第15話 不意
────全く予想だにしていなかった遭遇。
それはボクの心を今でも蝕み続けるトラウマを呼び起こさせ、全身を石のように固まらせた。
「……な…………………」
ボクのひと回りは大きいであろう巨体を揺らし、ソレはゆっくりと迫ってくる。
闇夜に溶け込み、まるで空間に奇妙な丸い目玉だけが浮かんでいる、そんな錯覚すら覚えさせた。
その目玉に真っ直ぐ捉えられたボクは、過剰な恐怖、緊張によりパニックに陥ってしまう。
手足は震え思考は停止、使えそうな物は鞄ごと図書館の中。
……成す術無しとは、こういう事だ。
「……た……食べないで……」
巨体が放つプレッシャーに、僕の心は容易く押し潰される。
あの時はまだ良かった、守る為の自己犠牲だったから。
しかし今回は、喰われるのみ。
その現実に、恐怖が更に襲いかかる。
「……ぁ……あ…………」
────…きっとこれは、罰だ。
フェネックさんと関係を持ってからというもの、ボクは様々な嘘を重ねてきた。
それも全てサーバルちゃんの為だと思ってついた嘘だったが、結果ボクはサーバルちゃんを────"のけもの"にしていただけだったのだ。
アリツカゲラさんはあの時言っていた……。
サーバルちゃんを独りにしないで、と。
"のけもの"を作らない事が、この島での在り方だ、と。
なのにボクは、サーバルちゃんに「行かないで」と言わせてしまった。
……孤独を、感じさせてしまった。
今までの奇妙な夢は、その警告だったのかもしれない。
サンドスターという不思議な物質が存在するこの島の事だ、おかしくはないだろう。
イレギュラー、不要因子……どんな捉えられ方かは分からないが、つまりはボクが島のルールを乱す存在になってしまったという事……。
そんなボクを、この島が排除しようとしているのではとさえ感じる。
「………………」
悪い考えが次から次へと湧き上がる。
そしてついには、ボクの体から抵抗する力さえ失われつつあった。
しかし一つだけ心残りがある。
……このままだとサーバルちゃんを巻き添えをにしてしまうという事だ。
それだけは……許せなかった。
そしてその気持ちと同時に、一つの決意が固まる────。
「……っ」
────心の中で前言を撤回。
震える足に鞭を打ち、立ち上がる。
「…………サーバルちゃん……」
……名前を呼んでも返事はない。
驚く程静かな空間で、ボクの声が虚しく響いた。
サーバルちゃんを担いで逃げようにも、片腕がほとんど使えない上に足は震えて思うように動かない。
追いつかれて二人とも食べられるのがオチだ。
それに、助けが来る可能性も限りなく低いだろう。
博士さんと助手さんは各ちほーを飛び回り、フェネックさんは昨日の事件と今日のサーバルちゃんの事もある。
きっと今頃、博士さんたちが用意したふとん的なものの中で静かに寝息を立てているはずだ。
大声を出しても熟睡している彼女らの耳に届く可能性は低く、それ以前に今のボクは震えで上手く声すら出せていない。
……ならば、こうするしかなかった。
ふと横を見ると、放置された小箱と地面に散乱したマッチ棒が目に入った。
その一つを手に取り、火をつける。
赤く燃える炎と、対峙するセルリアン……この状況に、潰れた心が痛み出す。
「……」
ボクは足を進めた。
火を灯したマッチを前に掲げ、セルリアンの元へ。
「────食べるなら、ボクを」
………その言葉を合図にしたかのように、目の前のセルリアンの様子が一変した。
不快な呻き声の様な音を発し、体が縦に裂ける。
微かな炎に照らされ、その歪な口を開いた姿がぼんやりと映し出された。
……これが最期になるのなら、僕がサーバルちゃんにかけることが出来るのは感謝の言葉ではない……────。
「────ごめんね、…………元気で……────
────────────────────
────。
────────しかし。
次にボクを襲ったのは、全身を打ち付けたかのような鈍い痛み。
気付けば、ボクは芝生の上に転がっていた。
「…………ぇ……」
訳が分からない。
どうしてボクはここで倒れているのだろうか。
……どうしてボクは生きているのだろうか……。
予想外の現状に頭が混乱する。
確かにボクはセルリアンに食べられたはず……。
その際の衝撃まではギリギリ覚えているのだ。
横向きに開いた口に、両側から押し潰されるような───────
───────いや、違う。
食べられる瞬前にボクを襲ったのは、左右から挟まれるような衝撃ではなく─────
────────誰かに突き飛ばされるような、片側からの強い衝撃だった。
「─――──ぐぬ………な、中々やってくれるのだ、セルリアンめ!」
聞き馴染みのある大きな声にハッとし、その方向へ顔を向ける。
そこには、セルリアンの大きな口を両手で受け止めている─―──アライさんの姿があった。
「あ、アライさん!? どうして……!?」
「説明は後なのだ! 今はこいつをどうにかするのが先なのだ!」
アライさんはセルリアンの力をうまく後ろ向きの力に変え、勢い良く真後ろに飛ぶ。
「……………ん? 何でこんなところで寝てるのだ?」
ちょうどサーバルちゃんの横まで飛んだらしく、布団がかかってはいるものの野晒しで寝ている様子を見て困惑した表情を浮かべる。
