第八十七話 小娘

*今回もアムリータ王女視点となります。


「行って来ます。ここを頼みます」

「この身にかえましても。ご武運をお祈りいたしますわ」


 フェンミィ様が駆け抜けて行かれましたわ。

 戦況は思わしくないのでしょうね、厳しい瞳をなさってましたもの。

 わたくしにはご武運を祈る事しかできません。

 せめてここは、わたくしの命を投げ出しても守りたいのですわ。



 ◇



「敵襲!」


 その男は玄関ホールの入り口に、いきなり立っていましたの。

 門を守る部隊も居たはずですのに、なんの連絡もありませんでしたわ。

 長身で厚みのある筋肉質の肉体を、ぴったりと体のラインが出る黒いレザーに包んでましたの。

 派手な化粧と紫の口紅が印象的でしたわ。


「なによ、まったく影響ないの?

 困るのよね、アタシの部隊は現地調達する予定なんだから」


 そう言った筋肉質の男は、背後に同じような服装と化粧をした男女四人を従えていましたの。

 四人全員に奴隷の首輪がついていましたわ。


「まったく、あの面倒なゴーレム使いの目を盗んで来たってのに。

 さあ、兵士の補充をさせて頂戴。

 ここを突破すれば残りは後衛ばっかりでしょう?

 楽勝ね。


 あなた達を使って魔術師を少し減らせば、全員魔法に負けて奴隷になるでしょ。

 でもどうして怯えてないのよ?

 もったいないけど、何人か殺せばいいのかしら?」 


 この敵を通せば味方は総崩れですわね。

 絶対にここで防がねばならない相手ですわ。


「王女殿下を奥の通路へ、石火の使えぬ者もだ」

「はっ、殿下こちらへ」


 ホールへ侵入する敵に、ナルスト士爵が立ちはだかりましたわ。

 わたくしは邪魔にならぬよう通路へと退きますの。


「あら、あなた素敵ね。最高に美しいわ、いいわよぉ。

 首輪がついたらこの子達みたいに、たっぷり可愛がってあげる」

「ふっ、敵ながら審美眼しんびがんは見事と認めよう。

 だが首輪は辞退させてもらう」

「あらぁん、遠慮しなくてもいいのに」


 士爵が時間を稼いでいる間に、わたくし達は奥の通路に避難しましたわ。

 入り口を魔術師が魔法で守りましたの。


「ご無礼、お許しを」

「ありがとうございますの」


 一人だけついてきてくれたわたくしの騎士が、伏せたわたくしに覆いかぶさり守ってくれましたわ。

 わたくしは耳を押さえ、口を開け息を吐き、衝撃にそなえますの。


「アタシはギルドの大幹部なのよ。良い思いをさせてあげる」

「くどい、結構だ」

「うふっ、無理やりってのもそそるわね、嫌いじゃないわ」


「石火」

「臨戦」


 ドォンッ


 派手な爆発音が響き廊下を揺らしましたの。

 魔術師が守ってくれたので、衝撃波は廊下に届きませんでしたわ。


「あなた達の負けよ。

 さあ隠れてる子達、出ておいでなさい」


 ホールから聞こえてきたのは敵の声でした。

 石火による戦いは一瞬ですわ。

 残念ながら敵の言うとおり、わたくし達は負けたようですわね。

 戦った皆様はご無事でしょうか?


