第百三十五話 第三王妃の献愛

 ガタガタと大きな音をたて、激しく揺れながら、除雪された道を馬車が進んでいた。

 ダンジョンからの魔力が切れているので、魔法のサスペンションが付いていたとしても機能しない。

 引いている馬がどんな種類なのかは分からないが、速度も遅いのだろう。


 どうやら連中が用意していた馬車は五台のようだ。

 そして、そのうち最後尾の一台をアムリータとサティ、そしてヒーロフの三人だけで占領していた。

 伝染病を警戒してのことで、御者だけは別に居るようだ。


「あなた達を逃がしてあげる」


 出発してから十分もたっただろうか? ヒーロフがアムリータに小声でそう言った。


「お助けくださいますの?

 ありがたいのですが、どうしてでしょう?」

「ルポトラは身勝手で残酷、そして馬鹿なのよ。

 あなたは上手くやったけれども、それでも遅かれ早かれその子を殺すわ。

 もちろんあなたも大魔王が現れれば殺される」


 ヒーロフは本気のようだが、アムリータはその真偽を確かめるように質問を続ける。


「わたくし達は、あなたの敵ではないのですか?」

「私の敵は大魔王だけよ。あなたのような子供じゃない。

 私にも小さな弟が居たわ、殺されたけど。それでも憎いのはあの独裁者だけ。

 どうせあなた達も被害者なのでしょう?

 こんな幼い子まで……」


 アムリータはヒーロフの言葉を黙って聞いていた。


「ダンジョンからの魔力が切れているから、馬車の速度は遅いわ。

 飛び降りましょう。

 雪に飛び込めば衝撃も少なく、音も小さい筈よ。

 御者に気付かれないように慎重にね」

「分かりましたわ、ありがとうございますの」


 アムリータはヒーロフの提案を受け入れた。

 当然の判断だ。

 他に選択肢など存在しないだろう。



 ◇



「こっちよ、あの林に逃げ込むわ」


 アムリータ達三人は、どうにか気付かれず馬車から飛び降りる事に成功していた。

 今は雪の中を歩いているようだ。

 サティはヒーロフが抱いて運んでくれている。


「見つからないように、急いで」

「はいですわ」


 積雪は五十センチ程だっただろうか?

 アムリータにとってはかなり深い雪だろう。


「よし、林に入れた、これで視線は切れるけど……いけない! 馬車が止まった。

 あなたはそのまま林の中を進んで。

 私はなんとか時間を稼ぐから。

 この子を背負える?」

「はい、出来ますわ。

 ヒーロフ様、ありがとうございましたの」


 アムリータがサティを受けとって、急いで歩き出す。

 くそ、そう上手くはいかないか。

 ありがたい事にヒーロフは時間を稼いでくれるそうだが、それはどのくらいの長さだろうか?



 ◇



「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 サティを背負い、雪の中を懸命に歩くアムリータの呼吸は荒い。

