第11話 戸惑

私は、自分の気持ちを信じたかった。

どこまでもアライさんのことが大好きな、この心を信じたかった。

しかしそれは、助手の言葉によって大きくひび割れてしまった。


……助手が悪い訳では無い。



────私の心が、弱いのだ。





────────────────────





……こうやって私からキスをしたのは、いつぶりだろうか。

突然の事に、かばんさんは驚きのあまり私を凝視したまま固まっていた。


「…じゃあ、今日からじゃ、ダメかな」


耳元で吐息混じりに囁く。

……半分は冗談交じりのつもりだが、もう半分は本気だ。

かばんさんはまさか今日と言われるとは思っていなかったらしく、数秒の間を置き我に返ると戸惑いつつ答える。


「い、いきなりはズルいですよフェネックさん……、それに今日からなんて……」

「その気にさせたのはかばんさんだよ?」

「うう……」


かばんさんの言ったことは正しかった。

かばんさんとの交わりを定期的に行えば昨晩のような事態になることもないだろうし、お互いのお互いに対する気持ちの正体を探ることもできる。


壁があるとすれば、私たちがしっかりと心の中で行為と気持ちを割り切れるかどうか、それと周りの目だ。


「…………わかりました、今日からですね………」

「え、ほんとにいいの?」

「はい、思い立ったが吉日とも言いますし、何事も早い方がいいでしょうから」


しかし本当に了承してくれるとは思っていなかった。

しかも私が微塵も考えていなかった理由まで付けてだ。

……言い出しっぺは私だ。

こうなったのであれば、本気で考えよう。


「でも、問題があるとすれば場所と時間です」

「だよねー……」


この行為は、誰にも知られてはいけない。

……特に、サーバルとアライさんには。

その条件を達成するには一定の条件が揃わないといけない訳だが、それは前回と同じだ。


"サーバルとアライさんのタイミング"、"比較的隠れた場所"の二つ。


「定期的にやることで内容は薄く短くできると思います。なのでそこまで厳重にとはいかないですが……慎重に選ぶ必要がありますね」

「そうだね……」


改めて感じたが、これは二人の交わりについての話だ。

他人から見たら異様な光景なんだろうとは思うが、私たちにとっては違う。

これは全て、私たちの絆を守るための守るための大切な作業なのだ。


「……どうしました?フェネックさん」

「ん?いや、何でもないよ」


……たまに、こういう風に自分を諭す。

自己暗示のように、何度も何度も。

……じゃないと、罪悪感で押しつぶされてしましそうになるのだ。


「とりあえず私とかばんさんのタイミングが合わないことには元も子もないから、それが第一優先だよね」

「そうなると、基本的には夜ということで………………あっ」

「どうしたの?」


かばんさんが突然なにかに気づいたように私を見る。

なにかまずい事が起こったかと一瞬焦ったが、どうやらそうではないみたいだ。


「フェネックさんとアライさんって確か、夜行性でしたよね……」

「あー……」


よく気付いたなと私は感心する。

しかし、それは心配には及ばない。

確かに私もアライさんも基本的には夜に行動するタイプの動物だ。

しかし今となっては、かばんさん……つまり昼行性のヒトとよく一緒に行動するようになった為か、いつの間にか昼夜が逆転していたのだ。


「そこは大丈夫だよ、かばんさんのおかげさ」

「ど、どういう事ですか……?」


典型的な例で言えば、サーバルだ。

ずっとかばんさんと一緒に旅をしている訳で、今ではすっかり昼行性そのもの。

名残と言えば、夜に目が効くことくらいだろう。


「かばんさんと一緒にいる内に昼と夜が逆になったんだよ、サーバルみたいにね」

「……こういう時ってどんな反応すればいいんでしょうか……」


自分が私たちの生活リズムを乱していると思ったのか、複雑な反応を見せるかばんさん。


「気にする必要は無いよ。博士たちが前に言ってたけど、フレンズって動物がヒト化したものなんでしょ?」