「殿下、通路から逃げましょう……う」


 いつの間にか敵の奴隷四人のうち一人が、わたくし達の退路をふさいでおりましたの。

 けれど、もともと逃げるつもりなどありませんのよ。


 こうなったのなら、たとえ一瞬でも長く時間を稼ぐべきですもの。

 伝令が走ってましたし、なによりもあの方がお戻りになるまでの大切な時間ですわ。


「素直に出てきた方が身の為よ。

 ひとりも殺したくないし、できれば怪我人にもしたくないのよね。

 すぐ使いたいから」

「今まいりますわ!」

「で、殿下っ!」


 敵の呼びかけに、わたくしは大きな声で返事をしましたわ。

 ごめんなさい、わたくしの騎士。



 わたくしは通路から出て、破壊され瓦礫の散らばる玄関ホールで敵と対峙しましたの。

 入り口側の壁がぬけていましたわ。


「い……いけません、殿下」


 ナルスト士爵や兵士の方々は大けがをしていましたが、全員命は無事のようでしたの。

 良かったですわ。

 でも、皆様に奴隷の首輪がつくような事態は阻止しなくてはいけませんの。


「あら? あなたはどなたかしら?」


 そう言った敵の姿が変わっていましたわ。

 声が同じでしたが、巨大な人型のウサギと化していましたの。

 どこか大魔王陛下に似て……いいえ、全然違いますわね。

 あの恐ろしさと優しさをあわせ持つ、見事な威容には遠く及びませんもの。


「はじめまして、ごきげんようですわ。

 わたくしはシャムティア王国第三王女、アムリータ・レウ・グリシャ・シャムティアと申しますの」


 わたくしは頭を下げて、ゆっくりと挨拶をいたしますの。


「まあ王女様! 素敵! 優雅で良いわね。可愛いし、欲しいわ。

 アタシ、男女平等に愛してるから大丈夫よ」


「お名前をお聞かせいただけますでしょうか? お強い方」

「あらごめんなさい、アタシの名前はズキョウよ、ズキョウ。

 さあ、いらっしゃい奴隷の首輪をつけてあげる」


 名前を答えてくれた人型のウサギ、ズキョウというらしい彼へ、わたくしはゆっくりと近づきますの。


「駄目だ、王女殿下」

「大丈夫ですわナルスト士爵、ご心配なく。

 こうなれば、少しでも多く時間を稼いでみせますから」


 そうは答えたものの、恐怖に足が震えて地面の感覚がありませんの。

 歩き方を忘れてしまったような気がしますわ。

 頑張りなさいアムリータ、ぎこちなくとも進めればよいのです。


「あら? 援軍の当てでもあるのかしら? でも、それはこっちにも好都合だわ」


 ズキョウが嬉しそうにそう言いましたわ。

 ええ、ありましてよ。あなたに好都合だとは思えませんけど。


 そしてわたくしは、手を伸ばせばウサギの怪人ズキョウの巨体に触れる距離まで近づきました。

 彼の顔を見上げて話しますわ。


「ズキョウ様、わたくしは奴隷の首輪が大嫌いですのよ。

 そう簡単に受け入れるつもりはありませんわ」


「どうしてぇ? 

