第8話 憂い
……何かの物音が、ボクの頭を不意に目覚めさせた。
何かと何かが擦れるような音……。
身体の感覚が徐々に戻ってくる。
意識がハッキリとし始め、瞼の向こう側からは微かな光が見える。
────目を開けると、すぐ側で丸まったサーバルちゃんが寝息を立てていた。
まだ外は薄暗く、太陽もまだ顔を出していないようだ。
……こんな時間に誰か来たのだろうか。
そう思ったのも束の間、ボクはこの部屋の不自然な点に気づいた。
…………フェネックさんがいない。
昨日ここで寝た時にはボクら4人とギンギツネさんとキタキツネさん、合わせて6人いたはず。
しかし今、フェネックさんが居たはずの場所からは本人どころかふとんまでもが消えていた。
その光景は、元からここに居なかったかのようにすら感じさせる。
しかし、あのフェネックさんが何の理由も無しに姿を消すだろうか。
…………それは無いだろう。
最低でも誰かに一言掛けてから出かけるはずだ。
突然の異変に考え込んでいる内に、頭は完全に目覚めていた。
そしてもう一つ、妙な点に気づいた。
アライさんの様子がおかしいのだ。
服装は不自然に乱れ、何かに
夕方からずっと寝ていたはずなのに、その様子は今まさに疲れ果ててそのまま眠りについたようにも見える。
そこでふと、ある光景が脳裏に蘇った。
僕らが眠りにつく少し前、僕とフェネックさんで布団を敷いていた時だ。
その時、フェネックさんは軽い頭痛を覚えていたらしく、時々苦痛に顔を
何故今この光景が……
……とりあえず乱れたアライさんの服を整えてあげよう、このままでは寒そうだ。
魘されているせいだろうか結構汗をかいているようで、服を整えようと身体を動かす度に汗特有の刺激臭がボクの鼻を刺す。
……この臭いの中に、ボクが知っている何かが混ざっているように感じるのは気のせいだろうか。
例えるならば────────あの雨の降る夜、あの場所、あの瞬間。
よく見ると、アライさんの身体の至る所に赤い痣のようなものが無数にあることに気づく。
「……まさか」
アライさんの様子、消えたフェネックさん、さっきの物音……。
その物音も、よく考えればすぐに正体が分かった。
この部屋の扉だ。
この建物の扉はカフェやロッジの押し引きで開くタイプではなく、薄い板を横にスライドさせるタイプだ。
その扉と床と擦れる音、それがボクを目覚めさせた音の正体。
嫌な予感がした。
ともかく急いでアライさんの服装を整えよう。
幸いにも、無数の痣はすべて服で隠れる位置にあるようだ。
扉の閉まる音がしてからあまり時間は経っていないが、急いだ方がいいかもしれない。
「サーバルちゃん、アライさん、ちょっと行ってくるね」
ボクはアライさんの服を正し終えるとかばんを背負い、できるだけ静かに、そしてできるだけ急いで建物の出入口へ向かった。
帽子は置いて行った。
ちゃんと帰ってくるというサインのつもりだ。
フェネックさんはマイペースなようで内面は責任感が強い。
ボクの予想が正しければ、きっとフェネックさんに何かあったのだろう。
そしてその責任を果たすべく、フェネックさんは────────────
────────ボク達の前から姿を消そうとしている。
================
建物の外は、いつにも増して大荒れだった。
風は鳴き、雪はその風に乗って視界を真っ白に染めんばかりに吹雪いている。
そして、足元には…………足跡があった。
出来てから少し時間がたっているのか半分ほど消えかけているが、それは吹雪の中を真っ直ぐ進んでいるようだ。
「フェネックさん……」
凍えるような寒さだが、今はそれどころではない。
フェネックさんはそれ以上の苦しみを抱えながら、この吹雪の中を進んでいるのだ。
しかし、それはもう長くは持たないだろう。
フェネックさんはサーバルちゃんと同じ暑いちほーに住むフレンズだ。
あの大きな耳も、その熱を逃がすため故の大きさらしい。
でも、それは逆に寒さに弱いことも意味する。
初めてゆきやまに来た時のサーバルちゃんもそうだったように、今まさに震えながら雪の中を必死に歩き続けているはずだ。
下手をすれは、このままフェネックさんは……
最悪の場面が頭をよぎる。
ボクは震える体をなんとか抑え、猛吹雪の中に飛び込んだ。
────────────────
「フェネックさーん!いるなら返事をしてください!」
どれくらい歩いただろう。
風の音と真っ白な景色が延々と続き、時間感覚が狂ってしまう。
さらには頼りの綱である足跡も既に殆ど消えかけていた。
このまま見つからなかったら、フェネックさんだけじゃなくボクまで……
考える暇もなく飛び出してきたせいで、今更ながら後悔が募る。
寒さからか、考えが上手くまとまらなくなってきた。
それだけではない。
手足からはすでに感覚が消え、横殴りの雪が顔に当たるだけで痛みが走る。
まさに、命の危機だった。
かまくらを作ればある程度寒さはしのげるだろうが、ボクの体力はすでに限界を超えていた。
「う、うわっぷ!」
雪に足を取られ、積もった雪に顔から倒れる。
全身から急激に体温を奪われていく。
頭が働かない。
……このままボクは消えてしまうのだろうか。
もう、だめかもしれない。
そう思った時、視界の端に何かが映った。
……見覚えがある。
ドーム状で、穴が空いていて、中は空洞。
……かまくらだ。
あの時ボクらが作ったものがまだ残っていたのだ。
無い気力を振り絞り、ボクは重い身体を無理矢理起こした。
とりあえずあの中で休もう────
フラフラの身体を引きずり、ボクは藁にもすがる思いでかまくらの中に滑り込んだ。
…………が、
「……!」