「……みたいですね」

「なら、みんな徐々に昼行性になっていくのは仕方ないんじゃないかな。私たちはかばんさんと一緒にいたから、それが早まったんだよ、きっと」

「……ありがとうございます、気を遣ってくれて」


その場しのぎかつ本当かどうかも分からない、調べる手段も持ち合わせていないが、間違ってはいないだろう。

博士たちやライオンたちも大体が夜行性のはずなのに、太陽が見える時間に活動をしているのだ。


「……じゃあ、とりあえずタイミングは夜中二人が寝静まった後でいいですね」

「そうだね」



……と、その時。


「────フェネックぅーー!どこ行ったのだーー!」


私を呼ぶ聞き覚えのある大声が微かに聞こえた。

……少し話しすぎてしまったようだ。


「かばんさん、そろそろ戻った方がいいかもしれないね」

「どうかしましたか?」

「……あれ、聞こえなかった?アライさんの声」

「いえ、何も……、流石ですねフェネックさん」

「……それほどでもないよ」


かばんさんの言葉に嘘偽りの色は全く見えない。

聴力は私がカバンさんに勝る数少ない能力だ。

褒められることは純粋に嬉しいもので、少しむず痒い気持ちになる。


かばんさんはいつも自分に正直だ。

……今なら、私も少しだけ正直になっていいだろうか。


「……最後に一つ、我儘を言ってもいいかな」

「はい、どうしましたか?」



「………ギュッて、してもいい?」


「…………いいですよ」


私の唐突な要望に少し驚いたようだが、かばんさんは両手を広げ私を快く受け入れてくれた。


静かな空気が辺りを満たす中、心のまま背中に手を回しその胸へ顔を埋める。


……かばんさんの包み込むような温かさがじわりじわりと伝わり、優しい香りがふわりと鼻をくすぐる。

胸に当てた耳からはかばんさんの力強い鼓動を感じ、私の鼓動と共鳴していく。

……その感覚は、時が進むのを忘れさせるほど心地が良かった。

不意に頭に置かれた手は優しく、ずっとこのまま時が止まればいいとまで思わせる。


――――しかし、刻々と進む時間がそれを許さない。


「……ありがとう、かばんさん」


そう言って私はそっと手を解き体を離す。

名残惜しさが溜息となって口から零れた。


「僕でよければいつでも歓迎しますよ」

「……じゃあ、また"今夜"お願いしてもいいかな」

「…………もちろんです」


さて、と私は立ち上がる。


「アライさんが呼んでるから行かないとね」

「そうですね、せっかくなのでそろそろここを出発しましょうか、行く宛はないですけど」

「適当でいいさ、それが私たちでしょ?」

「……それもそうですね」

「………その前に、料理も忘れないでね、私あんまり食べれてないからさ」

「わかりました」


他愛もない話をしながら、かばんさんは軽々と木から降りる。


ふと外を見ると、太陽がちょうど空の真上で輝いていた。

雲も風も一切無く、とても穏やかな天気のようだ。


「フェネックさん、急ぎましょう」


慌てて私も木から降り、かばんさんを追ってボロボロの階段を下っていく。

────その視界の端で不自然に揺れる何かに気付かないまま。





────────────────────





「────あっ!フェネックどこ行ってたのだー!」


私たちが図書館から出るなりアライさんが叫びながら走ってきた。


「ごめんよアライさーん、つい本を読むのに夢中になっちゃってさー」

「ふ、フェネックは文字が読めるのか!?」

「まさかー、そのためのかばんさんだよー」

「ぐぬぬ……アライさんも一緒に読みたかったのだ!」


アライさんは悔しそうに駄々をこねる。

どうやらうまく誤魔化せたようだ。

―――――が、もう片方の姿が見当たらない。


「……アライさん、サーバルちゃんを知りませんか?」


腕にボスを巻き付けながら辺りを見回すかばんさん。

こういう時に姿が見えないと、やはり少し不安なようだ。