 奴隷の首輪は素晴らしい物じゃない。

 この子達を見てちょうだい。

 絶対に裏切らないしアタシの一言でどんな事でもするのよ。

 愛おしいわ」


 ズキョウが意外そうに言いましたわ。

 奴隷の首輪を肯定するのはこんな方ばかりですわね。

 万が一にも、それが自分の首につくことなど無いと思っている。


「では、わたくしを怖がらせて、首輪を発生させてくださいませ。

 小娘一人、簡単な事でしょう?」

「ええ、そのつもりよ」


 ガツンッ

「ぐっ」


 そう言ったズキョウが、ほんの軽くといった感じでわたくしの頬を平手で打ちましたわ。

 それなのに、まるで鉄の棒で殴られたのかと思いましたの。

 束の間の痺れ、そして頬が腫れて熱を持ちズキズキと痛みますわ。


ゴグッ

「あがっ」


 更にもう一度、今度は反対側の頬が打たれましたの。

 衝撃と痛みがわたくしを襲い、アゴがおかしくなりましたわ。


「あら? 目が死んでないわね。

 良いわよ、良いわ、あなた。なら本格的にやりましょう」

「くそっ、やめろ!」

「代わりに僕を」

「おのれっ」

「王女殿下っ」


 騎士や兵士達がわたくしを心配してくれましたわ。けれど、


「邪魔よ、ぜんぶ黙らせて」


「うぐっ」

「げふっ」

「ぐっ」


 ズキョウが奴隷に命じ、皆さんが気絶させられていきますの。

 目的を見失ってくれてますわね。

 いい傾向ですわ、あとはわたくしが頑張ればいいのですから。


「いくわよ、楽しませて王女様」


 そして人型ウサギのズキョウは、嬉しそうにその大きな手でわたくしの左手を掴みましたわ。

 そして反対の手で、わたくしの左人差し指をつまみ、


 バキリッ


 無造作にひねりつぶしましたの。


「……!!! あぎっ!」


 全身に痛みが走り、身体が固まり、呼吸すら止まっていましたわ。

 閉じたまぶたの裏がチカチカと光り、炎で焼かれ続けているのかと思うほどの痛みが続きます。

 生まれて初めて感じる凄い痛みですの。


「あ……はぁはぁ」

「良い顔ねぇ、そそるわぁ、指先は痛いでしょう?

 じゃ、二本目いくわね。なるべく出血させないように……」

「ひっ」


 ベキリッ


「つ……ぐぅがっ……あぁぁ」

「どう王女様? あきらめる? もう少し楽しませて欲しいのだけれど」


 私の左手中指も容赦なく潰され、全身に激痛が走りました。

 こんなのもう耐えられない。

 経験したことのない強烈な痛みに、私の身体が悲鳴をあげますの。


 けれど、心の方はもっと強い痛みを知ってましてよ。

 それを思えば、この痛みすら大切に思えますわ。

 わたくしは、もう一度大魔王陛下にお会いするまでは負けませんの。



 ◇



「驚いたわ、あなた。

 五本の指を全部潰されて、まだ絶望してないのね。

 いいわよ、素敵!」


 うう、鼓動に合わせて左手がズキズキと強烈に痛みますわ。

 左手が熱を持ち、肩まで腫れてきたようですの。

 吐き気と頭痛までして、ぼやけた視界に愛しい大魔王陛下の幻覚が見えました。

 ええ、ええ、わたくし頑張りますわ陛下、負け……負けるものですか……。


「だったら、歯はどうかしら? 今から一本一本むしり取って、奥の神経をかき回してあげるわ。

 ずっときついけど、耐えてみせてちょうだい」


「ひっ」


 なんて恐ろしい事を……まだこの上があるんですの?

 そんな……ううっ、

 ま、負けません……負け……くうっ……。

 へ……陛下、大魔王陛下ぁ……。



「……あら? 変ね、味方の魔法攻撃が途絶えたわ。

 馬車にトラブルかしら?

 なにやってんのよ、これじゃこの子が絶望しても首輪がつかないじゃない」


 え?


 痛みの所為で気がつけませんでしたけれど、たしかにあの凍えるような恐怖の感覚が消えていましたの。


 あ……ああ、強い感情がこみ上げて、涙が止まりませんわ。


「あら? なに泣いているのかしら?

 さすがにもう限界? でもねぇ、ちょっとトラブルみたいなのよ。

 ごめんなさいねぇ、今は奴隷にしてあげられないわぁ」


 ズキョウはわたくしが怯えて泣いているのだと思ったようですわね。

 違いますわ。

 これが予兆以外のなんだというのでしょうか?



 あるじの帰還ですわ。



 パアンッボチュンッ


 人型ウサギの頭が弾け、そこに大きな拳が現れました。


「アムリータ王女! 無事か!?」


 大魔王陛下はいきなりズキョウの背後に現れましたの。

 その頭を握りつぶしていて、以前とはお姿が少し……いえ、だいぶ変わってらっしゃいましたわ。

 変幻自在なのでしょうか? けれど、見まごうはずもない優しい瞳は相変わらずでした。


 あああ、お待ちしておりましたの。

 涙が止まりませんわ。

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