第9話 揺ぎ

尊敬。

それは私がかばんさんに抱いている気持ち。

橋を作ったり、料理をしたり……、さらにはサーバル達とパークの危機をも救ったり。

その尊敬心は、一緒に旅をするようになっても変わらなかった。


でも、かばんさんが唯一、心の闇を打ち明けられる存在となってから。

そして、その感情ぶつけることが出来る存在となってから。

私にとってのかばんさんは更に特別な存在になっていった。

かばんさんにとっての私も、きっとそのような立ち位置なのかもしれない。


そう、…………私だけ。

私だけが、かばんさんと全てを許し合える。


私だけが…………。




────────────―――――




優しく降り続く雪の中を歩く。

二人分の足跡が小さな道を作り、そしてゆっくりと消えていく。


「フェネックさん、大丈夫ですか?」

「心配しないで、かばんさん……大丈夫だよ」


そう言いながら、必死に辛さを堪える。

雪で冷えきった脚は歩く度に耐え難い痛みを伴い、かばんさんがいなければ歩くことを諦めてしまいそうだ。


「あっ!建物が見えましたよ!……よかった……」


かばんさんが指差すその先には、見慣れた建物があった。

私にとっては、過ちを犯し、留まることを躊躇った忌まわしき場所でもある。

本当は今でも帰るのは怖い。

でも、しっかりと繋がれた手が私を引っ張る限り、帰らないという選択肢を選ぶことはできなかった。


「…………ふぁ」

「……今度はしっかりと休んでくださいね」

「分かったよ、かばんさん」


無意識に欠伸がでる。

そう言えばこの晩、私は殆ど寝てないことを思い出した。

……眠ることが出来なかった、という表現の方が正しいのかもしれない。

そう、あれは私の意志じゃない。

悪いものに操られただけなんだ。

……そう思うと、少し気が楽になる。


考え事をしているうちに、私とかばんさんは出入口の幕を潜る。


「……帰ってきてしまったね……」


建物に入るだけで、罪悪感が私を押し潰そうとする。

でも私は決めたんだ、現実に立ち向かうと。

しかし………


「フェネックさん、とりあえず諸々置いておいて温泉で身体を暖めたらどうですか?」


流石に極寒の地に長く居過ぎたせいで疲労困憊だった私を気遣い、かばんさんは体を休めることを勧めてくれた。


「そうだねー、お言葉に甘えさせてもらうよー」

「いえいえ、ボクはその間にふとんを元に戻しておきますね」

「……色々悪いねー」


また、そうしている間にうっすらと外が明るくなってきたようだ。


「では、またあとで」


そう言うとかばんさんは私たちが寝ていた部屋のほうに歩いて行った。

……ひとまず温泉に浸かろう。

色々やるのはその後だ。




――――――――――――――――――――




脱衣所に入ると、既に誰かの服があった。

……見たことのない服だ。

少々不思議に思いつつ、私も服を脱いで奥へ進む。

既にお湯が張ってあるようで、湯気がもうもうと立っていた。

………ん?

……奥の方に、何かいる………?


「…お先に失礼してるよよよ……」

「…………よよよ?」


水面から顔を出していたのは、茶色い毛のフレンズだった。

……会ったことないフレンズだ。


「…私はカピバラだよよよ……、これは口癖だから気にしないでねねね……」


……何だか眠くなる言葉遣いだ。

疲れとの相乗効果で瞼が重くなる。


「……はいよー……」


とりあえず軽く返事を返し、お湯に入った。

少し熱めのお湯が冷え切った体にじんわりと染み渡り、思わず顔が緩む。


「はぁ~……」

「おんせんさいこ~……」

「おんせんさいこ~……………はっ……」


このように、カピバラの言葉に釣られるくらいの気持ち良さだった。

慌ててカピバラの方を見ると、気にしてない様子でぷかぷかと頭だけを浮かせていた。

その光景もなんだか不思議で、首から下がまったく見えない状態で水面を滑らかに滑っているようにも見える。

……まさか本当に頭だけなのだろうか。

…………じゃあ身体はどこに………?


