第百三十九話 温泉宿の元奴隷

「アムリータ、俺は今から秘湯と温泉宿に行ってくる。

 サティのぬいぐるみや俺の分身と馬車を回収して、宿の主人シェムリさんに挨拶をしてくるよ」

「わたくしもご一緒させてくださいませ。

 シェムリ様に、お礼とご挨拶をしたいのですわ」

「サティも行く! その方がぬいぐるみを早く集められるよ」


 国政会議からホールへ戻り、ラスートへ忘れ物を取りに行くことを告げると、アムリータとサティが一緒に来たがった。


「サティの病気は大丈夫なのかい? あとロサキも?」

「うんっ、持って行くからおんなじだよ。」


 そうか、なら来てもらおう。

 俺は二人を連れて秘湯へ瞬間移動した。



 ◇



「ゴインキョ様!

 心配していたんですよ、皆さんもご無事ですか?」


 ぬいぐるみと分身と馬車を回収し、温泉宿へつくと、女主人シェムリさんが宿から飛び出し迎えてくれた。


「ええ、ありがとうございます。全員無事ですよ」


 人型擬装形態となっている俺は、馬車から降りながら彼女に答えた。

 ちなみに、サティのぬいぐるみが御者を務めている。


「ダンジョンからの魔力が無くなって、あちこち大混乱でございました。

 何事も無くて本当にようございました」


 何事もなかった訳ではないが、それを言っても意味がないだろう。


「そうですね。

 ただ宿泊の予定を一日減らして、本日、城へ戻りたいと思います」

「そうでございますか。

 でしたら、一日分の宿代をお返し致します」


 そう言ったシェムリが宿へ戻ろうとするので、俺は慌てて止める。


「あ、いえ、こっちの都合なので、宿代はそのままでお願いします」

「そうはいきませんよ。今、お部屋のお荷物も従業員に運ばせますので」


 だが、シェムリの意志は固そうだった。仕方が無いか。


 宿の中へ向かうシェムリを見送った直後、気になる反応を察知した。

 通りを歩いている十三名からなる集団が、どうやらこの温泉宿に向かって来るらしいのだ。

 何者だろう? 反政府組織もマフィアももう存在しない筈だ。

 とはいえ一応警戒をしておこう。


 俺がそんな事を考えていると、アムリータとサティが馬車の外へと降りて来た。


「荷物はサティが運ぼうか?」


 ぬいぐるみロサキを抱いた彼女は、俺の顔を見上げてそう行った。


「いや、大した量じゃないし、混乱するから止めた方がいいかな?」

「分かった」



 ◇



 一日分の宿泊代を持ったシェムリが宿から出てきて、アムリータと挨拶を交わす。


「シェムリ様、大変お世話になりましたの。ありがとうございましたわ」

「お世話になったのは、手前どもの方でございますよ、アムリータ様」


 その間に宿屋の従業員、トレサップとぺノンが馬車へ荷物を運び込んだ。


「運び終えたよ、母ちゃん」

「では皆さま、道中お気をつけて……おや?」


 分かれの挨拶を切り出そうとしたシェムリが、宿の敷地へ入って来る集団に気が付いた。

 それは先ほどの十三名……いや、そのうちの二人は敷地の外、ここからは見えない場所で足を止めていたので、十一名だった。


「ギルド長」


 シェムリは集団の先頭に居る男を見て、そう言った。

 ギルド長? 温泉宿ギルドのかな?

