第12話 悵恨

「うぅっ……かばんちゃん………グズッ……」


サーバルちゃんの嗚咽がボクの胸に響く。

涙は枯れ果て、行き場を失くした心は弱々しい声となり止めどなく溢れ続ける。


「……サーバルちゃん………大丈夫だよ……」


ボクは励まし続けた。

優しく、語りかけるように。

そばにいるよ、と伝えるように。


サーバルちゃんの涙で濡れた服は、肌に張り付き体温を奪う。

その感覚は、今のサーバルちゃんの心境を鮮明に表しているように感じた。



……



しばらくすると、ボクの服をずっと掴んでいたサーバルちゃんの手から、スっと力が抜ける。

続いて、サーバルちゃんが顔をゆっくりと起こした。


「……落ち着いた?」

「…………うん……、ありがとうかばんちゃん……」


……その顔は、今まで見たことが無い程暗かった。

その目は真っ赤に腫れ、いつものサーバルちゃんの明るい笑顔は見る影も無い。


どうして泣いているのか。

どうして火を使おうとしていたのか。

聞きたいことは山ほどあった。

……が、いきなり問い質すようなことはしない。

今のサーバルちゃんに、無理をさせたくはなかった。


「……かばんちゃん……、わたし……自分のことが分かんないよ……」

「……」


とても小さな声で、ぽつりとサーバルちゃんは話し始める。

表情は暗いまま、何かに戸惑いを隠せないような、そんな様子で。

ボクは軽く相槌を打ちながら、静かに聞くことにした。


「……なんだか心の中がぐるぐるして、誰かにぎゅってされてる感じがするの……」

「……」

「とっても苦しくなっちゃって、気付いたらここにいて……」


その発言に、嫌な思い出が蘇る。

心に支配され、いつの間にか……。

そのような経験が、ボクにもあったからだ。

それも、目の前にいるサーバルちゃんに対してだ。


でも、どうして……。

……どうしてサーバルちゃんの心がこのような状況に陥っているのか。

その理由が、ボクには分からなかった。


……少し間を置き、サーバルちゃんの心の叫びは続く。


「……かばんちゃん………いなくなっちゃやだよ………」

「……い、いなく……?」


突然、サーバルちゃんはよく分からないことを口にした。

……ボクがいなくなる……とは、どういう事だろう……。


「……サ、サーバルちゃん、ボクはいなくなったりしないよ?」

「……ほんと?」

「本当だよ、だってボク達――――――素敵なコンビ……でしょ?」


……それは初めてビーバーさん達と会った日、サーバルちゃんがくれた言葉だ。

サーバルちゃんとの旅はとても楽しく内容も濃かった為、その出来事一つ一つを鮮明に覚えている。

その旅の中で、段々とサーバルちゃんはボクにとってのかけがえのない存在になっていった。

……今もそれは変わらない。

サーバルちゃんは……特別なのだ。


「……そうだよね、素敵なコンビ………だもんね………」

「そう、だから心配しなくても大丈夫だよ」

「…………わかった………」


何かを思い返すように空を見上げるサーバルちゃん。

ボクと同じく、思い出に浸っているのだろうか……。


「……もう大丈夫?」

「……うん……ありがとう、かばんちゃん」

「どういたしまして」


笑顔さえまだ戻らないものの、先ほどまでの得体の知れない激情は姿を消していた。

とりあえず、これで一安心といったところだろう。


しかしまだ気になっていることが一つある。


「サーバルちゃん……指、大丈夫?」


……先程のマッチの火が、微かに指先に触れるのを見たからだ。

手袋はそこだけ黒く焦げ、開いた穴からは肌色の肌が見えている。


「だ、だいじょうぶだよ、心配しないで――――」

「だめだよサーバルちゃん、痛そうにしてたじゃない………、見せて?」

「うぅ……」


ボクに心配をかけまいとしてくれているのは分かるが、それを放っておけるボクではない。

諦めたサーバルちゃんは、渋々ながら焦げた指先をボクに差し出した。


