第百三十四話 機転

 秘湯の脱衣所で、アムリータの着衣を待っていると、ロビーから聞き覚えのある大声が届く。


「ここに大魔王が居る筈である! 探すのだ!」


 この声は反政府活動家の……たしかルポトラとか呼ばれていた男のものだ。

 俺を探している?

 なぜ居場所がバレたんだ?

 いや、理由を考えている場合じゃない、今はマズいぞ!


「何者だっ、うぐっ!」

「おのれっ、ぐっ!」

 ドサドサッ


 護衛についていた大魔王国近衛兵の声がして、人が倒れるような音が聞こえた。

 反政府活動家に攻撃されたのだろう。

 彼らは二人とも、石火の極限に迫るような優秀な兵士なのだが、魔族である。

 ダンジョンからの魔力を失っては、まともに戦えない。

 生きていてくれると良いと思ったが、今はもっと大事な事がある。


「アムリータ、サティを抱えて浴場からなんとか外へ……」

「同志ルポトラ、脱衣所に気配が」


 くっ、間に合わないか……

 その瞬間、俺の身体は巨大な手につかまれ、乱暴に持ち上げられる。


「アムリータ?」

「静かにしてくださいませ」


 彼女はそう言って、その胸元から俺を服の中へと押し込んだ。

 アムリータの服の中に閉じ込められてしまった。

 ウエストにベルトか何かがあり、そこから下へ落ちる心配はないようだ。


 ガチャ

「ここか! 独裁者めっ!」


 間一髪のタイミングで脱衣所の扉が開かれ、ルポトラの声が聞こえた。

 

「居ない! 浴場かぁ」


 ドタドタと足音をたててルポトラが浴場へ向かったようだ。


「おのれぇ、逃げおったか大魔王! 卑劣な奴だぁ!」


 浴場に誰も居ない事を確認して、ルポトラが戻って来る。


「しかし同志ルポトラ、この建物の周囲は見晴らしもよく雪に覆われています。

 外の仲間に気付かれずに逃げるのは不可能では?」

「大魔王の力だろう、なにか、こう、逃げ足的な卑怯者の魔法が……」

「いえ、ダンジョンの魔力は人族側に切り替えました。

 いくら大魔王とて魔族である限りは、なんの魔法も使えないでしょう」


 ルポトラと仲間の会話が聞こえる。

 ダンジョンの魔力を切り替えた? 人族側に? これはこいつらの仕業なのか?

 ダンジョンは厳重に警備されていた筈だ。それをどうやって?

 そんな兵力がこいつらにあったのか?

 くそ、侮った、もっと警戒すべきだった。だが後悔しても仕方ない。


 どうすればいい?

 連中の狙いは俺のようだ。

 どうやら大魔王が、ダンジョン魔力の影響を受けない事すら知らないらしい。

 ならば王妃に気づかない可能性もあるか?


 だが、そう上手くはいかなかった。


「同志ルポトラ、こいつら大魔王の王妃ですよ」

「なにぃ?」


 ちっ、気がつかれたか。

 二人が危険だ。

 ぞくりと背筋に悪寒が走り、掌には汗がにじむ。


「ようし、王妃をエサにして大魔王をおびき出し、殺すのだ!

 うかつにもロクな護衛すら付けなかった独裁者と王妃! こんなチャンスはもう来ないぞぉ」


 どうする?

 こいつらの目的は俺を殺す事か。

 人質にしてなにかを要求するのなら、交渉の余地もあったのだが……。


「むっ、だが王妃の片方は、どうしてそんな場所に寝ているのだ?」

「病気みたいですよ……あ、こりゃあラスート熱じゃないですかね?」


 ルポトラの疑問に他の活動家が答えた。

 この辺りでは、病気と言えばラスート熱なのかもしれない。


「なぁんだとぅ! 伝染病ではないか! この偉大なる指導者である我が身に、うつったらどうするつもりだ。

 そっちはここで殺していこう、なに人質なら一人居れば十分だ」


 ルポトラが短絡的で非道な結論を出した。

 くそっ、最悪だ、なんとかしなければ!

 俺が出て行けばサティは助かるか?