そんな下らないことを考えてるうちに、疲れとそれを包む温かさの影響で今にも寝てしまいそうな状況に陥った。

……このまま寝てしまうのもアリだな。

そう思った私は温泉の縁に寄りかかり、ちょうど良い岩に頭を預けた。

瞼が今にも閉じようとするのに従い、そのまま目を閉じる。

……アライさんとはちゃんと話をしないとなぁ……

……かばんさんにはやっぱり敵わないなぁ……

回らなくなった頭でそんなことを思い耽りながらそのまま夢の世界へ……―――――



―――――――――旅立てなかった。



「たあああああああああああああ!!!!!」

「うわぁあ!?」


威勢の良い声とともに立ち上がった音と水柱が、眠気を一瞬で吹き飛ばしたからだ。

……この声、そして勢い……


「あ、アライさん!?」

「お、こんなところにいたのかフェネック!」


アライさんがお湯に勢いよく飛び込んだせいで、お湯が目に入ってしまった。

何とかしようと頻りに瞬きをしていると、アライさんがじゃぶじゃぶと荒々しく近寄ってくる。

………ちゃんと服は脱いでいるようだ。


「フェネックだけ先になんてずるいのだ!言ってくれればよかったのだ!」

「ごめんごめん、ちょっと寒いのが苦手だから……────っ!」


その光景に思わず息を詰まらせる。

アライさんの身体のあちこちに、小さな痣のような痕がたくさんあったのだ。

……原因は明白、私のせい。

ハッキリとは覚えていないが、抑えが利かなくなって暴走していたときに私が付けた痕に違いない。


「ん?どうしたのだフェネック、何だか元気がないのだ」

「……あ、ううん、大丈夫だよーアライさん」

「そうなのか?ならいいのだ」


……大丈夫、痕は全部服で隠れるし、数日も経てば消えるはずだ。

でも私は……現実に向き合わなければならない。


「ふへぇ……、いっぱい寝たはずなのに疲れが全然取れなかったのだぁ……」

「……」


やはりアライさんにはかなりの負担を掛けてしまっていたようだ。

温泉の縁にもたれかかったまま伸びている様子を見てそう思う。


ここで改めて考える。

このままアライさんに事情を説明してもいいのだろうか。

かばんさんは大丈夫だと言ってたけど、本当にそうだろうか。

もし仮に受け入れてくれたとしても、その後はどうなるのだろうか。


きっと、私の持つ黒い物はアライさんにとっては馴染みが無く、故に純粋な心に悪影響を及ぼすだろう。

もしアライさんが私の苦しみを受け入れてくれたとしても、私のアライさんに対する感情……変わって欲しくないという心は変わらないのだ。


……でも、都合の良い事に今日アライさんに起こった二つの事をアライさんは覚えていない。

なら、このまま無かったことにすればいいのではないだろうか。

そんな考えまで浮かんでくる。


「フェネックー、そういえばさっき────」

「ひっ!?…………あぁ……アライさんかー……」


突然話しかけられ驚き、思わず身体がビクッと跳ねる。

………周りの状況に気付かないくらい考え込んでしまっていたようだ。


「ん?どうしたのだフェネック」

「な、何でもないよーアライさーん……、で、何の話だっけ」

「……はっ!そうなのだ!えぇっと……さっきかばんさんから、フェネックが何か悩んでるみたいだから話を聞いてあげて、ってお願いされたのだ」


……かばんさーん、余計な事をしてくれたねぇ……。


「悩み事ならアライさんにおまかせなのだ!……でも今は疲れてるから程々にしてほしいのだ」

「悩みかぁ……」


まあ、今の悩みといったら今晩の事しか無い訳で。

このまま悩みなんて無いと言い払ってもよかったが、アライさんの誇らしげな表情を見ていると隠すのが申し訳なくなってしまった。


――――――覚悟を決めよう。

もちろん大分噛み砕いた言葉で。

私はゆっくりと、思い口を開いた。


「…………アライさん、実はね……────」





……





「うぅん……………、ふ、ふへへ……やめるのだふぇねっく………すぅ………」

「……寝ちゃったかー」


なるべく噛み砕き柔らかくして話した。

都合が良すぎるのではと、自分でも思う。

でも、これが私にできる精一杯だ。


内容としては雨宿りの時に病気が移ったというていで、その病気が夜中に悪化してしまい暴れたせいでアライさんに物理的な乱暴をしてしまい、気を落ち着かせるために体を冷やす目的で外に出たら遭難しかけた、という流れだ。

