第13話 詭弁
耳障りな音が辺りに響き渡る。
無理にでも不安をあおらせるような、不快な音。
「……くっ………ぅ……ぁ…………!」
その中で、かばんさんは耐えるようにくぐもった声を上げる。
「サーバル、今スグソノ牙ヲ抜クンダ、サーバル」
その腕で、ボスはけたたましく警告音を鳴らしながらサーバルに言う。
……ボスが人以外と話すときの条件は、ヒトへの緊急事態のみ。
まさに今、その事態が実際に及んでいるのだ。
「……サーバル……ちゃん………、痛いよ…………」
かばんさんの苦悶も、その大きな耳には届かない。
まるで自我を無くしてしまったかのような、そんな様子だ。
……発端は私の一声だろう。
しかし何故、サーバルはわたしの声にここまで過敏に反応し、このような行為に至ったのか。
それが私には皆目見当もつかなかった。
「フーッ……フーッ………うぅゥ……」
サーバルはかばんさんの肩に噛み付いたまま離れようとしない。
息は荒く、時折唸り声を上げる様子はまさに"野生"そのものの様で。
その様子に思わず後ずさりをしてしまう。
「ツウシンチュウ―――ツウシンチュウ―――各個体ヘ伝達、フレンズ化シタサーバルガ暴走、ヒトニ危害ガ及ンデイル為、至急応援ヲ────」
「ラッキーさん、大丈夫です……大丈夫ですから……」
自らの腕で虹色に光るボスを静止する。
これはボクらだけの問題だとでも言うような慈悲を孕んだ声。
しかし、それでもボスはそのまま光り続け、同時に周りの森が少しずつ騒がしくなっていく。
……と、その時。
「―――――――何事ですか!」
「……サーバル!?何をやってるのです!」
出かけていて図書館を不在にしていた博士たちがちょうど帰ってきた。
そしてサーバルを見るや否や血相を変えて駆け寄ってくる。
……が、当のサーバルはまるでその事に気付いていないかのように動かない。
「助手はとりあえずサーバルをかばんから離すのです!」
「わかりました、博士」
「……フェネック、説明を要求するのです」
博士は、滅多に見せないような深刻な顔つきで私に問う。
しかし、わたしも現状が全く理解できていない。
唯一分かるとすれば、私の存在がサーバルをこうしたという事くらいか。
「……私の、せいなのかも」
「……どういうことですか」
「分からないけど、私が喋った途端に様子がおかしくなったからさ……」
私の言葉に、博士は腕を組み何かを考え始める。
その顔はいつもの真顔だったが、その目を何か察したかのように閉じると一つ溜息をつく。
「我々がいない間に何があったのですか?」
「………そうだね……どこから話せばいいのかな……────」
……
────図書館から出た時からの事を掻い摘んで話す。
それを表情を変えずに黙って聞く博士。
……
「────はぁ……なるほど……」
そして再び溜息。
「何故サーバルがこうなったのか、ハッキリと断言はできないですが……大体察しはついたのです」
博士が何かを口篭るように目を逸らした。
……少し間を置いて更に続ける。
「でも、この話は一番大事な部分が抜けているのです」
「……全部話したはずなんだけどな……」
「……まあいいのです、お前がそれを理解してないのなら聞いても無駄なのです」
その言葉に少々ムッとするが、博士はそれを気にも留めない。
そのままサーバルに歩み寄りながら、目を合わせずに言う。
「とりあえず今はサーバルを何とかするのです、お前も手伝うのです」
「……はいよー……」
……
「サーバル落ち着くのです、こんなことをして何になるのですか……!」
「ア、アワワワワワワワワ……」
助手の怒声とボスのエラー音が混ざり、その場は異様な雰囲気に包まれていた。
「うぅぅ……ぅウ………フゥゥゥゥゥ……!」
「いっ────……!」
サーバルの興奮は収まる事を知らず、今尚かばんさんの肩に牙を食い込ませ続ける。
普段のサーバルなら、まずありえない行為だ。
「助手、様子はどうですか」
「ダメですね、いくら呼びかけても全く聞く耳を持たないのです」
「……無理やり剥がしちゃだめなの?」
「それはかなり難しいですね、このサーバルの目を見るのです」
言われた通り、私は視線をサーバルの顔に移す。
その虚ろな目は眩しいほどの光を呈し、私たちが俗にいう"野生解放"時の並ではない。
その影響か、サーバルの身体……特に口元から少しずつサンドスターが溢れ出していた。