「サーバル?………それならさっきお皿を洗い終わった時に入れ違になったのだ」

「キッチンですか?……ありがとうございます」


かばんさんは律義に頭を下げ、言われた場所へと向かう。

キッチンには、さっきのりょうりの残りがそのまま置いてあるはずだ。

……ということは、つまみ食いだろうか。

そうなるとさっき食べきれなかった私の分が無くなる危険性が……。




「――――――何してるのサーバルちゃん!」

「……っ!」


かばんさんの大きな声が辺りに響いた。

何事かと駆け寄ると、そこには両腕をかばんさんにガッチリと捕まれたサーバルの姿が。

────その手には、何やら見覚えのある小箱と小さな棒の様なものが握られていた。

これは……確か"マッチ"という物だったか。

火を生み出す道具らしいが、その火を恐れるサーバルがなぜこんな物を……?


「か、かばんちゃん…………大丈夫だよ、少し練習してただけだから!」

「練習って……」


サーバルは一瞬こぼした切なそうな表情を抑え込むように笑顔を見せる。

しかし、大事そうに小箱を握るその指先は小刻みに震え、中の物をカサカサと鳴らしていた。

その様子は、何か焦っているようにも見える。


「火が使えたら、もっともっとかばんちゃんの役に立てるかなっておもったの!」

「でもそんな震えてまで――――――」

「大丈夫だよ!だんだんコツがわかってきたんだ!見てて!」


そういってサーバルは半ば強引に腕を解き、棒の先で小箱の側面を勢いよく擦る。

すると、小さな火花が散ると同時に、その棒の先に見事に火が灯った。








刹那――――――――――サーバルの顔が一瞬にして恐怖で染まった。



異様なほどの震えはサーバルの身体から力を奪い、その手から零れ落ちたそれは幸か不幸か自らの指のみを掠め皮膚を焼いた。

サーバルは痛みから思わず苦悶の表情を浮かべる。


「っ―――――!」

「サーバルちゃん!大丈夫!?」


離れた場所から見る火でも怖いというのに、サーバルはそれを自らの手で、自らの目の前で起こしたのだ。

たとえその規模が小さくとも火は火だ、その恐怖は計り知れない。

その結果サーバルは、その衝撃と恐怖、そして火傷の耐えがたい痛みによって腰を抜かし、声にならない悲鳴を上げることとなった。


地面に落ちてさえまだ残るその火をかばんさんは足で踏み消し、震えるサーバルを庇うように体を寄せる。


「サーバルちゃん……どうしてこんなこと……」

「――――――わかんない……わたしわかんないよ………」


私は呆気にとられていた。

それは隣にいるアライさんも同じだった。



いつも明るく、いるだけでその場の雰囲気が晴れやかになるようなサーバルが、今や怯えた子猫のように震えているのだ。

もちろんこんな姿は今まで見た事が無いし、見せる気配もなかった。

そんな光景に、私は驚きと不安を隠しきれない。


「………かばんちゃん…………かばん……ちゃん…………」


サーバルは助けを求めるようにかばんさんの服にしがみ付く。

いつの間にか、その大きな目からは大粒の波がが零れ落ちていた。

一粒、一粒と流れるそれは頬を伝い、かばんさんの赤い服にシミを作っていく。


「………大丈夫だよ、サーバルちゃん………大丈夫………」


かばんさんは、そんなサーバルの身体をやさしく抱き寄せ、落ち着いた声で宥める。

大丈夫、大丈夫、と何度繰り返した。





「…………アライさん、ここはかばんさんに任せて私たちは向こうで待ってよっかー」

「……そうするのだ………今はアライさんの出番じゃないのだ」


そうして私たちは静かにその場を後にする。

何故サーバルがあそこまで取り乱していたのかは分からないが、今それを何とかできるのは一番のパートナーであるかばんさんだけだ。





―――――――――そのかばんさんがサーバルを抱き寄せた時、私の胸の奥が一瞬ちくりと痛んだように感じたのは、きっと気のせいだろう。

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