今日の出来事から過激な要素だけを引っこ抜いたような形だ。


アライさんの身体の無数の痕は、私が乱暴をしてしまった時にできた痣ということにした。

意味合い的には間違ってはいないだろう。

アライさんはその時初めて痕に気付いたようで、素っ頓狂な声を上げて驚きながらもしっかり話を聞いてくれた。

そして、最後にかばんさんが助けに来てくれたところを話そうとしたのが今さっき。

途中から返事が適当になっていくのは気付いていたが、最後まで話す前に限界が来てしまったようだ。


「………ふは……あらいさんにぃ……おまかせなのだ……………」

「ふぁ……いったいどんな夢見てるのさー」


そういう私も結構ギリギリだ。

話している間はまだ良かったが、もう限界みたいだ。


……

……結局、かばんさんの言う通りだった。

内容は少し違えどアライさんは私が話す言葉を真摯に聞いてくれたし、それで私の事を嫌いになるかと聞いても逆にこっちが怒られたくらいだ。


あのままかばんさんが私を見つけられずに本当に姿を消していたら、きっとアライさんは…………


「…………ありがとう、かばんさん。私を勇気付けてくれて…………」


純粋な思いを、独り呟いく。

そのまま、アライさんの横で私はゆっくり目を閉じた。





─────────────────────





…………温泉に浸かったまま寝るのは金輪際やめよう。

何故そうなったかというと、ご察しの通り。

寝てる間に私とアライさんは完全に茹で上がってしまったからだ。


「帰ってこないと思ったらまさか温泉で寝てるなんて…………」

「つかれてたからねー……、しかたないさー……」


私たちはかばんさんとギンギツネにより温泉から引き上げられ、タオルだけを身体に巻いて搬送されていた。

私はかばんさんに背負われ、手足は力無くぶら下がっている状態だ。

一方アライさんは私と同じようにタオルを巻かれ、両手でしっかり抱え上げられてる。


「うぇぇ……なんだか身体がふわふわするのだ……」

「まったく……、何のためにここに来たのよ……」

「やってしまったねー……」

「あ、あはは……」


これには流石のかばんさんも苦笑いだ。


………ふと、私は思う。

今まで、こんなに楽しかったことはあっただろうか、と。

あっちへこっちへ走り回るアライさんに付いていくだけでも満足していたが、こうやって一緒にへまをするのも悪くない。

更に今はかばんさんやサーバルもいるのだ、楽しくないはずがなかった。

こうやって、フラフラになって動けない身体をかばんさんに預けているこの瞬間さえ楽しいのだから。

かばんさんがいなかったら、この瞬間が訪れることは無かったのだ。


なんとなく、顔をかばんさんの背中に埋める。

……あったかい、かばんさんの匂い。

自然と心が落ち着いていく。


「かばんさん……、ほんとにありがとね」

「……いえ、仲間として当然のことをしただけですよ」

「………そっか…………」


……こういうところが、かばんさんらしい。

そう実感しつつ、私はやさしく揺れる背中にそっと身を預け、すっかり明るくなった空を眺めていた。




―――――――――――――――――――――




「アライさん復活!なのだ!」

「わー」


落ち着いてもう一眠りした私とアライさんは、完全とは言えないもののすっかり調子を取り戻した。


「アライさんもフェネックさんも、元気になって安心しました」

「アライさんに至っては寝すぎっていうレベルじゃない程寝てたわね」


昨日の夕方から今日の昼まで寝てたのだ、そりゃあ元気も湧き出るだろう。

逆に私は寝足りないけど。


「……アライさんはきっと体力の上限を超えて回復してるはずだよ」

「それ、げぇむの話でしょう……、でも分からなくは無いわね」


そう見えるほど完全に復活したアライさん、昨日の憔悴ぶりが嘘みたいだ。

………私もうちょっと寝ちゃダメかな。


――――――と、そんな話をしていると突然、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。


「やっと見つけたのです、かばん」

「よりによってここにいるとは思わなかったのです」

「あら、博士たちじゃない、どうしてここに?」


真っ先に気付いたのはギンギツネだった。

博士と助手、まさかの来訪者である。

どうやらかばんさんに用があるようで……


「寒いのによく来たねー」

「ボクに何か用ですか?」

「よくぞ聞いてくれたのです」

「我々はそろそろジャパリまんに飽きてきたのですよ」

「ヒグマも遠くに出かけてて使えないのです、死活問題なのです」


……つまりは、"りょうり"を振る舞えということだ。

かばんさん曰く、定期的に博士たちに呼ばれて料理を作っているらしい。

おかげで今やレパートリーも結構増えたとか何とか。

しかし、ここでその発言は間違いだったようだ。


「わかりました、今度はどんな料理がいいですか?」

「うぇ!?かばんさんのりょうりが食べられるのか!?」

「……ぼくもりょうりたべたい」

「良い機会ね、私も一緒にいいかしら」

「……楽しみだねねね……」


りょうりと聞いて早速群がるアライさんたち。

……いつの間にかカピバラもその輪に交っていた。

………首から下は初めて見たかもしれない。


「ぐぬぬ……」

「ここで頼んだのは失敗でしたね、博士」


どうやら一人、もとい二人占めしたかったようだ。

しかしもう後の祭りだ。


「じゃあ、今日はちょっと多めに作りますね、いいですよね博士?」

「………し、しょうがないですね……、図書館で待ってるから早く来るですよ!」

「早急に、です!」


そう言うと、博士たちはすごい勢いで飛び去って行った。


「とりあえず、目的地が決まったねー」

「そうですね、それじゃあ早速行きましょうか」


「……これが所謂…"パーティー"というものかしら……?」

「ギンギツネ、それげぇむの話でしょ?」

「ま、真似しただけよ!」


ということで、私たちはギンギツネとキタキツネとカピバラを含めて図書館へ行くこととなった。

かばんさんがりょうりを振る舞ってくれるということで、おめでとうの会以来のりょうりを私も内心楽しみにしていた。





……が、一つ不安なことがある。

ついさっき博士たちが飛び去るまで、異様なほど助手の目線を感じたのだ。

……結局それがどういう意味かは分からないが、とりあえず行くしかないのだろう。


疑念を胸に、ジャパリバスに乗り込む。

うっすらと雲が覆う私の心を対比するかのように、その空は澄み切った青に染まっている。

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