 とても辛そうだ。当たり前だろう。

 彼女はもともと小さな体格で、今は魔力による強化も一切できないのだ。


「アムリータ、ここから出してくれ。せめて俺が自分の足で歩くから」 

「はあはあ、今の陛下は、はあ、子猫より軽いのですわ。

 それに、はあはあ、この雪の深さに小さなそのお身体では、はあはあ、一歩も歩けず直ぐに凍えてしまいますの。

 だ、大丈夫ですわ、はあはあ、わたくし全然平気ですの」


 俺の目前で、懸命に空気をむさぼる巨人の胸が膨らみ、しぼむ。

 呼吸は激しく汗だくで、とても平気には見えない。

 だが彼女の言う通りだ。

 今の俺は自分で歩く事すら出来ないのだ。


「……ファイトですの、負けま、せんわっ……」


 彼女の、己を鼓舞するつぶやきが聞こえる。

 俺にできる事は無い。

 くそっ、なんて無力なんだ……。



 ◇



 それからしばらく歩いた後、荒い呼吸のアムリータが話しかけてくる。


「はあはあ、だ、大魔王陛下。

 雪の上では歩いた後がはっきりと残り、はあはあ、わたくしの足では必ず追いつかれますの」


 そうだろうな。

 むしろ、まだ追いつかれていない事が奇跡のような気がする。


「はあはあ、異常事態は大魔王城へも伝わっている筈ですわ。

 はあはあ、大魔王国には魔力の空白地で戦える兵士も多いですの」


 そう言ったアムリータの足が止まる。


「はあはあ、サティ様と一緒に、陛下を、はあ、そこの茂みに隠しますわ」


 サティを下ろし、俺をつかんで自分の服から取り出す。

 苦しそうに呼吸をする、アムリータの大きな顔が間近にあった。


「はあはあ、ほんの少し待てば、救援がやって来ると思いますわ」

「待ってくれ、君はどうするつもりだ」


 俺の問いに対し、アムリータは無理に笑顔を作る。


「はあはあ、その、ほんの少しを稼いで見せますわ。 

 お元気で。はあはあ、

 誰よりも、何よりも、愛しておりますわ、大魔王陛下」

 

 アムリータは俺を一度強く抱きしめ、顔を覆うような巨大なキスをした。

 そしてサティの服をはだけ、その中へと俺を運ぶ。


「待て、待ってくれ!」


 彼女は囮になるつもりだ。

 俺達二人の為に、命をかけて。


「ごめんなさい、待てませんわ」


 抵抗は無意味で、小さく非力な俺は、簡単にサティの服の中へ閉じ込められてしまった。


「かならず助けてみせますわ、絶対に……」


 アムリータのつぶやきが聞こえ、荒い呼吸音と足音が遠ざかる。


「行くなっ、アムリータ」 


 俺はサティの服の中で叫ぶが、小さなこの声は届いていないだろう。

 くそっ、幼女の服から出られない。


 アムリータが逃げ切るのは不可能だろう。

 なら、捕まってどうなる?

 常識で考えるなら、大魔王をおびき寄せる大切な人質だ、殺したりはしないだろう……。


 本当にそうか?


 あの短絡的な活動家ルポトラが、逃亡をはかったアムリータを、怒りに任せて殺さないという保証は無いのだ。

 彼女が心配でたまらない。

 恐怖の所為だろうか? 指先や腰から下の感覚が消えてしまったような気がする。


 どうにかできないのか!?

 俺がすべきことは!?


 …………なにもない。


 時間をかければ、サティの服からは出られそうだ。

 だが外へ出てどうする?

 服も無く、熱の奪われやすいこの小さな身体では、数分で凍死するだけだろう。


 今の俺には、こうして幼女の体温に暖められながら隠れている事しかできない。

 畜生、情けなくて涙が出てきた。



 ◇



 それから数分後、雪をかき分け歩く大勢の足音が聞こえてきた。

 反政府活動家たちだ。


「はあはあ、逃げ足の速い奴だ、忌々しいっ。

 それにしても、魔力が使えないのは辛いものだな、はあはあ」


 ルポトラの声が聞こえる。


「くそっ、ヒーロフめ、あとでたっぷりと修正してやる。はあはあ」

「はあはあ、同志ルポトラ、修正には俺にも参加させてくださいよぅ」


 どうやらヒーロフは捕まったようだ。


「はあはあ、よかろう、はあ、ただし我の後でだ」

「やった、はあはあ」


 こいつらの言う修正とやらが何を指しているのか、考えただけで反吐がでそうだった。


 すぐそばを大勢の足音が通り過ぎていく。

 思ったよりも速度は遅く、距離はあった。

 だが、それでもアムリータよりは速いだろう。

 彼女は逃げきれずに必ず捕まる。


 だが、俺にはどうしようもない。


 ここで気付かれれば、アムリータの献身を無駄にするだけだ。

 俺は息を潜めて、連中が通り過ぎるのを待った。

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