第百三十話 優しき理解者
「これはゴインキョ様、どうなされました?
今日はもうお入りにならないとの事なので、浴場を閉めてしまいましたが、なんでしたら……」
「いえ、その必要はありません」
食堂には温泉宿の女主人シェムリが居た。
どうらや帳簿をつけていたようだ。
邪魔をしたかな?
シェムリは素早く帳簿を隠して、接客用の顔になっていた。
「少しだけ、寝るには早い時間だったので、うろついていただけです」
「そうでございますか、でしたら……」
シェムリが厨房からグラスと酒瓶を持って来た。
「お飲みになりますか? 昼間のお礼に奢らせていただきますよ」
「ありがとうございます」
グラスに蒸留酒を注いでもらった俺は、シェムリにも酒をすすめた。
最初は断った女主人も、何度かすすめると、しかたなく酒に付き合ってくれた。
◇
「あいつらの言い分も、分からなくは無いんですよ」
シェムリがグラスを弄びながらそう言った。
あいつらとはラスート人民解放戦線で、俺達の話題は、自然と奴らの事になっていた。
「みんな、怖いんです」
「怖い?」
いったい何がだろうか?
シェムリは言葉を続ける。
「どこの店も、奴隷の扱いは酷いものでしたよ。
絶対に逆らったりしない、とても便利な生きた道具だ。
誰もが嫌がる仕事を、押し付けるのにはちょうど良い」
彼女の口から出たのは、奴隷についての話だった。
「もちろん高価ですからね、使いつぶすような事はできません。
それでも、気分次第で叩き、蹴り飛ばし、ぎりぎりまで酷使していた」
目に浮かぶような酷い待遇だ。
「そんな奴隷が、ある日、突然自由を手に入れたってんだ。
恨まれる心当たりがある者ほど、戦々恐々としてますよ。
だから、あいつらといっしょに大魔王の政策を批判しているんです」
なるほど、奴隷を使っていた貴族や商人には、そんな事情もあるのか。
そういえば、奴隷は基本的に、使役されていた場所から遠く離れた地域で解放されている。
奴隷であったことがバレない為の配慮だと思っていたが、もしかしたら復讐を防ぐ為なのかもしれない。
「お恥ずかしい話、うちにも奴隷が居ましたよ。
できるだけ、普通の従業員として扱ってやろうと思っていましたが、それでも恨まれていたかもしれない。
……いや、恨まれてるでしょうねぇ」
女主人シェムリが、くっとグラスの酒をあおる。
「そりゃね、奴隷が居た方が便利だ、解放して復讐されるのも怖い、どっちが得かはあたしだって分かる。
でもね、それでも……」
いつの間にか一人称が『あたし』になっていた女主人は、宙を見つめて言葉を続ける。
「それでも、奴隷なんて、居ない方が良いと思うんですよ。
やっぱり、人が人を道具にするなんて間違ってると、あっちゃいけないと、そう思いますよ」
彼女の言葉を聞いた瞬間、まるで、電気が走ったような気がした。
鳥肌が立っていた。
ああ、ここにも居たぞアムリータ、奴隷の非道を分かってくれる人が。
「どうしましたゴインキョ様? なにか悲しい事でもおありですか?」
シェムリは優しくそう言った。
今、俺はどんな顔をしているのだろうか?
「いえ、なんでもありません」
そう言って、パンパンと顔を両手ではたく。
そんな姿を、接客に慣れた宿屋の主人は、黙って見て見ぬふりをしてくれた。
そのまま、しばらくの沈黙が流れる。
そして、まるで湿っぽい空気を入れ替える様に、シェムリが言う。
「それはそうと、ゴインキョ様は小児性愛者なんですかい?
まさか、あんな幼子達に毎晩無理やり……」
「ぶばっ、ケンケンケン」
酒を吹き出しむせる俺。
宿の女主人は、歳に似合わない悪戯っ子のような顔で笑っていた。
「……してない、してないから」
「では、政略結婚とかでございますか? もしかして身分の高いお方で?」
「いや……それも別に……」
「まあ、確かにそうは見えませんねぇ、威厳が皆無というか……」
いちおう嘘をついたのだが、シェムリになっとくされてしまった。
「けれど、奥様はすごい魔術師で、使用人の方々はかなりの手練れでいらっしゃいますよね?
謎めいたお方だ。
正体は……そう、才能に恵まれず、家督を継げなかった宮廷魔術師の長男てとこじゃありませんか?」
「え? いやその……」
返答に困った。
そうか、そんな風に見えるんだ。
「おっと、宿屋の人間がしてはならぬ
酒が過ぎたようです、お許しください。
改めて、本日はどうもありがとうございました」
そう言って、シェムリが美しい
◇
「感激ですわ、そんな事がありましたのね」
翌日の早朝。
目を覚ましたアムリータに、昨日聞いたシェムリの言葉を伝える。
彼女はとても喜んでくれて、決意を新たにする。
「いずれ、ほとんどの人が、そう思うような社会にしてみせますの」
◇
朝食を終えた頃、温泉宿の玄関にアールワット侯爵の使者を名乗る男が現れた。
「事情を
宿の関係者、及び宿泊客は急ぎ領主の館まで出頭せよ。
モタモタするでないぞ」
なんとも
使者の背後には二台の馬車が止まっており、急き立てる様に乗車を強制された。
朝食の後片付けをする暇も与えられず、こちらの都合などお構いなしといった感じだ。
だがまあ、仕事が早いのは良い事だ。
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