遠目から見ると分からなかったが、火が当たった指……正しくは人差し指の先が赤く火傷を起こしているようだ。

幸いにも掠める程度だったためか規模は小さく、他に目立った痕なども見当たらない。

……しかし、怪我は怪我だ。

火を使う時はボクも気を付けよう、と自らを省みつつ、これを何とかできないかと思索する。


「―――――――サーバルちゃん、ちょっと手袋を取ってみて」

「手袋?……この服の事?」


頭に?マークを浮かべながら、ボクが言う手袋を摘まむサーバルちゃん。

……どうやら初めて服を認識したときに、身に着けているもの全てを服と捉えていたようだ。


「そうそう、それを取ってみて」

「うん、わかった」


慣れない手つきで手袋を外していく。


やがて、二の腕、肘、手首と、綺麗な肌が姿を見せていく。

その光景に、思わずボクは目を奪われ、胸がどくんと跳ねる。


「……か、かばんちゃん……これでいい?」



―――――――ボクは、目を離すことが出来ない。

今までずっと隠されてきたその腕は、透き通るように白く、とても細い。

この腕で今までボクを助けてくれたのかと思うと、いろんな思いで胸がいっぱいになる。


先の方に目を移すと、細くしなやかな指先が若干震えているのに気が付く。

……表面上は落ち着いたように見えても、心はまだ完全ではないようだ。



「……かばんちゃん……?」

「!」


サーバルちゃんの一声で、我に帰る。

……そうだ、今は火傷を何とかしないと……


「あっ……ご、ごめんね……ちょっと気になっちゃって」

「……へんなの、かばんちゃん……」


慌てて火傷のある指を見る。

やはり、人差し指の先端があからさまに赤くなっているようだ。

それを確認したボクは、そっとサーバルちゃんの手を持ち上げる。



…………この方法で何とかできるかは分からないが、やってみよう。


「……サーバルちゃん、ちょっと痛いかもだけど、我慢してね」

「え……か、かばんちゃん?何するの―――――――――」







そう言ってボクは――――サーバルちゃんの指を口で咥えた。


「……はむっ………ん……」

「えっ、あ……か、かばんちゃ……!?」


やはり少し痛かったのだろうか、サーバルちゃんがぴくんと体を跳ねさせる。


「……ぷぁ……、ご、ごめんね、痛かった?」

「あ……、ううん、そうじゃないの……ちょっとくすぐったくて……」


そう言って、サーバルちゃんは赤くなった顔を隠すように俯く。

痛くはなさそうだが、多少敏感になっているようだ。


「でも、いきなりびっくりしたよ……、まさかかばんちゃんがわたしの指を食べちゃうなんて……」

「食べたんじゃなくて舐めたんだよ、そうしたら早く良くなるかなって思ったんだ」


何故か真っ先に思い付いたこのアイデア。

水で冷やす方法も浮かんだが、ボクは自然とこちらを選んでいた。


「……じゃあ、続けるね」

「……うん……」


ボクは再び口を近づける。

サーバルちゃんは恥ずかしいのか逃げるように手を引こうとするが、ボクの手が捕えて離さない。

そしてそのまま、その指はなす術なく僕の口に入っていった。


「……あ……ぅ……」


火傷をした部分を、重点的に舐めていく。

唾液をたっぷりと含ませた舌で、優しく撫でるように。


「……んっ……は…………か、かばん……ちゃん……」


……サーバルちゃんの指のしょっぱさを感じる。

今まで手袋に包まれていた綺麗な指が、僕の唾液で少しずつふやけていく。


「……あぅ………ん…ぁ…………は……」


患部に舌が触れる度、指がぴくりと蠢き口内をくすぐった。

その感覚が、とても心地よくて……、段々……気分が…………



…………………もっと―――――――――




「──―――か、かばんちゃん……もう大丈夫だよ……!」

「っ!」


サーバルちゃんの声がボクを連れ戻す。


……今のは何だ?