「こんなに強い光は今まで見た事が無いのです、………どうやら野生の部分が通常より多めに出ているようですね。」
「……この状態だと、無理やり剥がそうとするのはかえって危険……、下手をするとかばんの命に係わる可能性も出てくるのです」
「そんな………」
―――――無力感と責任感で心が押し潰される。
何故私の声でそこまで取り乱したのか。
なら何故私ではなくかばんさんに牙を立てているのか。
…………分からない。
このままサーバルの体力が果てるのを待つしかないのか……。
……しかし、体力を消耗しているのはかばんさんも同じ。
肩に走る激痛に耐えながらずっとサーバルを宥めるその姿は、見ているだけでも耐え難い光景なのだ。
当の本人であれば、その消耗は計り知れないだろう。
「………サーバル……そろそろ冗談はやめなよ………」
その弱々しい声が今のサーバルに届く訳もなく。
かばんさんの赤いシャツが少しずつ湿り、更に濃い色へと変色していく光景が冗談ではないという現実を私に突きつける。
……全身の力が抜けていく。
…………無力感という沼に、心がずぶずぶと沈んでいく。
「………さーばる………ちゃ……ん………」
既にかばんさんの意識は朦朧としていた。
私では、どうすることもできないのか。
唯一悩みを共有できる大切な仲間を、救うこともできないのか――――――――。
「――――――――これはただの独り言なのです」
突然、博士が誰もいない方向に向かって言葉を発した。
……独り言にしてはずいぶん大きな声だ。
助手も呆気にとられたように目を丸くしている。
「………博士?」
「あー、やっぱりあの図書館の横にぶら下がるアレ、結構邪魔ですねー」
不自然な言動に、思わず博士と同じ方向を見る。
………図書館だ。
「今そんな事言ってる場合じゃ────」
「あーあー、上の止まり木からの景色に丸被りで台無しなのです。でもあれを取るといろんなフレンズから苦情が来そうで取るに取れないですねー」
私の注意に一切耳を貸さず、戯言をつらつらと並べ続ける博士。
とうとう切羽詰まった状況に限界が来て気でも狂ったか。
……と、初めは思ったが、一点だけ名詞をハッキリとさせていない事に違和感を覚えた。
図書館の横にぶら下がる……というと、あの紐の事だろうか。
確か私が助手に相談する前、サーバルがそれにぶら下がって遊んでいたのを微かに覚えている。
……そう思い返していると、私と同じように呆然としていたはずの助手が博士と同じような口調でその話に乗っかり始めた。
「………あー、そういえばあれ、結構頑丈なのか知らないですがカワウソ辺りが無理やりよじ登っても動じなかったですからねー」
「そうですね、それなら────例えそれがサーバルでも、余裕で支てくれそうですねー」
そこまで一方的に語ったところで、二人そろって私を横目でちらりと見始める。
二人とも何が言いたいのかと、検討が付かなかった。
何故そこでサーバルの名前を出すのか、と。
――――――しかし、次の瞬間全てが繋がる。
「―――――――――――――いや、まさか……」
「……はぁ……そのまさかなのですよ、フェネック」
博士はやれやれといった表情で告げる。
私は一つの結論にたどり着いた。
………つまりは、見ていたのだ。
図書館の上で話す、私とかばんさんの姿を。
私がかばんさんに寄り添い縋る様子を……そして、あのキスも………。
多分、サーバルはアライさんと同程度、もしくはそれよりほんの少し多い程度の性知識しか持っていない。
じゃなければ、かばんさんが稀に放つ視線、そして気配に気付いている筈だ。
………あのロッジでもそう。
あの時サーバルたちがずぶ濡れで帰ってきたとき、横目に見てもはっきり分かるほどかばんさんはサーバルの濡れた体を舐めるように凝視していた。
それなのに、サーバルは何事もなかったかのようにその時も、次の日も、また次の日もかばんさんに明るい表情を向けていたのだ。
もしその視線の意味に気付いていたのなら、感情がすぐ顔に出るサーバルの事だ、逐一顔を真っ赤にしていることだろう。
私たちのあの行為は、多分サーバルにとってはスキンシップ、もしくは挨拶程度の感覚だ。
しかし、今のこの様子を見るに私はこう考える。
………サーバルの、かばんさんに対する異常なまでの執着、依存――――――