どうやら、先客がいたようだ。
「────探しましたよ、フェネックさん」
そこには、寒さで弱り震えているボクの大切な仲間の姿があった。
────────────────────
「…………か、かばんさん………どうして…………」
「どうしても何も無いです、突然いなくなったりして……フェネックさんらしくないですよ」
自然に少し強めの口調になる。
フェネックさんを見つけた喜びより、突然いなくなったことに対する怒りの方が大きかった。
「なぜこんな事をしたのかは聞かないでおきます、大体察しはついてますから」
「…」
その怒りが、凍えるような寒さを忘れさせる。
落ち着いて話すため、ボクはフェネックさんに対面する形で腰を下ろした。
鎌倉の中が狭いせいで、距離はかなり近い。
「ボクがフェネックさんの立てた物音で目が覚めたから良かったですが、もし誰も気づいてなかったらどうなってたか理解してますか?」
「…」
「他のみんなはきっと慌てますよ、ふとんすら綺麗に無くなってたんですから」
フェネックさんは黙ってボクの言葉を聴いている。
ボクは怒りを抑えながらも畳み掛けるように続ける
「一番かわいそうなのはアライさんです」
「っ……」
「突然いつも一緒にいたフェネックさんが目の前からいなくなるんです、探してもどこにも居ない、…………動揺するでしょうね」
「…………でも私、アライさんにひどいことしちゃったからさ……」
フェネックさんがようやく口を開く。
その声は酷く震え、かなり憔悴しているように感じた。
「自分の気持ちを抑えられなくなって……、アライさんを汚しちゃって…………、だから────」
「だから何ですか……!」
「っ!」
思わず大きな声が出てしまう。
我慢が出来なかった。
これ以上フェネックさんのこんな姿を見たくなかった。
「何がどうであれ、アライさんの相棒はフェネックさんだけなんですよ? それはフェネックさん自身が一番良く知ってるはずです!」
「そ、それは………」
「それと、僕の知るアライさんはとても寛大な心を持ってます」
「……」
「確かにフェネックさんはアライさんに酷い事をしてしまい、そんな自分が許せないのかも知れません」
「………」
「でも、今回のフェネックさんこの行動は間違ってると思います」
感情を込め、そして諭すように。
「……なんで、そんなことが言えるのさ……」
「何ででしょう…………野生の勘、ですかね」
フェネックさんの砕けそうな心を、救う為。
「……バカにしないでよ」
「ボクは至って真面目です」
あの夜ボクは、方法はどうであれフェネックさんに救われたのだ。
その恩は、返さないといけない。
「フェネックさんは現実から逃げてるだけです、それじゃあ何の解決にもなりません」
「…………じゃあ、私はどうしたらいいのさ……」
それが、今だ。
「現実に、自分が犯した過ちに正面から向き合うんです」
「……簡単に言わないでよ………」
「……そうですね、結局ボクにとっては他人事に過ぎないのかも知れません、…………でも、もしボクがアライさんの立場なら、そうしてくれた方が嬉しいです」
そう言いつつ、もしサーバルちゃんが同じ様にと思うと背筋が凍りそうになる。
でも、ボクだったら何があってもそれを受け入れたい。
それがどんなに辛く、痛く、苦しいものだとしても…………。
全ては大好きなサーバルちゃんの為、そう思えば全てを許せてしまうだろう。
「アライさんはフェネックさんの事が一番大好きなはずです。そんなアライさんが苦しんでるフェネックさんを見たらどうするでしょうか」
「…」
「きっと必死に何とかしようとしてくれるはずです……、今日のフェネックさんもきっとそうだったんでしょう?」
「……」
「ボクはアライさんを、そしてフェネックさんを信じてます。」
「かばんさん…………」
「だから、逃げないでください。自分だけで背負い込まないでください。 …………"困難は群れで分け合え"ですよ?」
そう、ボク達は"群れ"だ。
それも、硬い絆で結ばれた最高の"群れ"。
この言葉はまさに、今のボク達をまざまざと表しているように感じた。
と、今まで俯いていたフェネックさんが顔を上げて口を開いた。
「……………"困難は群れで分け合え"…………、確かどこかでかばんさんが言ったんだっけ……」
「え、いや、実はボクこんなこと誰にも言った覚えがないんですよ、あの時アライさんから初めて聞いたくらいで……」
「…………ということは、アライさんの誇張表現だったんだね…………、アライさんらしいや」
そう言うとフェネックさんは僕の目を真っ直ぐ見つめて、真っ直ぐな声で言った。
「……分かったよ………帰ろう、かばんさん」
「フェネックさん……!じ、じゃあ………」
「うん。アライさんに話してみるよ、少し噛み砕いてだけどね」
「……そうですね、その方が良いかもしれませんね」
ちょうど吹雪は静まり、肌に突き刺さるような風も大分収まっていた。
「……じゃあ、行きましょう」
ボクは手を差し伸べる。
それを見て、怪訝そうな目をするフェネックさん。
「……かばんさん、流石に一人で歩けるよ……?」
「ボクは心配性なんです、また一人でどこかに行ってしまったら今度は探し出せる自信はありません………今回も結構ギリギリだったんですよ?」
差し出した手を引っ込めず、ボクは待ち続ける。
すると少し表情が緩み、フェネックさんは答えた。
「……………ありがとう、かばんさん」
そう言ってぎこちなく握られたフェネックさんの手は、とても冷たく、そしてとても暖かかった。
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