 俺だけが素直に殺されれば……いや、それでは三人とも助からないだろう。


 だが、それでも万が一にかけるしかない。

 俺はアムリータの服の中から出ようと、襟首に手をかける。


 ギュムッ


 とたんに服の外から強い圧力がかかり、俺を押しつぶそうとする。

 アムリータが事情を察し、俺を守るために抱きしめているのだろう。

 くそっ、すごい力だ容赦がない、動けないし大声も出せない。

 止めてくれ、このままじゃサティが……


「待ってください同志ルポトラ、まだ子供ですよ?」


 女性の声がルポトラを止めた。

 この声にも聞き覚えがある。

 城塞都市の生き残りで、たしかヒーロフという名だった筈だ。


「だからなんだと言うのだ? 同志ヒーロフ」

「我々の目的は大魔王だけの筈です。

 こんな子供を殺すなどと、それでは大義に背きます」


 ヒーロフは凛とした声でそう訴えた。

 だが、ルポトラは聞く耳を持たないようだ。


「邪悪なる独裁者を倒すためなら、いかなる手段も正当化される。

 問題ない、我々のする事が正義なのだ」


 その身勝手な意見に、ヒーロフは反対を続ける。


「間違っています! そんな事をすれば悪質な独裁者、大魔王と同じだ!」


 ガッ

「うぐっ」


 鈍い打撃音が響いた。


「黙れぇっ! 利用価値があるからと厚遇してやれば図に乗りおって」


 どうやらルポトラがヒーロフを殴ったようだ。


「言うに事を欠いて独裁者と同じだとぅ?

 我を誰だと思っているのかぁ!

 我こそは市民の解放者、自由の象徴、大正義、ルポトラであるぞ!

 我のする事こそが全て正義なのだ!

 それを理解できぬとはこの愚民め!

 猛省せよ! 自己反省せよ!」


 ゴッ ガスッ

「あぐっ、くっ」


 ヒーロフを殴る打撃音が続く中、

 

感銘かんめいを受けましたわルポトラ様」


 今まで黙っていたアムリータが口を開いた。


「わたくし、大魔王の妻などという罪深い身ではありますが、ルポトラ様のお言葉で目が覚めましたの、猛省いたしましたわ」

「……ほう?」


 暴力の音がやんだ。


「ルポトラ様は、とても崇高な理想を抱いておられますのね。素晴らしいですわ」

「そうかそうか、邪悪なる独裁者の妻ですら、我の偉大さには感銘せざるをえないか」


 ルポトラの機嫌が良くなった。

 どうやら自我の肥大した単純な男らしく、アムリータはそれを見抜いたようだ。


「はい、恐怖による支配を行う大魔王などより、聡明そうめいなるルポトラ様が治世を行われた方が、すばらしい世の中になりますでしょう」

「そうだ、その通りである!」


 まるでベテランの役者みたいな、アムリータの演技が続く。


「わたくしも、是非お役に立ちたいと思いますわ。

 ルポトラ様ほど賢いお方なら、もうお気づきかと思いますが、それでも進言させてくださいませ。

 少しでも罪滅ぼしをしたいのですわ」

「聞いてやろう」


 ルポトラは上機嫌でそう言った。


「ありがとうございますの。では謹んで……

 人質は多い方が有利ですわ。

 おびき寄せる途中で一人殺してしまっても、もう一人残りますの。

 大魔王は卑怯者ですから、そう簡単に姿を現しませんわ。

 絶対に予備はあったほうが良いと思いますの」


 あ、なるほど、アムリータの狙いはこれか。


「……ふん、そんな事は分かっておる」

「申し訳ございませんの。

 ああ、聡明なルポトラ様に、わたくしはなんて差し出がましい真似を、お恥ずかしいですわ」


 そう言ってアムリータが床に伏せた。


「よし、二人とも人質にする。アジトへ帰るぞ。

 だが運搬する馬車は隔離しよう。

 ヒーロフ、お前が責任をもって見張るのだ」


 ルポトラがそう言った直後、俺を押しつぶしていたアムリータの圧迫が消える。


 よかった……。

 気が付けば全身に冷や汗をかいていた。

 アムリータは、この残忍な男からサティを守り抜いてくれたのだ。

 今の俺には出来なかった事だ。

 あのまま姿を現していたら、三人とも殺されて終わっていただろう。

 ありがとうアムリータ。

 彼女の服の中で、俺は顔も見えない巨大な奥さんに深く感謝する。本当に君は凄いな。

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