―――――そして、独占欲。
簡単に言えば、仲良さそうに話し挨拶をする私たちに、焼餅を焼いている……。
……そう考えると、今の状況に説明が付く。
慌てて火を扱おうとしていた理由も。
私の存在に気付いたとき、私ではなくかばんさんに噛み付いた理由も……。
「……助手、この前のあれを持ってくるのです」
「………あれって、まさかあれですか?」
「決まってるのです、この前おふざけで私目掛けて放ったあれです」
「でもあれはちょっと……少しトラウマが―――――」
「つべこべ言わず持ってくるのです!今の状況を何とかするにはあれしかないのです!」
「…………まったく、博士は人遣い―――いえ、フレンズ遣いが荒いですね………」
「早 く 行 く の で す !」
……何だかサイドが騒がしいが、気にせず私は状況整理を続ける。
サーバルがこうなる直前、サーバルは目を覚ましたばかりで寝ぼけたような様子だった。
それも、かばんさんが声をかけても殆ど会話にならないレベルでだ。
その時のサーバルの顔はいつも以上に緩み、まるで至上の幸せを味わっているような表情を浮かべていた。
……かばんさんと会話をするだけでも本当に楽しいのだろうが、その時のサーバルは不自然に、そして異常なほど感情が剥き出しになっていたのであろう。
――――――その状態で、私を見たのだ。
その一瞬で過剰な独占欲に心を支配されたサーバルは、私にかばんさんを取られるのではないかと考える。
そしてそのままパニックに陥ったサーバルは、無意識にかばんさんを離すまいと噛み付いたのだ。
――――――信じたくはないが、こう考えれば全ての辻褄が合う。
……ならば、私にもできることがある。
それはいたって単純、簡単だ……
そして―――――今更だ。
「……サーバル……大丈夫、私はかばんさんを奪ったりしないよ」
………優しさ故の、嘘。
これが、私にできる唯一の事。
「聞いて、……かばんさんって頭がよくて、やさしくて、頼りになるでしょ?」
虚ろなサーバルの目が、私を捉える。
過剰な野性を孕んだその目に睨まれ、背筋に冷たい何かが走った。
しかし私は臆することなく続ける。
「私、聞いたんだ……、そんなかばんさんはサーバルの事をどう思ってるのかなって」
サーバルが、ピクリと反応する。
……当の私がかばんさんの名前を出したからか、言葉はしっかり届いているようだ。
「……そしたらさ、いろんなことを話してくれたよ……、旅の中でのサーバルの活躍とか、些細な事まで、全部覚えてるんだってさ」
その様子を見守る博士が静かに呟く。
「………酷な事をするのです………」
「………」
……まだだ。
まだ足りない。
「………やっぱり、かばんさんの隣はサーバルじゃなきゃダメだって、その時改めて思ったよ」
かばんさんは既に体力の限界を既に超えているようで、私の話を聞く気力すら残っていないようだ。
気力で保っているのか、その手はまだサーバルの背中をゆっくりと撫でてさえいるものの、瞼は落ち頭は力なく垂れている。
しかし、弱々しくもしっかり呼吸はしているようで、胸がゆっくり上下していることを確認できた。
「私はアライさんといるだけでも十分楽しいのさ……、だからサーバル、心配しなくても大丈夫だよ、だってかばんさんは────────サーバルだけの、唯一のパートナーなんだから……」
そして――――私は見た。
その目から、透き通るような涙が零れる瞬間を。
「ウぅ……うぅっ………」
唸り声とは別の声を上げ始める。
先ほどまでの緊張感は解け、サーバルは徐々に落ち着きを取り戻していく。
それと同時に、私の中の緊張がスッと抜け、安堵する。
………と、その時だった。
「「あ」」
後ろから聞こえた間の抜けた声。
そしてその直後、後ろ首に何かが刺さるような感覚。
後ろを振り返ると、筒状の何かをこちらに向けたまま固まっている助手と、その横でオドオドする博士の姿。
「フ、フェネック………これは……あの…その……………、ごめんなさいなのです」
私は首の後ろの違和感を確認しようと手を伸ばす。
しかし何故か、意思に反して私の腕は動こうとしなかった。
更に襲いかかる強烈な眠気。
そのまま、その違和感の正体を確かめる前に私の意識はブラックアウトした。
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