第九十九話 婚約
「これが昨日の会議でまとめられた政策だ。
採用するかどうか決めてくれ」
朝食が済んだ後の大魔王執務室で、ワルナがそう言って俺に書類の束を差し出す。
厚い。
「君に一任する訳にはいかないだろうか?」
「駄目だ。
分かりやすく説明するから、全てに目を通して自分で判断しろ」
丸投げは失敗した。
「すまん、ありがとう」
全ては俺の為なので、素直に感謝して従う。
「いやぁ、まさかダイバダ様を引っ張り出すとはねぇ。
アムリータ王女殿下を
予定が狂ってシャムティア王国は大慌てだ」
なぜか早朝から大魔王城へやって来たワルナの父リトラ侯爵が、執務室のソファーでくつろぎながらそう言った。
「どういう方なんですか?
信頼して良いものでしょうか?」
「父上に相談するのは愚行だぞバン、この国にかかわらせるな」
俺の質問をワルナがさえぎった。
リトラ侯爵は悲しそうな顔をつくって言う。
「立場を
我がシャムティア王国にとっては、やっかいな人物ですな陛下。
抜きんでた才を持ち、遠慮の無い正直な働き者で、一切の懐柔を受け付けない、組織にとっては扱いにくい方です。
けれど、だからこそ大魔王国は、得難い人材を手にしたという事となります。
「ありがとうございます」
俺は侯爵に礼を言って書類の束へと戻る。
ダイバダの事はとりあえず信頼して良いみたいだ。
◇
「それはそうと、実は困った事になりましてね、大魔王陛下」
書類と格闘していた俺に、リトラ侯爵が話しかけてきた。
「困った事ですか?」
「ええ、サティに縁談が持ち上がりました」
え?
縁談?
いくらなんでも早すぎないか?
サティはまだ幼い子供だぞ。
「相手はシャムティア王家へ連なるお方で、こちらからは断りにくいのですよ」
王家だと? なんでそんな事に?
「その上、サティに士爵位が授与されるそうです。
年齢を考えれば異例中の異例で、それでも騎士になれば戦争に参加する義務が生まれます」
あ、そうか、ついにサティの常識を凌駕する凄まじい能力がバレたのだ。
結婚も、王家が彼女を手に入れる為のものだろう。
まずいな。
恐れていた事態だ。
サティには幸せになって欲しい。
だが、その能力目当ての結婚が彼女の幸福につながるとは思えない。
彼女の持つ力はあまりに強力すぎる。
「う~ん」
考え込んだ俺を見て、リトラ侯爵が言葉を続ける。
「それでですね、既に大魔王陛下から婚姻を求められていると、シャムティア王国には返事をしました。
いかがいたしましょう、陛下?」
「え?」
どういうことだ?
俺がサティに婚姻を?
「大魔王陛下のお気持ち次第ですよ。
陛下がサティを望まれるなら、シャムティア王国も手出しは出来ないでしょう。
あの子を手元に置いておきたいとは思いませんか?」
リトラ侯爵は、俺に悪だくみを持ちかける様にそう言った。
なるほど、俺がサティと結婚すれば今まで通りというわけだ……。
いやいやいや、無いから。
可愛いし、大好きで、感謝している。
だが結婚相手になどと、考えた事も無い。
そして、俺には心に決めた女性がいる。
「バン、父上は貴公にサティを
この事態も計算どおりなのだろう、
ワルナがそう言った。
え? そうなの?