ただボクはサーバルちゃんの火傷を治そうとしていたはずなのに……。


「ご、ごめんサーバルちゃん……!」


慌てて口から引き抜いたサーバルちゃんの指は、水分を吸い過ぎて白くしわしわになっていた。

……少しやり過ぎたか。

雑念を払うように、ボクは頭を振る。


「……もう痛くないよ、かばんちゃん……ありがとう」


サーバルちゃんは戸惑いの表情を浮かばせながら、そそくさと手袋を着ける。

とりあえず、何とかなってよかった……。

……心の底の惜しがる気持ちを押さえつけ、ボクは笑顔を浮かべる。


「……よかった、でも今度からは無理をしちゃダメだよ?」

「うん、わかった」



……気が付けば、太陽はじわじわと傾いていた。

今日は色々なことがあったし、そろそろ図書館を出よう。


「サーバルちゃん、そろそろ行こっか」


座りっぱなしで痺れかけの足に鞭を打ち、ゆっくりと立ち上がる。






「……かばんちゃん」


ふと、サーバルちゃんが落ち着いた声でボクを呼ぶ。


「……最後にひとつだけ、わがまま言っていい?」

「……!」



その言葉に、ボクの身体がピクリと反応する。

同時に、嫌なデジャヴが脳裏をよぎった。

ついさっき、同じようなことを――――他の誰かに言われた記憶。

『最後に一つ、我儘を言ってもいいかな』……と。


「…………どうしたの?」


焦りを隠しつつ、ボクは問い返す。

……彼女と同じようなことを、頼まれないように祈りながら。

――――――――しかし、





「………ぎゅって、していい?」



ボクの祈りはあっさりと消える。

まさか全く同じことを頼まれるとは思わず、内心増々焦りが募る。

……しかし、サーバルちゃんのこんな頼みを断る勇気を生憎ボクは持ち合わせていなかった。


「…………いいよ、サーバルちゃん」


ボクは改めて腰を下ろし、両手を広げる。

そこ目掛けて、間髪空けずに勢いよく飛び込んでくるサーバルちゃん。

衝撃で息が一瞬詰まる。





――――――その眼には、既に枯れたはずの涙が浮かんでいた。



「………ずっと、ずっと一緒だよ………かばんちゃん」


「………うん……、ありがとう、サーバルちゃん」








―――――――――――――――――――――――――――――――








「―――――あらあら、お熱いねー」


その声に、ボクは目を覚ます。

目線を下に向けると、サーバルちゃんが気持ちよさそうに寝息を立てていた。

……どうやらあのまま寝てしまっていたようだ。

太陽は既に顔を半分程隠しており、空も真っ赤に染まっている。

しまった、と頭を掻きながら、ボクは声の主に対して返した。


「ご、ごめんなさい、寝てしまって……」

「私は構わないよー、ただアライさんが待ちくたびれて逆に静かになっちゃったけどねー」


声の主―――フェネックさんは淡々と答える。

……なんだか少し声のトーンが低い気がするが、気のせいだろうか。


……まあいい、今は急がなければ。

とりあえず、ボクの膝を枕にして眠るサーバルちゃんをどうにかしよう。


「サーバルちゃん、おきてー」

「……うみゃ………あ、かばんちゃん……おはよ…………?」


ボクの呼びかけに、サーバルちゃんは目を覚まして身体をゆっくりと起こす。

寝ぼけているのか、半開きの目は焦点が定まらず、声にも張りが無い。


「そろそろ日が暮れちゃうよ、目を覚まして」

「……えへへ………かばんちゃん………だいすきー…………」

「も、もぅ……サーバルちゃんったら……」


寝言のような言葉を口にするサーバルちゃんと目が合う。

同時に満面の笑みを浮かべるサーバルちゃんだったが………、何か様子がおかしい。

その様子を見たフェネックさんも声をかける。


「サーバルー、しっかりしなよー」




その声が耳に届くその瞬間――――――






――――――――サーバルちゃんの様子が、豹変した。


「あ―――――――――だめ……いや………いや…………!」

「……サーバルちゃん?」



一言で表すならば――――――――――絶望。



身体はガタガタと震え、呼吸が乱れる。

明るかった顔は一瞬で蒼白に染まり、見開いた眼が真っ直ぐフェネックさんを捉える。


「……サーバル?」

「かばんちゃんいかないで………かばんちゃん、かばんちゃんかばんちゃん………い……や…………!!」






瞬間――――――――――その眼が光を呈した。




「っ――――――かばんさんっ……!!」


サーバルちゃんが、ボクの顔の真横でその口を大きく開く。


フェネックさんが咄嗟に反応するが、遅い。

そして、その手を必死に伸ばすフェネックさんの目の前で――――――――








――――――――野生を纏った鋭い牙が、ボクの肩口に深々と突き刺さった。

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