第五十五話 同じ思い

*アムリータ王女視点となります。


「ブヒヒ、アムリータ、ベッドに乗れ。ブヒ」


 ズーアル侯爵に続いて入ったテントの中には、大きなベッドが置いてありました。

 魔法の明かりで照らされたベッドの上には、侯爵邸の応接間で見た子供が二人いましたわ。 


 バサバサバサッ


 突然、テントを突風が煽りました。


「ブヒ? なんだ? 風が強いな、まあいい。さあアムリータ、ワシの言うとおりのポーズをするんだ、ブヒブヒ」


 わたくしの身体はわたくしを裏切り、侯爵の言うとおりの淫らな、いやらしいポーズをとりましたの。


「ブヒヒ、そうだ良いぞ、もっと広げて見せるのだ、ブヒヒヒヒ」


 ああなんて破廉恥はれんちな事を、こんな男に……でも、もうどうにもならないのですわね。

 あの強く頼もしいナルスト士爵でさえ奴隷にされてしまった。

 シャムティア王国は滅びようとしている。

 希望の欠片すらありませんわ……。


「ブヒ? 大人しくなりすぎてもつまらんな。もっと嫌がらせて……いや、まてよ、ブヒヒ」


 私の全てを支配する醜い男がいやらしく笑います。


「ブヒヒ、ワシを愛させよう。熱烈にワシを求め、ワシの為になら死んでも良いと思うほどに、ブッヒブッヒヒ」


 な、なんて恐ろしい事を……。


「い、嫌ですわ! そんなの絶対に! あなたのような卑劣な男をを愛するなど、絶対にありえませんの!」


「ブヒヒヒッ、だが愛するのだ! ラブラブになるのだ! 首輪があるからな。ブヒブヒ」


 そのとおりですわ、ひとこと命じられるだけでそうなるのです。

 あああ、怖い、怖いですわ……。


「ゆ、許してくださいませ お願いですから」


 わたくしは懇願しますわ。

 無駄だと分かっていても、それ以外に出来る事などないのですから。


「これ以上、私の心を玩具にしないで欲しいのですわ……お願いですの、お願いですから……」


「ブヒイイィ! いい! そうだ! それだ! ワシを拒むその心をたった一言で変えてやろう! ブ……」


 バサバサバサッ


 また突風がテントを煽りました。


「ブヒ? またか、急に風が出てきたな。まあいい、それより、ブヒヒヒ」


 いやらしい笑いを貼り付けたズーアル侯爵が、わたくしに迫りますわ。


「ひっ、後生ですの、どうか哀れと思って、どうか……」

「ブブッヒブヒ、いいぞぉ、だが駄目だぁ! ブヒヒヒヒィィ」


 いや、

 いやですわ……ううっ。


 無力なわたくしは巨大な絶望に押しつぶされますわ。

 そして ズーアル侯爵の愉悦に満ちた声が、無慈悲な命令でわたくしの心をいじりますの。


「ブヒッ、さあアムリータ ワシを愛す……」


 ビイイッ


 突如布を切り裂く音が響き、残酷な言葉を打ち消しました。


 驚いて目を向けると、いきなり大きな影が飛び込んできましたわ。


 それは恐ろしい怪物で……あっ! あの大魔王ですわ!

 どうしてここに? 今朝、国へ帰ったはずなのに……。


 大魔王はテントを見回して、忌々しそうに一言怒鳴りました。



「ああ畜生! 奴隷の首輪はマジで最低のクソだな! ふざけやがって!」



 …………え?


 それは、心の底から奴隷の首輪を憎む言葉でした。


 わたくしと同じ様に、この悪魔の道具を嫌悪する言葉。

 それは絶望に押し潰されたわたくしの心に、強烈に響きましたの。


 やっとこの首輪が最低だと、許せないと言ってくれる人が居た。 

 

 それはまるで、暗い空をものともせず切り裂いて差し込む眩い光のようでした。

 そしてその光は、私が絶望だと思っていた醜い男を簡単に排除してしまいましたの。


 あまりに心が震えていたので、彼の大きく尖った指がわたくしの首輪に触れるまで気がつけませんでしたわ。


 首輪を外そうとしてくれていますのね。

 けれど、いけませんわ、この首輪を無理やり外すと装着者は死んでしまいます。


「あっ、まっ」

 パキンッ


 わたくしの制止は間に合いませんでしたわ。

 首輪は簡単に壊れて、あっさりと外れましたの。


「あ、あれ? ……ですの?」


 けれど、わたくしが死ぬ事はありませんでしたわ。

 どうして?


 わたくしは何度も自分の首を触り、そこに首輪が無いことを確かめました。


 ああ、ありませんわ、首輪が、奴隷の首輪が外れていますの。

 もう一生、外せないのだと思っていた首輪が。


「…………っ」


 わたくしの身体が、心が、わたくしの元へ戻って来ましたわ。

 ああ、自由とはなんて愛しいのでしょう。

 死ぬまで続くと思った覚めない筈の悪夢は、あっけなく終わりを告げていました。


「すまん、一言断るべきだったな、奴隷の首輪は無力化してあるよ」


 大魔王が、さらりとそうおっしゃいましたわ。


 無力化ですって?

