第百二十五話 温泉宿

 予約していた温泉宿は街よりも少し標高が高い場所にあり、日陰には白い物が残っていた。

 ここはもう雪が降ったのか。

 気温は更に低いようだが、体が慣れてきたのか街とそれほどの差を感じない。

 目的の宿以外にも、周囲には温泉宿が立ち並んでいる。



 ◇



「予約したゴインキョと申しますわ」

「いらっしゃいませ、ようこそおいで下さいました」


 宿の玄関でアムリータが偽名を告げると、三十歳前後に見える美女が出迎えてくれた。


「ご予約のゴインキョ様とご家族、そして使用人の方々ですね、承っております。

 私が当宿の主人、シェムリと申します。

 お疲れでしょう、お部屋にご案内いたします。

 トレサップ、ぺノン、馬車からお客様のお荷物をお運びして」


 温泉宿の女主人であるシェムリの横には、二人の男性が居た。

 大柄でがっしりとした体格をした四十歳くらいの男と、十歳くらいの小柄な少年で、この二人がトレサップとぺノンなのだろう。

 大柄な男は怪我をしているようで、あちこちに包帯を巻いている。

 仕事をしても大丈夫なのだろうか?


「「…………」」


「トレサップ? ぺノン?」


 女主人シェムリがもう一度声をかけるが、二人は茫然としたまま動かない。


「すげえ、綺麗だ……」


 少年の方がぼそりとつぶやき、四十代の男が無言でうなずいた。

 二人ともココに見とれているみたいだった。


 パシンッパシンッ

「なにをやってんだいっ! 二人共っ!」


 小気味のいい音をたてて女主人シェムリが、トレサップとぺノンの尻を叩く。

 意外に気の強い性格みたいだ。


「申し訳ありません、ゴインキョ様。

 従業員の教育がなっておりませんで、お恥ずかしい限りでございます。

 しかし、これはまた、とびきりお美しい奥様でいらっしゃいますね」

「あ、ああしはバンさんの奥さんじゃないっすよ」


 シェムリの言葉に、ココが突っ込んだ。

 しかも偽名ではなく、いつもの呼び名でだ。


「バンさん?」

「ゴインキョ様の妻は、わたくしでございますわ」


 怪訝けげんな顔をした女主人シェムリを、アムリータがごまかそうとした。


「はーいはい、サティもサティも、バンお兄ちゃんの妻だよ」


 だが、直後にサティが台無しにしてしまう。

 ピョンピョンと跳ねて、自分も妻だとアピールする姿は可愛いが、本名を名乗り、俺の事もバンと呼んでいた。


「バン、はゴインキョ様の愛称でございますわ。

 そして、わたくし達二人が妻ですのよ」

「……はぁ」


 お、アムリータが強引に辻褄つじつまを合わせたぞ。

 どうやら女主人は、大魔王の別名や王妃の名を知らなかったようで、正体はバレずに済んだようだ。

 だが、


「お客様は、特殊な趣味をお持ちのようですわね」


 俺は女主人シェムリに、汚物を見るような目を向けられてしまった。

 うわぁ、痛い! まるで胸に刺さるようだよ。


「……ともかく、失礼をいたしました。

 トレサップ、ぺノン、馬車からお客様のお荷物をお運び……」

「あ、だいじょぶだよ、自分で運ぶから」


 そう言ったサティの背後から、ぬいぐるみ達が荷物を持って現れた。


「うわぁ、なんだこりゃ? 魔法かぁ? すっげぇ……」


 温泉宿の従業員である少年が驚いた。

 相変わらずの万能っぷりだなサティ。


「どうなってんだろう? これ……」


 少年が、サティのぬいぐるみに触れようとすると、


「こらっ、ぺノン」


 宿屋の主人シェムリが叱る。

 少年の方がぺノンという名のようだ。

 この親密さは母子なのかな?

 なら、もう一人の大柄な男性、トレサップさんは父親だろうか?

 そんな事を考えていると、


『市民のみなさん! お騒がせして誠に申し訳ありません!

 こちらはラスート人民解放戦線であります』


 街で聞かされたのと同じ、魔法で拡声された演説が響いて来た。

 ここでもか。

 声の主は別人で、宿屋に面した道で演説をしているようだ。


 おいおい、もしかしてこいつらの組織って、かなりの規模なんじゃないのか?

 嫌な感じだな、事態は思ったより深刻なのかもしれない。


「お騒がせしてすみませんねぇ。

 迷惑しているのですが、なにぶん乱暴な連中でして。

 文句を言ってやったのですが、その…………お客さん達も気を付けてくださいね」


 宿屋の主人シェムリがそう言った。

 街のウェイトレスは、文句を言うと嫌がらせを受けると言っていたな。

 シェムリさんが言葉を濁したのはそういうことか?

 もしかして、従業員トレサップの怪我はそれが理由なのだろうか?


「耳障りでしょうが、危険な相手ですので決して関わらぬようお願い致します」


 宿屋の女主人が頭を下げた。

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