「心外だなぁワルナ。
お父さんはただ、君達愛娘の幸せを願っているだけなんだけどねぇ?」
「心がこもっていないな、サティでなくとも分かる」
大げさなジェスチャーで親子愛を訴えたリトラ侯爵を、実の娘がばっさりと両断する。
「だがバン、貴公はこの
サティと結婚しろ」
「え?」
意外にも、ワルナも俺とサティを結婚させたいらしい。
「サティは良くも悪くも特別すぎるのだ。
貴公以外に、あの子を幸せに出来る者などおらぬぞ」
「待ってくれ。
サティの事は好きだが、恋愛や結婚の対象として考えるのは無理だ」
俺は自分の気持ちを伝えたが、ワルナはそんな事など承知の上だと言わんばかりだった。
「当たり前だ。
男女の愛情など結婚した後から育てるものだ。
心配は要らぬ我が妹なのだ、十年もすれば見事に花開くだろう」
ワルナはきっぱりと言い切った。
俺の知っている結婚観とはだいぶ違ったが、一理あるのかもしれない。
だが……
俺は思い切って打ち明ける。
「俺にはフェンミィが居る。彼女の事が好きなんだ」
「知っている。
そうだな、良い機会だから全てハッキリしておくべきだろう。
バン、貴公はそこでしばし待て」
「あれ?」
衝撃の告白をしたつもりだったが、ワルナには軽く流されてしまった。
◇
「バンお兄ちゃ~ん」
執務室に入って来たサティが、椅子に座っている俺の膝上に飛び乗った。
そしてそのまま抱きついてくる。
「えへへ~、嬉しいな」
「待たせたな、バン」
そしてワルナが、フェンミィとアムリータ王女を引き連れて執務室へ戻ってきた。
フェンミィと王女の頬が赤く、うつむいて俺と目を合わせようとしない。
なんだこれ?
「貴公はこの三人と婚約しろ、今ここでだ」
とまどう俺を尻目に、いきなりワルナがそんな無茶を言った。
重婚だよ。
「……いや、待ってくれ」
「安心しろ、全員の
え?
全員の了承?
「三人と婚約する事を認めてるのか? 三人とも?」
「そうだ」
ワルナがそう言った後、それぞれに声をかけていく。
「間違いないな、フェンミィ」
「はい、大魔王様、私を貰ってやってください」
真っ赤な顔のフェンミィが、恥ずかしそうにペコリとお辞儀をする。
ちょっと待てフェンミィ、それでいいのか?
君と結婚するのは良い、だが、他の二人も一緒だと?
「サティもいいな?」
「うん、したい。結婚して? バンお兄ちゃん」
俺の膝の上でサティが小首をかしげてそう言った。
どこか不思議そうなあどけない顔だ。
可愛いな!
だが、たぶん意味をちゃんと理解していない。
「最後にアムリータ王女殿下、あなたもよろしいな?」
「はいっ! はいっ! ワルナ子爵、あなたはなんて素晴らしいお方なのでしょうか……。
ああ、ああ、大魔王陛下、わたくしこの日を夢に見ておりましたわ……」
王女様はそう言って、ぼろぼろと泣き出した。
凄く嬉しそうだ。
こうまで思われて悪い気分はしない、だが俺には心に決めた人がだなぁ……。
「三人とも、貴公が責任をとるべき女性だと判断した。
お膳立ては整った、外堀は埋めてある。
後は貴公の覚悟だけだ、さあ観念しろバン!」
えええぇ?
「ちょ、ちょっと待って、ごめんサティ退いてくれ」
俺は膝の上からサティを下ろし、フェンミィに近づいた。
そしてそのまま手を取って部屋の外へ連れ出す。
大魔王城の廊下で俺はフェンミィにたずねる。
「待ってくれ、君はこれでいいのか?
俺が結婚したいのは君なんだぞ?」
「はい、私は三人一緒の方がいいですよ。
あの二人にも幸せになって欲しいので、大魔王様を独り占めする気はありません」
信じられない。
そんな理由で恋人をシェアできるものか?
ワルナの結婚観なら、国王が複数の妃を迎えるのは当たり前の事なのかもしれない。
だが獣人は、一夫一妻のつがいが標準だったのだ。
なぜフェンミィは重婚に積極的なんだ?
彼女の愛情に疑う余地なんかない。
ならば、聖人のごとき博愛主義だとでもいうのか?
正直彼女らしくない、似合わないと思った。
だがフェンミィの決心は固く、俺がいくら説得してもその考えを変えなかった。
女心がまったく分からない……なぜだ?
◇
「分かりました、三人と婚約させていただきます。
ええと……よろしくお願いします」
執務室に戻った俺は、みんなにそう告げる。
ワルナが満足げにうなずいて、サティが俺に抱きつき、アムリータ王女が再び泣き出した。
結局、俺がフェンミィに説得されてしまったのだ。
いいのか? これで?
フェンミィは幸せそうに笑っている。
正式な結婚は全てが落ち着いてからする予定となり、大魔王国を誇示するために大々的な式典を行う事となった。
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