 この首輪はとても高度な魔法の産物で、つけるのは比較的簡単でも外すのは難しい悪意の塊なのですわよ。

 緻密な魔方陣を作り、時間をかけて複数の魔術師が長い呪文を唱えて外すような……。


 それを一瞬で無力にしてしまうなんて、誰にも出来ませんでしたのよ。

 それを、こんなに簡単に? なんてすごい人なのでしょうか……。

 

 あ、そうなのですね。

 わたくしはやっと理解しましたの。


 この方は本当に伝説の大魔王陛下なのですわ。


「ひっ」

「いやぁ、うっ、ぐすっ」


 大魔王陛下が、他の子供達の首輪を外す為に手を伸ばしましたの。

 けれど、子供達は怯えて、泣きながら後ずさりましたわ。


 無理もありませんの。

 こうして間近で見ると、初めてではないわたくしでも恐ろしいと思うのですから。


「あ、ああ、そうだよな、怖いよな、ごめんよ、こんな恐ろしい化け物で。

 でもな、だからこそ俺はすっごく強いんだぞ。

 君達を絶対に助けて守るから、その首輪を外させてくれ」


 大魔王陛下は精一杯頑張って作りました、という感じの笑顔でそうおっしゃいました。

 その恐ろしいお顔で一生懸命に笑って、子供達を怖がらせないようにと。

 その声はとても優しげで、そして怯えられて少し悲しそうでした。


 暴力的で恐ろしい怪物、他人を威圧して従わせる嫌な男。


 全然違いましたわ。

 わたくしはこの方のなにを見ていたのでしょう……。

 不思議な事にその迫力の有るお顔も、今はもう全然怖く思えませんでしたわ。


 そしてそれは、子供達にも伝わったのでしょうね。 

 おっかなびっくりではありましたが、大魔王様の指を受け入れました。


 パキン、パキッ


 子供二人の首から、いとも容易く忌まわしい輪が外れましたわ。


 わたくしはナルスト士爵や四人の騎士を思います。

 大魔王陛下ならば、お救い下さるのではないでしょうか?


 一方的にあなどり、数々の無礼を働いていますのに、今更なんと図々しい考えなのでしょう。

 けれど、大切な騎士達の命がかかっておりますわ。

 願わずにはいられませんの。


「だ、大魔王陛下! なにとぞお願い致したき儀がございますの」


 わたくしは、伏して陛下におすがりします。


「数々のご無礼を働いたこの身、不遜ふそんを重々承知しておりますわ。

 ですが、ナ、ナルスト士爵とわたくしの騎士が、同じく奴隷の首輪に苦しんでおりますの。

 なにとぞ寛大なる大魔王陛下のお力で、お救い頂きたいのですわ」


 お許し頂けるのでしょうか?

 わたくしが行った無礼を思えば、断られるどころか、お叱りを受けても当然なのですから。



 ◇



 良かった、本当に良かった。

 騎士達が、ナルスト士爵がご無事でしたの。

 士爵は両足を失っておられますが、血は止まっており、これならお城の魔法治療師がなんとかしてくれますでしょう。


 わたくしは、大魔王陛下にどれほど感謝すれば足りるのでしょうか。

 けれど、もう一つお願いしなければなりません。

 

「大魔王陛下! 偉大なる陛下の此度の温情、このアムリータ、感謝の念に堪えませんですわ。ですが、ですが」


 大魔王陛下の優しさに付け入り、頼みごとばかり繰り返す。

 わたくしは、なんて卑怯な女なのでしょう。

 厚顔で破廉恥にも程がありますわ、けれど、それでも願わずにはいられませんの。


「か、重ねてお願いがございますの」


「厚かましく臆面も無きこの身を恥じるばかりでございますわ。

 それでも、シャムティアが、シャムティア王国が、このままでは滅んでしまいますの……なにとぞ大魔王陛下のお力で……お助けくださいまし……」

 

 たった一人の大魔王陛下に、二十万を超える大軍をなんとかして欲しいなどと、本来なら正気の沙汰ではありませんわ。

 でも、でも、もしかしたらこのお方ならば、そんな風に思えました。


 全身全霊を込めてお祈りいたしますわ。

 引き換えにわたくしの命を捧げても構いませんから、どうか……。

 

「ああ、最初からそのつもりだ。

 それも任せてくれ。俺には頼れる仲間も居るしな。

 だから心配するな、もう伏せるのも止めてくれ」


 わたくしの図々しく無茶な願いを、大魔王陛下は簡単に請け合われましたわ。

 まるで、ちょっとした頼みごとに応じるみたいに。


「そんな顔もすんな、大丈夫だよ」


 私の不安は顔に出ていたのでしょうか?

 大魔王陛下はわたくしを安心させようと、とてもお優しいお声でそう仰いましたわ。


 そして、その無骨で大きな手で、わたくしの頭に触れましたの。

 そっと、微かに、壊れ物を扱うように。

 まるで間違えてわたくしを傷つけてしまうことを恐れるように。 


 あれほど恐ろしいと思っていたお姿が、今はとても頼もしく見えました。


「だ、大魔王陛下、かくだ……の温情、か、感謝のごとばっもございませんわっ、くっ」


 いけませんわ、ちゃんと感謝を伝えねば、でも、とても安心できて……。


「お礼はいいから、泣きたいなら泣いとけ」

「ううっ、ぐす、そんな訳には、いきませんわ、ぐずっ、ぐずっ」

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