しかし、さすがのアライさんでもこんな状況で呑気に考え事をしている暇はない。
すぐ表情を戻し、ぱっくりと口を開くセルリアンと対峙する。
「まあいいのだ、今はそれどころじゃないのだ!」
今度は自らの脚力で地面を蹴る。
そのスピードのままセルリアンの真横に詰め寄り、後ろで青く光る石に狙いを定めた。
しかし、セルリアンも馬鹿ではない。
すぐに体の向きを変え、牙も何もない口で獲物を捕らえようとする。
「かばんさん、今のうちにサーバルを連れていくのだ!」
「えっ、でもアライさんは────」
「心配ご無用なのだ! アライさんに、おまかせなのだ!!」
アライさんはそう言い放つと同時に、両手から虹色の粒子を迸らせた。
「たあああああああ!」
再び跳躍、そのまま空中で組んだ両手を石めがけて勢い任せに振り下ろす。
その強烈な一撃はセルリアンの石を捉え、パリンという破砕音と共に石は四散─――──
─────しなかった。
いや、しなかったと言うよりは……できなかったという方が正しいだろう。
…………いつの間にか、セルリアンの背中から石が消えていたのだ。
「─――おゎっ、と……………あ、あれ? ……石はどこなのだ?」
辛うじて着地するもバランスを崩すアライさん。
感じるはずの手応えが全く無かったことに驚きを隠せない様子。
そして、その答え合わせの時間は早々に訪れる。
「…………アライさん、セルリアンの様子が……」
「………なんなのだ、これは……」
はじめは大きな口だと思っていた裂け目が…………更に広がり始めた。
深く深くそれは拡大していき、遂には体が真っ二つに割れる。
そして、ボクは見た。
──────――石が一つではなく、二つ。
その内側で、輝いている事を。
「────アライさんっ!」
「っ!」
慌てて後ろに飛び退くアライさん。
刹那、元いた場所に無数の何かが降り注いだ。
「ぐぬぬ……合体して石を隠すなんて卑怯なのだ……!」
……つまりは、お互いの石を守るように二体のセルリアンが結合していたのだ。
先程露出していた石は囮だろう。
倒せると近づいてきたフレンズを騙し、スレスレで内側に引っ込めてその隙を狙う為の巧妙な罠だったということだ。
……更に、不幸な事に隠されていたのは石だけではなかった。
「……あれは……」
────ボクは見覚えがあった。
伸縮自在で、凶悪な牙を備えた腕。
……以前、さばんなちほーを抜ける際に遭遇したセルリアンと同じタイプのセルリアンだ。
戦況は一気に悪化。
分裂したことで大きさは約半分になったものの、手数は数倍なのだ。
その状況にアライさんは顔を引き攣らせる。
「……というか、何でかばんさんはずっとそこにいるのだ! サーバルを連れていけと言ったはずなのだ!」
次々と襲い来る牙を躱し、あるいは弾き、受け止めながらアライさんはボクに叫んだ。
「で、でも──」
「でもじゃないのだ! 今かばんさんが出来るのはそれくらいなのだ、早くしないと────────っ!?」
……突如、片方のセルリアンがピタリと動きを止めた。
それに合わせ、もう片方のセルリアンの攻撃が激化し始める。
────嫌な予感がした。
「……っ……は、はは……中々やるのだ………」
横、上、更には地中から。
四方八方からの攻撃に手間取り、体力を削られるアライさん。
そのアライさんから、動きを止めていたセルリアンの目線が外された。
そして、次に捉えたのは─―────サーバルちゃんだった。
「っ! サーバルちゃん!!」
伸びる腕が台所の柱、屋根を掴み、ミシリと音を立てる。
跳ねるように起き上がったボクは、今出せるすべての力で駆け出した。
…………しかしその全てが、いとも容易く、踏み躙られる事となる。
飛び起きたことによる肩の痛み。
その痛みに気を取られ、足元の異変に気づかなかった─―──。
ボクの目の前の地面から飛び出したのは─―──セルリアンの腕。
突然の襲撃に、とっさに避けようとした体はバランスを崩し転倒してしまう。
そして、その様子を確認していたかのように見つめる視線が一つ。
それは、腕をバネのように伸ばしつつ腕を一本だけ地中に潜らせ待機する、セルリアンからの無機質な視線だった。
アライさんはボクが転倒した物音に気づき、見るなり思わず声を出す。
「かばんさん!? しっかりす―────」
「アライさん! 横っ!!」
「……へ?」
その隙を、セルリアンは見逃さなかった。
「!?────か…は………っ」
─――──アライさんの体が、くの字に折れる。
横から薙ぐように繰り出された腕が横腹にめり込み、そのまま勢い良く弾き飛ばされた。
「アライさんっ!!!」
「─―──」
ぐったりと横たわったボロボロの体は、ピクリとも動かない。
その手から、既に野生の光は消えていた。
ハッとして、ボクは台所へ視線を移す。
────────そして、悟った。
何もかもが遅かったということを。
「─――──ぁ…………あ………………………」
先程までセルリアンがいたはずの場所に、その姿は無かった。
代わりにその姿が確認できたのは―───────
―───────サーバルちゃんが居たはずの、台所の中だった。
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