 彼らはシェムリの前までやって来て足を止める。


「申し訳ねえ、すまなかった、シェムリさん」


 ギルド長がそう言って深く頭を下げ、後ろに居た十人もそれにならった。


「俺達は脅しに屈してあんた達を見捨てた。

 今更どのツラ下げてと言われりゃあ、返す言葉もねえ。

 それでも、この通りだ、許してもらえねえか?」


 そう言ったギルド長は膝をついて地に伏した。

 続いて後ろの十人も同じ土下座の姿勢となる。


「立ってください、ギルド長、そして宿屋の皆様方。

 事情はよく分かります。

 それに、身の程知らずにも突っ張った、あたしが馬鹿だったんですよ。

 さあ、立った立った、もうお互い水に流しましょう」


 そう言ってシェムリさんが差し伸べた手を、ギルド長がとった。



 ◇



「これはギルドの魔道具へ届いた、この宿への予約だ。

 今まで、俺達が勝手に別の宿へと振り分けていた。

 本当にすまねえ、このとおりだ。

 今からでも間に合う分を持ってきた、受け取ってくれ」


 ギルド長が頭を下げながら、申し訳なさそうに紙の束をシェムリさんへ渡す。


「もう詫びは十分頂きました。これ以上頂いちゃぁ胸やけがするってもんですよ」

「やったね母ちゃん、これで宿を潰さずにすむよ」


 笑顔で紙束を受け取ったシェムリさんだったが、目を通すとその顔が曇る。


「予約が重なっておりますね。従業員が足りない。

 今のウチじゃあ、一度に一組が精いっぱいだ。

 残りは他の宿へ……」

「それなんだが、辞めて行った元の従業員たちに組合から声をかけてみるよ。

 それと……おい、入って来な」


 ギルド長がそう敷地の外に声をかけると、そこで待機していた二人がやって来る。

 中年の男性と女性が一人づつで、シェムリに向かって声をかける。


「「女将おかみさん」」

「あんた達!」


 驚いたシェムリに、ギルド長が言う。


「この温泉宿で働いていた奴隷達だ。

 最初は復讐に来たのかと思ってな、ギルドで捕まえて監禁していたんだ。

 だが、じっくり話を聞けば、また働きたいだけだって言うじゃねえか。

 どうやら嘘とも思えねえ。

 それでこうして連れて来たって訳だ」


「お願いします女将さん、ここで、また働かせてください」

「ここで働きたいんです、どうかお願いします」


 元奴隷だったという中年二人が、シェムリに頭を下げた。


「どうしてだい? ここには奴隷として扱われた、辛い思い出しかないだろう?」


「いいえ女将さん! 辛くなんか……むしろ、私達にとても良くして頂いて……」

「そうですよ、他の宿の奴隷に、どれほど羨ましがられた事か……」


 わざわざ戻って来た事を不思議に思ったシェムリに、元奴隷たちが熱心に訴える。

 どうやら、女主人の優しい心は、ちゃんと二人に伝わっていたようだ。


「仕事の勝手はよく分かってます。頑張ります。だから、どうか、どうか」

「ここで働きたいんです。私達を、この宿で雇ってくれませんか?」


「……うっ」


 シェムリが少し涙ぐんだ。

 だが、それも一瞬で、すぐに笑顔へと変わる。


「ああ、もちろんだ。大歓迎だよ」

「「女将さん!」」


 三人が固く手を取り合った。


 俺は念のためサティに、元奴隷二人が嘘をついていないか小声で尋ねた。

 ああは言っていても、実は復讐や窃盗などが目的の可能性だってある。

 人が悪いとは思ったが、それでも、それを疑う事がいかに大切なのかを苦い経験から学んでいた。


 サティの返事は、彼らの言葉に嘘はないというものだった。

 そうか、なら本当に良かった……。



 ◇



「あんた達、荷物は持って無いのかい?」


 シェムリさんが、元奴隷たちの両手を見て行った。


「ええ、この身ひとつでございます」

「ならいろいろと入用だろう、それに仕入れも……う~ん、ギルド長、ギルドから金を借りられないかい?」


 元奴隷達は手ぶらで、粗末な服を着ていた。

 それをなんとかしたいと思ったのだろう、シェムリさんがギルドに借金を打診した。

 だが、ギルド長の反応は悪い。


「それが……ギルドも金を根こそぎマフィアに持っていかれたばかりでなぁ……あ、いや、少し待ってくれ、俺が必ず何とかするから……」


 とは言ったものの、ギルド長個人も金で困っていそうな雰囲気だ。

 俺達は馬車の側で、そのやりとりをずっと見ていたのだが、ここへきてアムリータが口を開く。


「皆さま、突然口を挟んで申し訳ありませんですの。

 けれど金策でしたら、わたくしに当てがございますわ」


 その場に居た全員の注目がアムリータに集まる。

 金の当て? 個人の貯金だろうか? あるいは大魔王国の予算から出すつもりとか?


「失礼ですが、ギルドが融資を行う際の利息はおいくらでしょうか?」


 そう言いながら、アムリータはギルド長の元へと歩み寄る。


「あんたらは、シェムリさんとこのお客さんかい? 

 もしかして金貸しなのか?」

「いえ、それがギルド長……」


 俺達をいぶかしんだギルド長に、シェムリさんが小声で耳打ちする。


「なにっ? 大魔王陛下だと? んでお妃様? ……マジか? 本当に?」


 俺はその場の皆を納得させるために、馬車の影で服を脱いで、竜形態となって見せた。

 大変驚かれたし怯えられたが、それでも全員が俺達を大魔王と一行と認めてくれた。



 ◇



 「わかりましたわ、それよりも低利でお貸し出来ますの」


 ギルド長から利率を聞いたアムリータがそう言った。


「皆様、お聞きくださいませ、大魔王国はこの度『銀行』と」いう物を作りますわ」

「ぎ……銀行ですかい?」


 ギルド長を始めとした全員が、怪訝な顔をアムリータに向ける。

 ああそうか、彼女はさっそく銀行を活用するつもりなんだ。


「銀行とは、皆さまの、お金に関する様々な問題を解決する仕組みですわ。

 なかでも、お金をお貸しする事は、もっとも得意な分野ですのよ。

 ラスートの温泉街にも支店が建築されておりますわ。

 稼働は半月ほど先になりますが、特別にご融資させて頂きたいと思いますの」 


 そこから、アムリータによる銀行の売り込みが始まり、その金利や返済についてだけでなく、預金の預かりと利息、口座への振り込み等の説明が行われた。


 熱心だな。

 だが、考えてみれば当然か。

 温泉宿の資金不足は、不慮の事態による一時的なものだ。

 元々は儲かっていたみたいだし、融資をしても不良債権に変わる可能性が低い良客だろう。


 結局、シェムリさんだけでなく、その場に居た全てのギルド員が融資を希望した。

 皆、温泉宿の経営者なのだそうだ。

 アムリータは、明日ここへ、担当者を寄こすと約束をした。



 ◇



 ラスート温泉宿の皆に別れを告げ、俺達は馬車ごと瞬間移動で大魔王城へと帰った。 

 前庭で、馬車から降りたアムリータが、嬉しそうに俺へ話しかける。


「大魔王陛下、改めて今度、みんなであの温泉宿へ行きませんか?

 今度は日帰りでも構わないのですわ」


 おお、それは名案かもしれない。

 俺は諸手を挙げて賛成する。

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