤモヤを吹き飛ばそう。
私が招いた事だが、当の私もこの雰囲気はあまり好きではないのだ。
「サーバル、行くよー?」
「……う、うん!」
…………本当に大丈夫だろうか…………。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます