第百二十三話 温泉
「温泉ですわ!」
良く晴れた日の早朝、大魔王城の前庭でアムリータが高らかに宣言した。
意訳された暦では九月も半ばを過ぎていて、秋の気配が漂い始めていた。
「えへへ~、お出かけ嬉しいな、サティは温泉はじめて~」
「ああしも初めてっすぅ、楽しみっすぅ」
「記憶にはあるが、体験は初めてなのじゃ、ワクワクなのじゃ~」
サティとココ、そしてアルタイ師匠も浮かれている。
俺達は今日から三泊四日の温泉旅行に出かける。
この世界にも温泉へ入る文化があった。
目的地は遥か北東にある、温泉で有名らしい観光地ラスート。
以前はラスート王国という中規模なダンジョン保有国だったのだが、今は王家が解体されて大魔王国の地方都市となっていた。
アムリータが強く望んだ旅行で、働きづめだった彼女の一月ぶりの休みに合わせた日程となっていた。
他にフェンミィやオルガノン、獣人村の人々なんかも誘ったのだが、全てスケジュールが合わなかった。
フェンミィはどうしても外せない用事があるそうで、ゼロノと出かけてしまった。
少し……いや、かなり悲しい。
しかしゼロノの奴、近頃はフェンミィと一緒に居る事が多い気がする。
あれだけ執着していたアルタイ師匠よりもだ。
まさか、今度はフェンミィを狙ってるんじゃないだろうな、あの変態。
オルガノンは開拓と、やっと構築し始めた監視網の管理で忙しく、遊んでいる余裕など無いと断られた。
四日くらい遊んでも良いじゃないかと言ったら、険しいジト目で怒られた。
大魔王国は未だに情報収集で四苦八苦している。
それは火急の問題なのだ。
ただ、彼女も食事は続けているようで、城下町で、そして外周都市で、様々な店を食べ歩いているらしい。
彼女が利用した店は話題になるらしく、売り上げが爆発的に伸びるそうだ。
そうそう、オルガノンには、食べ物のお土産を買ってくるように頼まれている。
忘れないようにしなければ。
そして、それ以外の同行者だが、御者兼、護衛兼、諸々の世話係として、魔族の近衛兵が二人同行してくれる。
更に護衛を連れて行くかは悩んだのだが、今回の旅は大魔王一行であることを隠した忍び旅となっていた。
あまり多くの護衛はつけにくい。
それに、俺とサティが居て、選抜されたぬいぐるみ軍団と俺の分身四十体も連れて行く事にした。
これ以上の戦力は必要ないだろう。
こういう時に便利なバッファロー型改造人間ロサキは、別の任務で出かけている。
どうも大魔王国のあちこちに、元メイコ共和国の人間が多数入り込んでいて、怪しい動きがあるようだ。
それを調べさせていた。
◇
俺達の乗った馬車が転移ゲートを通過する。
周囲の気温が大きく下がり、気圧にも差があるので、通過の瞬間に馬車が軋み耳が変になった。
ゲートの境目では、魔法により大気が遮断されているので、強い風が吹くような事はない。
忍び旅なので馬車は軍用ではなく、民間用の高級な物を使用していた。
引いているのは、いつもの車馬ではなく、寒冷地に強いトナカイに似た四頭の馬だった。
屋根の上には、俺の分身四十体がステルス状態でへばりついている。
俺達全員にサティが認識の
「皆様、もう一度確認しておきますわ。
今回の旅はお忍びなので、お名前が広く知られている大魔王陛下、そしてサティ様とわたくしアムリータは偽名を使いますの」
暖房の魔法がフル回転し始めた馬車の中で、アムリータがそう言った。
「大魔王陛下は『ゴインキョ』様、
サティ様は『スケサン』様、
わたくしアムリータは『カクサン』とお呼びくださいませ」
出発前、偽名を考えようと言う事になったのだが、俺が一番最初に思いついた名前がそれだった。
身分を隠して旅をするならと、面白半分で提案したのだが、好評のうちに採用されてしまった。
◇
「あはは、息が白いよ、バンお兄ちゃん」
「寒いのじゃ~」
馬車から降りたサティとアルタイがそう言った。
気温はかなり低く、全員が冬着に着替えているのだが、それでも寒い。
午後二時ごろ、俺達は目的の街に着き、宿に向かう前に遅めの昼食をとる事となった。
宿屋には夕食と朝食しか頼んでいない。
馬車の番は、サティのぬいぐるみと俺の分身に任せ、近衛兵二人を含めた全員が降車していた。
「ああし、おなかペッコペコっすぅ」
「皆様、昼食には評判のお店を見つけてありますわ。こちらですの」
下調べをしているアムリータに案内されて、表通りに面したレストランへと向かう。
あれ? おかしいな?
どうも周囲の人々に注目されているような気がする。
サティの魔法で、大魔王一行だとはバレない筈なのだが。
気のせいかな?
人目を意識しすぎだろうか?
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