第百三十八話 城塞都市の生存者ヒーロフ
「無理かもしれない……」
サティがそう言って顔を曇らせた。
彼女の手には、バッファローの小さなぬいぐるみが有った。
サティの魔法で、変わり果てた姿となったロサキだ。
「すっごく命の力が弱くなってるよ、このまま消えちゃうかも……」
「そうか、なら仕方ない。病気なのにごめんなサティ、ありがとう」
ここは大魔王城のホールで、温泉旅行組と反政府活動家が隔離されていた。
魔力が回復した所為で、サティは思ったよりもずっと元気だった。
アルタイ師匠が言うには、自分で無意識に症状を緩和しているらしい。
もう、特に病気の心配は要らないとの事だ。
「このままサティが見ているね、なるべく頑張ってみる」
「ありがとう。
でも無理はしないでくれよ。サティの方が大切だからな」
俺がそう言うと、彼女はしっかりとうなずいた。
「うん、サティはだいじょぶ」
「そっか」
俺は竜形態のゴツい手を、感謝の気持ちと共にそっと小さなお嫁さんの頭にのせる。
「えへへ~」
サティは嬉しそうに目を細めた。
よし、次はダンジョン魔力を魔族側に戻すように指示を……いや、その前に、瞬間移動をする敵について警告しよう。
具体的な対抗策は思いつかないが、それでも味方に周知すべきだろう。
午後の国政会議に乱入してからラスートへ戻ろう。
「おのれぇっ! 我は怪我人であるぞぉ! 非情な独裁者の手先共めぇ!」
俺達の居る場所から離れたホールの隅で、ルポトラの叫び声が上がる。
そこには反政府運動家たちが集められ、多数の衛兵が幾重にも囲んでいた。
どうやら牢屋へ移送するらしく、兵士に支えられながら歩かされ始めた。
出口に近い、俺達の居る場所へ近づいて来る。
俺は連行される活動家の中に、意志の強そうな娘を見つける。
二十歳前といったところだろうか?
長い黒髪を持つ彼女は、黙って衛兵に従っているが、その黒い瞳に反抗の炎が燃えていた。
もしかして、この娘がヒーロフなのか?
その娘を見つめていると目が合った。
「大魔王……」
娘は苦々しげにそう言った。
この声、間違いない、彼女がヒーロフだ。
「お前を許さない!
私を殺したければ殺せ! 父や弟をそうしたようにっ!
だが、お前だけは死んでも許さない! 絶対にだ!」
ヒーロフがその場で立ち止まり、憎悪をこめてそう叫んだ。
あ、いや、君は死刑にならないと思うんだが。
彼女に罪があるとしたら、俺の暗殺計画に参加した事だろうか?
これはどのくらいの罪になるのだろう?
ヒーロフは王妃と俺の命を救ってくれている。
後で情状酌量を訴えておこう。
もちろん余罪については調べないと分からないが、大義にこだわり、子供の命を守るため反逆したくらいだ、他に大きな罪を犯してはいないだろう。
「悪逆な奴隷なんかの為に! お前のくだらない偽善で! 父も、弟もっ! 皆死んだっ! 沢山死んだっ!
卑しい奴隷など奴隷のままでよかったのに! それでも解放したければ皆殺しにすれば良かったんだ!
……帰せ……帰してよ! お父さんを! 弟を! 家族をっ!」
ヒーロフは髪を振り乱し、ありったけの憎悪をかき集めて俺に叩き付ける。
「滅べ! 死ね! 大魔王! 殺されても恨み続けてやる! 永遠に!」
「いい加減に黙れ! 陛下は貴様ごときに
俺への悪意を吐き出し続けるヒーロフに対し、見かねた衛兵が声を荒げてさえぎった。
邪魔をされた黒髪の娘は、今度は衛兵にくってかかる。
「黙るのはお前だ! 大魔王の犬め!」
「心から望んで仕えた王だ! 犬で結構! 貴様などに大魔王陛下の偉大さは理解できないだろう!」
う……衛兵が俺を庇ってくれている。
ありがとう。嬉しいけどヒーロフの件は俺が悪い。
止めないと……
「ヒーロフ様」
俺が行動を起こす前に、アムリータが動いた。
ヒーロフの名を呼んで、その側へと歩いていく。
「あ、あなたは……」
「ヒーロフ様、わたくしがこうして生きていられるのは、貴方様のおかげですわ。
心より感謝を申し上げますの、ありがとうございますわ」
アムリータはヒーロフの前で、深くお辞儀をしてそう言った。
衛兵は口を閉ざし、脇へ退く。
「あ、ああ……良かったわね」
怒れる黒髪の活動家は、毒気を抜かれたようにそう言った。
根が善人なのは間違いないだろう。
「告白いたしますわ、わたくしは奴隷の解放を強く望んだ身ですの。
深く政治にかかわっており、城塞都市の惨劇について、大魔王陛下よりも責は思い立場でございますわ。
失政をお詫びをいたしますの。
そして、殺されるわけにはまいりませんが、責めを受ける覚悟がございますわ」
アムリータそう言った後、ヒーロフの足元に伏した。
「どうか、ヒーロフ様のお気が済むようになさってくださいませ」
「え? ちょっと、あなた……」
十三歳の王妃が見せる覚悟に、大切な者を失った女性活動家が怯んだ。
「……くっ、子供の背中に隠れて、卑怯よ大魔王。
もういいわ、行って」
ヒーロフが衛兵を急かし、その場から立ち去った。
アムリータは俺の側へと戻って来る。
「大魔王陛下、病気の隔離が終わったら、ヒーロフ様をお任せ頂きたいのですわ。
情状酌量を訴えたいと思いますが、無罪とはいかないと思いますの。
例えば懲役となったのならば、あの方にわたくしの仕事を手伝って頂きたいのですわ」
それは俺が決めて良い事なのだろうか?
そして、いったい何をする気なのだろうか?
いや、彼女の事だから、その心配は要らないのだろう。
「分かった、頼むよアムリータ」
「ありがとうございますの」
◇
その後、俺が国政会議に乱入すると、ラスートから連絡が入っていて、ダンジョンの魔力はすでに魔族側に戻したという報告を受けた。
周辺の都市も正常に戻りつつあるらしい。
俺は会議のメンバーに、瞬間移動する敵が現れた事を伝え、無駄かもしれないが警戒を強める様に指示をした。
受け身の対抗策は無いも同然で、構築されつつある情報網で敵の正体を探る事が最優先となった。
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